タイトルのような質問に対して疑いがないような人は人に嫌われるチャンスは少ないと思われます。w
実際のところ、素直とは言ってもその方向性は二通りに向きが異なると考えます。
一つは実に素直に言われたことを「へー、そうなんだ」と言う感じで素のまま飲み込んでしまう人。
これにはその先があって、その後そのおかしさを疑い始めてあれこれといろいろな方向から検討していく人。
もう一つのパターンは最初から人の話を疑って話の主筋や末節も含めて最初から話半分程度にしか信じていない人。これはどっちかと言うと私自身でして・・・。
「ウンウン」とは言いつつも実はどこかに嘘がないかと疑いの眼差しを外せない人。
こういう人は、マア行ってみれば不幸な人でもあります。しかし、私の場合はどっちかと言うと研究者という仕事を得たときから培われた一種の職業病とも言うべきところがありまして、今となってはどうにも修正の仕様もありません。
私が嘘をちょこっと混ぜた話をして、それを本気で信じてしまう看護師さんとかを見ているとなんだか逆に羨ましくなることが多くて。最後はネタバラシをして「ちょっとせんせ~!」と怒られることも時々あるのですが、こうやって頭から聞いた話を信じることが出来る人を見ていると私のほうが貧乏くじをひいたような気分になることも度々です。
医学に限らず、未来の話、過去の歴史など諸々の出来事で「信じるに足る」と思っているあらすじをもとに人の話や読み物などの話の真偽を判別している我々の日常ですが、それらがどれほどまでに信じるに足りるものなのかは“新事実”の発見による驚愕の新説がどれほど世の中を揺るがしてきたかを見れば、我々の常識がどれほど怪しいものか、どれほど思い込みによって惑わされているのかを猛省せざるを得ないと思えることが毎回なのですが・・・。
実際には100年前の人類の常識の記述を見た時、我々の脳みその信じ安さ、騙されやすさのトンデモ振りに驚き呆れることばかり。
もう少し見聞広げる研鑽を広めるだけでなく、想像力を働かせながらモノを多面的に見つめる訓練を“一生”続けなければと思うのです。
これを書いたのは、クローズド・ネットでの「経済予想」に関する記事を読んで思うことがあってのことでした。
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