大人になってから随分と思い知らされたことがあります。
それは食べ物はその人の「育ち」そのものだということを嫌でも思い知らされたことでした。恥ずかしい話なんですが、私は自分自身がオーダーする食事代に関して定食を頼むのであれば1000円を超えると高いと思うし、弁当代だと500円を超えるとやっぱり高いと感じてしまいます。
人とご飯を食べに行ってその人達に食事を奢ることに関しては全くそういったものを感じないのに、自然と自分に関する食に関しては小さかった頃の金銭感覚が自分にある一定以上の金額の食事をすることを許しません。
よく考えてみると、小さな頃から母親の食事といえば基本的にかなり限定されたものばかりでした。これは別に私の母親が悪かったわけではなく、母親自身も戦後に早く無くなってしまった爺さんのために、残された子沢山の婆さんが女手一つで極貧の中で子育てをせざるを得なかったために「料理」というものは基本的に味云々というようなことをとても言える生活ではなかったから。
当時の女学校を出ていたようなお嬢様であった婆さんがいきなり卵を売って出歩くような生活を送らされたわけですから、その苦労たるや・・・想像を超えたものであったはず。
後年、老いてもその当時のことを私に語るような事は一切ありませんでしたが、漏れ伝わる親戚のおじさんおばさん達の話を聞く限りでは、相当厳しい生活だったようで、成績が相当良かったにもかかわらず誰も大学進学を言い出せるような状況ではなく、全員高校を出て即就職して家計を助けたようです。
そんな家庭で苦労をしてきた母ちゃんの料理のレパートリーが少ないからと言って特に何の不満も無く、「料理なんてそんなもん」と思って育ってきたのです。
翻ってわが家の嫁さん。
義理の親父さんが食べるものには糸目をつけないいわゆる「食道楽」の人であったため、本当にいろいろな美味しい食べ物を知っており、付き合っている間も、やがて結婚をしてからも、自分の配偶者が食に関しては全く違う生い立ちを背負って育ってきたことに気づくシーンが何度も有り、しばしば驚いたり感心させられたりしたことが有りました。
今でも私自身はレストランに行ってメニューを見ても特に「これ!」と言う感じで楽しんで注文するようなことはなく、嫁さんがイソイソと愉しみながらあれやこれやと注文するのを逆に愉しみながら見つめるばかりです。w
私の子供達の食生活を見ていると、彼女らはどうやら私の持っていたような軛(くびき)からは自由のようです。(親父は彼女たちが育ち盛りの頃は貧乏だったのに、母親の手料理が彼女達の味覚を育てたのでしょう。)
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