2020年6月21日日曜日

見ないニュースは存在しないという話

GoogleニュースとYahooニュースでネットの上のニュースを読むのとTwitterでどんな事がアメリカその他で起きているのかを見るのが最近数年の日課です。

幾つかのソフトで「自分用」にモディファイされた興味のあるサイトを集約して読ませてくれるソフトも数種類試してはみたものの、その情報の更新速度が圧倒的に遅くて結局のところ上に書いた3つのソース+マイナーなロシアのニュースサイトなどが私にとってのこの世界の「有象無象」や「由無し事」を知らせてくれる情報源になっています。

しかも上のサイト自体(特にグーグルは激しくそれを呼び寄せる)は己の興味に沿ったニュースをかき集めては提示します。私の場合なんかはテック・ニュースやアメリカのローカルニュース、種々のサイエンス関連の大小のニュース、ネットギーク関連のニュースなどをそういう指定で集めていますので、自然とそういう「興味のあるもの」に更に細かい知識が積み上がっていくことになっていく訳です。

更に、医師だけが閲覧できる様々なサイトがあって、それらの専門的なニュースソースをみながら動画や文章、関連論文などをチェックしながら医師としての知識にも肉付けを行うわけです。

しかし、昔アメリカに居た頃は日本発のニュースの多くを2chのまとめなどで読んでいましたので、今から考えると随分と「別の意味で偏って」集められたニュースを読んでいたと思います。要するに基本的に嫌韓嫌中とかのまとめサイトがたくさん繋がっているリンクですから、どうしてもそれに類したニュースを半強制的に読むわけです。

ところが、この手のサイトは読んでいくと正直「疲れる」んです。コメントが延々とついてくるのですが、たしかに一次ソースを読む限りでは中韓政府の碌でも無さが頭にくるようなことも多いのですが、コメントがそれに被さってくると「何だかな~・・・」というしょぼい気持ちになってくるんですね。ものの見方がある一定の正しいと思われる領域の振れ幅から飛び出てしまっているのを感じて、内心「いや、ソコまでの見方はどう考えても・・・」というふうになってきます。

という訳で、2chと類似のその手のサイト群にはほぼ近づかないようになってしまいました。結局、韓国も中国も私にとっては「近づかないほうが良いトンデモナイ国」という一言でくくられるだけの国になってしまいました。

それ以降はなんというか、ニュース自体を読まないのでグーグルにチョロっと出てくるような「ムン・ジェイン云々による」とか「金正恩が・・・」等というニュースもクリックせず、「どうせまた同じ様な話やろ」という感じ。香港の緊迫したニュースは時々読みますが、それ以上でもそれ以下でもありません。

報道されない事実、読まないニュース等というのは例えそこに真実が横たわっていても「私にとっては存在しない」という事になってしまいます。それをどう考えるべきか。

ニュースメディアというものをどう受け取っていくのかは、人生においては大変重要な質問だと思います。子供に新聞のニュースを安易に読ませなかったという昔の人々は「賢さ」があったなとつくづく思う今日このごろです。


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