2018年7月24日火曜日

在宅医療で見えること

バイトで在宅医療に関わってはや三年。

国家の御威光(御意向)で、皆のものカネがかかるから年取ったり寝たきりになったら家で面倒見てもらいなさい!という大号令のもと、みんなが一斉に走り出した在宅医療。

実際、みんな右往左往しながらも生き残るところは生き残り、そうでないところは消滅を繰り返すことでウスバカゲロウの如く消えていっているこの業界です。
私が在宅医療で御世話になっているクリニックの理事長の言葉を借りると既にこの業界への参入は手遅れということで、数年前にその門戸は閉じられたと考えておられるようです。

まあ、私はこの手の”行政の裁量次第”で右往左往するような世界は恐ろしくリスキーだと考えておりますので、バイト以外に手を付ける気もありません。しかし、こういった世界に医師として入っていき、しかも他の医師達を雇いつつも銀行と話をつけて金の遣り繰りをし、かつ次々と変わる看護師さん達を引き止めたり発掘したりしないといけない日々の果てしない苦労は果たして割に合うのだろうかという気持ちも、傍で観察していて無いわけではありません。

さて、実際に在宅医療の現場を回っていて強く感じるのは各家庭の「経済格差」ですね。
家によっては一人の寝たきりの人にお手伝いさんが二人ついていたり、物凄く美しい豪華な部屋で療養用の電動ベッドにエアマットが敷いてあったり、それはそれは上を見たらきりがありません。

ところが、同様にお金の無い人は無い人でそこの所で自分なりにきっちり労力を投入したりすることで、必要なレベルをなんとかかんとか維持したりされるもの。皆、金があろうとなかろうと結構それなりに頑張っておられるのです。

そういった人達も、しっかりと認定や行政の援助をつけるのを支援しつつ訪問看護支援との組み合わせを行うことで在宅医療を成り立たせるべく皆が必死になっているのが今の日本の在宅の現実です。

もう一つ言えば、金のかかった医療が施されていても家族同士が顔も合わさないようなところも実はあるんです。そういった現場の日々の現実を観察していると、心が通わない医療っていうのはロボットにケアされてるような”寒々しいもの”を感じたりするのでした。

金がある上に診られる側と世話に関与する家族の皆さん側の「心」も通じあってるのがベストなんでしょうけどね〜。なかなか難しいのかな。

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