2018年7月20日金曜日

名古屋刑務所へ・1

みよし市にある名古屋刑務所に行ってまいりました。
協力機関の一つとして、毎年恒例の協議会に参加するためです。

皆さんはあまりそういう事を意識されないかもしれませんが、社会と全く同じ様に患者さんの中には当然のごとくいろいろな罪を犯した方も居ます。病院も当然社会の縮図の一つ。

単純に表には出ないだけで、実際には皆さんの周りにも触法の犯歴を持つ人はたくさんいるわけで、その意味ではスピード違反や駐禁をした人も程度の差こそあれ触法者の一人なわけですが、通常は刑務所に収監されるほどまでの罪を背負いこむような人になると、グッとその数は絞られるわけです。(私は当然スピードでも駐車でも三十年ほど前ですが、過去に切符を切られております。)

しかし犯した罪が何であれ、病は平等に人に訪れるわけで、刑務所に入る人もそこから出てくる人も病気の治療を受ける権利は平等にあるわけです。それは死刑囚であろうとその他の刑法犯であろうと同じ。

このような方々で大きな問題となるなのは出所後の治療継続の場。実は平等に見えてもその点は実際には平等ではないのです。ほぼ全くと言ってよいほど平等とは対極にあると言って良いでしょう。

その場合の受け容れ病院というのは表にはあまり出てきませんが、比較的数が限られているというのが実情ですし、受けたがらないところは受けたがりません。それでも、罪の償いを終えて出てきた人を可能な限りフェアに受け容れるというのは私の勤めている病院も社会のシステムの一部として当然の使命と考えています。

犯罪を犯す人達というのはその犯罪性向を助長する大本の一つは大きく住環境だと考えています。住む場所と生きる意味を無くした人達にそのうちの一つでも与えることは犯罪そのものを減らすためにも必須の事業。

例えば過程の生育環境などの影響で私に生まれながら社会とのつながりがそもそも薄く、誰も社会であなたの存在を必要としない状況に置かれ、かつ糊口をしのぐ仕事も何もなかったら・・・窃盗や強盗に入るような心の敷居が人達もいるのです。

ことは単純ではなく、実際の所、知能が低かったり学習障害などの存在などが有るために、そもそも生きていく為に必要な知識や知恵を学ぶことなく社会で漂っている人達もこの中には数多く含まれているのです。

罪を憎んで人を憎まずとは言いますが、犯罪被害者になったりその家族からしてみればたまったものではありません。それでもなお、犯罪の発生を減らすためにはその様な周囲の環境の調整も本質的な問題の一つです。

続きはまた明日。

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