2020年6月14日日曜日

近所の素敵な古本屋 

いま住んでいる家に引っ越してきて四年ちょっと。

ズーッと前から「気になっている店」が帰りがけの道にありました。その店はどうやら古書店らしのですが、今まで入ったことはなし。中にあるのは如何なる本よ。まさか漫画本が堆く積まれてはおるまいか?などと想像を巡らせてはいたのですが、いつもは車で通るばかり。しかも、下の写真で見るように開いているのか閉まっているのか全く判りません。そもそも商売っ気がなさそうなのが趣になっている位です。w
名前が良いでしょ!?
今日はたまたま髪を切った帰りがけに横を通り過ぎ、数歩先に進んだところで「!」と意を決して店の中へ突入。

入った瞬間に「あの懐かしい匂い」が私の鼻腔の中を直ちに満たしました。中は外からは想像もできないほどの大量の本が並べられており、まさに二列のウナギの寝床状態。その一番奥にはお爺さんがベレー帽をかぶって鎮座しておられました。(後で知ったのですが84歳!)

本当にひ~っさしぶりに古本屋の中に入って本好きの血が疼きました。中には漫画が一冊も置いて無くて、どうみても「歴史的に貴重な本」も山のように並んでいました。私は最近絶版になっていてなかなか手に入らないと思っていた以下の岩波文庫の青帯の本を三冊発見。
  • コロンブス・全航海の報告(コロンブス等)
  • 確率の哲学的試論(ラプラス)
  • 18世紀パリ生活誌・上(メルシェ)
これだけでも店に入った価値があったと思いました。上記三冊で1300円也。
会計をしてもらう時に大塩平八郎の「洗心洞箚記・せんしんどうさっき」はお持ちで無いかと御主人に尋ねましたが「それはないな~」と即答され断念。ほぼ全部ほんの有無を答えられるとのこと!

その後、本談義、名古屋の本屋・古本屋の状況、今後の御主人の店に対する未来像などを30分くらい二人で立ち話して楽しみました。集めてある本を見るだけで、御主人が書肆を運営している理由がよく分かるほど体系的で良く纏まった本の売り買いをされているのが手に取るように解ります。

御主人によると、名古屋でもこの50年で劇的に書肆(新刊本店・古書店込み)が無くなったとのこと。今でも会費を取るような古書店組合に加盟している店が名古屋には100件ほど有るとのお話でしたが、この名古屋のような大きな都市でさえ実店舗を持っているのは実質10店程度といいますから、寂しいものです。

御主人も御自身が既に齢84となられ、今後のことも話されておりましたが、息子さんがこの店を守ってくれるとは信じているが息子自身は本を読まないと残念そうに語られました。多分、私と余り変わらないような年齢の息子さんだとは思うのですが、万一の場合に個々においてある「一定の目利きの眼を通して選んである」本が散逸するようなことがあればそれはそれで昭和・平成の文化的遺産の損失の一形態だなと酷く残念です。

私自身もこのお店が古本を買い取られると言うことなので、「出す自信のある本」をここに並べるという目的で本を持ってこようかな・・・などと考えたりもするのですが、これがまた難しい。私にとって、本は自分が退蔵することでときどき読み返す無常の喜びを感じるという変なものでもあるのです。

別れ際に御主人曰く「多くのお金は出せませんが、私がこの店で並べることは出来ます!」と悪魔のようなセリフを吐いてこられました。参った参った。w

今日はいいもの(店も本も!)見つけました。良い週末でした。


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