以前も何度も書きましたが、あの日から17年が経ちました。
私はあの日の当日の深夜までマンハッタンにいましたのですが、疲れ切って寝ていた翌朝嫁さんに起こされた後のことは生涯忘れません。
21世紀最初の年に起きたあのショッキングな大事件は正に21世紀が「テロの世紀」の幕開けだということ告げた悪魔のファンファーレのようなインシデントでした。
あのとても現実の世界のイベントとは思えない狂気に満ちた二機の飛行機の衝突による世界貿易センタービルへの突入、ペンタゴンへの突入、そしてピッツバーグ郊外での乗客格闘後の飛行機墜落という計画的な犯行は原理主義的宗教・人間が内在する狂気を改めて私に見せつけてくれた恐ろしい情景でした。
しかし、我々はあのイスラム教原理主義者達のことを単純に狂人だと言えるでしょうか。
太平洋戦争末期に若人達を飛行機、戦闘機、粗末な魚雷型の潜水艦、魚雷艇等に乗せて鬼畜米英に突っ込ませていった国家はどこだったかを思い出すと、我々の側に如何なる大義があったとしてもそれを「狂気」と呼ばずして何と呼べばよいのでしょうか。
テロは方法とサイズを変えた対立者間の戦争です。
戦争というのは際限のない暴力であることはクラウゼヴィッツが明確に記しています。憎いから、許せないからと言って起こす戦争は一度振り上げたハンマーの下ろしどころがわからぬまま訳も分からず最後の最後まで眼の前のものを潰し続ける恐ろしい暴力。
戦争の本質を知っている本物の軍人こそは通常最大の戦争抑止論者というのは大変明示的な話だと私は思うのです。精神論でなんとかなるものでもなく、どちらが勝とうと必ずや世代を超えた世紀の遺恨を残す戦争行為。
力を背景に自分のピストルのデカさを誇示し合う超大国の馬鹿面が眼前にチラついて仕方のない今日このごろです。
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