2021年1月29日金曜日

初めての医療訴訟 

最近私の勤める病院のドクターが関わる裁判で驚くような話が伝わってきました。

いわゆる進行中の案件ですので話の中身を詳らかにすることはできないのですが、どんな裁判案件の裏にも人間の実生活の泥臭さが潜んでいるんだなということを実感した一日でした。私自身はこの先生の関与した案件で患者さんのレスキューにあたっただけなのですが、一応裁判の進行に伴って弁護士さんから送られてくる進捗状況のサマリーをみる立場です。

精神科医療において裁判となるような「案件」というのはどういう様に発生してどの様に訴状が届いて、どれほどの時間がかかって中身が吟味されていくのかが本当によく解ります。日本に帰ってくるまでは基礎の研究者でしたから、こういった世界というのはネットで時々タイトルとして見かける程度のものだったわけですけど、間接的とは言えいわゆる医療裁判案件に何らかの形で訴状に登場する関与者として裁判を眺めることになると「ナルホド~、へ~そうなんだ!」という事が次々と出てきます。

無論、こういった事は訴訟大国アメリカでもボコボコあるのでしょうが、私自身は幸いにしてアメリカ居住期に家族達とそのような案件に巻き込まれるようなこともありませんでしたし、日本においても医療従事者として働きはじめて7年目になりますが、直接的に訴状の中に名指しで指弾された案件は一切ことはありません。まさに幸い。しかし逆に言うとそういった訴状に出てくるような難度の高い治療行為に関与していないということにも一分はあるかもしれません。

というのも、日常の診療行為は難度の高低に関わらず何時でもミスは発生し得ますし、それが訴訟のもとになることは日本中で毎日のように発生していますので。

今回自分が間接的に関わった案件は実際に患者さんの私生活がどうであったかということが病院に運ばれるもととなった精神疾患の発症原因に大きく関与するものでしたので、次々に入ってくる家族さんの私生活の詳細が判明することで、当初は語られなかった家族内のドロドロとした内情が裁判という案件を通して拡大鏡を使ったように見えてくることで、逆に「この裁判、原告の家族さんは万が一この裁判に勝っても幸せはどこにもないな」と思いました。

それを反映するかのように、そもそも当初の訴状に記述されていた訴えの中身は削ぎに削がれて元の骨格さえ残っていない状況で、一回目の判決がいつになるかは判らないもでも「そもそも公判が維持できるのか?」と逆に相手の方のことが心配になってきてしまう始末。そうなると、多分予想されるのは今回の訴訟に関わった訴訟費用のみがこの原告さんにどっかと乗ってくるわけで、拳を振り上げたは良いけれど・・・という事になるのではと思うのでした。

既に私がこの方の蘇生に関わった技術的部分は「訴訟のかなり最初期の段階」で消えてしまっております。

当院側の弁護士さんの意見を今後も淡々と伺うことになるのでしょうが、直接の関与者である当院の同僚医師は今回の案件をどういった風に眺めているのか一度伺ってみたいものです。


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