昭和13年の母親が昨日誕生日を迎えました。
まず最初に電話口に出たオヤジの報告によると最近は寝てばっかりとのこと。想像がつきます・・・。
お祝いついでに母親と電話越しに話をすると「いろいろ考え事をしとるだけで、寝とらん」等というかなり明白な嘘を何の躊躇いもなく返してきますが、そういうところは昔から全く変わっておりません。こういうところがあいも変わらずまさに私の母親。チャランポランなところはブレません。w
オヤジの方も心得たもので「俺が元気な間はなんとか面倒見るワ」と同じ昭和13年の寅年生まれ同士が老老で支え合っていなかで生きております。最近病院の看護師さん達ともよく話をするのですが、同じ様な世代の看護師さん達の中には同じ様な境遇の人達が当然のようにたくさんいて、片親の病気のことで始終病院に連れて行ったり、両親とも施設に入れたりと言うような話ばかり。
当然中には「母親の葬式に田舎に帰っておりました」等と暫く見ないなと思っていたら、そういう状況を報告される看護師さんもおられます。また、兄弟の多い看護師さんの中には老いた両親をどうするのに関して、田舎に集って喧々諤々と議論を戦わせながら親と喧嘩をしながら何とかかんとか施設入所を決めてきたと言うような事を伺ったこともありました。
兄弟の数などの家族の形態や親戚の数と日頃の付き合いの深さ、親の病気や経済的状況などの諸々の状況が重なり合って、本当に各家庭ごとに処方箋が違うというのがよく見えてきます。
老いた親が自立して生活してくれている間は未だ良いものの、実際には80を超えてくるような老親であればこの一週間で何かが起きても別に何の不思議もないわけで、そう言う点は頭の中でシュミレーションをしておかねばならない事は明白なのですが、どちらが先に倒れるのか、それとも病を得るのか等も全く想像すらつかぬ状況で考えることは山のようにあります。
オヤジが長生きしてくれれば本人の意に沿って名古屋に連れてきてでもどこかの施設に入れることには親父も納得済みなのですが、母親が一人になったときには田舎を離れたくないと言いますので、その時には遠隔で施設にお世話になることになるわけで、出来たらそれは避けたいところなのですが、田舎から離れて知り合いの居ない土地につれてくることで認知症が悪化なんて言うことはごく普通にありますので、難しいところです。
日本人の2018年時点での平均寿命は男性で81.25歳、女性で87.32歳。しかし、既に今回の誕生日で母親も82歳になりましたし、父親に至っては平均寿命を超えちゃいました。
マイルドな血管性認知症のある母親が長生きする確率は余命という意味では多分高いのですが、パターン的には困りますね、、、。
金、時間、手間の全てが問題になってくる気がします。果たして来年の今日も同じように誕生日の報告をちょこちょこっと記録することが出来るのか、一年一年がまさに私にとっての勝負です。
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