2018年9月24日月曜日

遂に「あいち航空ミュージアム」に

ついに行って参りました。

エアポート・ウォークに繋がっているあいち航空ミュージアムに行って参りました。
本のこのあいだ出来たばかりのこの博物館ですが、オープン直後には絶対に、そして実際にも大量の人出があったようなので、ヘタレで混雑が苦手な我が一家はそういった日は避けなければなりません。
エアポート・ウォーク側から眺めて一枚
という訳で、エアポート・ウォークでの買い物前にスッと入館。大人は一人1,000円です。まずは一階へ降りて中にあるYS-11の前で嫁さんと息子をパチリ。

戦前の航空日本の力で最初に築きあげた敗戦後の最初の大型民間航空機です。それでも、日本戦前・戦中の航空機作製能力は大きく削がれていましたので、これを作り上げるのは大変だったろうと十分に想像できました。木村秀政、堀越二郎、土井武夫、太田稔、菊原静男ら五人の侍とそれを引き継いだ三菱の東條輝雄らの血と汗が目の前で形になっているのかと思うと、その老いた機体も別の輝きを見せるのでした。

しかも、この航空機が製作されたのは、なんとまさにここ小牧工場脇の三菱重工小牧製作所で作られてのですから素敵な話ですよね。

その後はフライトシュミレータや名古屋の上空を巡る旅、あとヤップ島から回収され二念をかけて復元された三菱ゼロの復元機体の展示などにじっと魅入ってしまいました。
速いものは美しい
実際に眼の前で本物のゼロをみると意外と翼の前後長があるというのが理解できました。感覚的に、もうちょっとコンパクトなのかな等と思っておりましたので、これは意外な発見でした。こんなものが3000キロも飛んでしまうのですから、よく考えると異常な性能とだ思うとともに、操縦する人間の疲労のことなどなんにも考えていなかったんだろうなとじっとその機体を見つめてしまいました。

その航続力を稼ぐ重みを削いだ分を「人と機体を守る」防弾や構造の強化等に割り振っていればまた違った機体が出来たであろうにと思うのは私だけでしょうか。

優秀な戦闘員と無能な作戦立案を続けた司令本部と言う構図は、何だか今の日本でも全く変わっていないんんじゃないかなと大企業や官庁などの不祥事をみていて思ってしまうんですけどね。

さて、建物の中身を見たあとは外の実際の飛んでいる飛行機達を観る番でした。
ラッキーなことに次から次に飛行機達が飛んできてくれて、20分位で三機ほどの大小の航空機の飛翔を観ることが出来ました。
動画も撮ったんですけど上げるの面倒くさくて。w
沢山の人たちが楽しそうに飛行機の離発着を眺めていましたよ。
外の景色を堪能し、戦前戦後の大量の航空機模型を見たあと、帰りしなにゼロのデフォルメ模型を購入して本のビルに戻り、ショッピングをして帰りました。

これは何度でも訪れて、入館の度に貰える綺麗な飛行機のカード百枚を収集せねばと考えた私でした。w

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