この前までお世話になっていた退職されたばかりのリネンのおばさんを誘って四日市にいつもの干物を食べに行くというアイディアを、車庫から車を出した後に思いついて(いつもの様に行き当たりばったりで)おばさんを誘ってみたところ、案の定午後からは既に予定が入っているという事でこの案は延期兼本日は没で即撃沈。まあ、子供の様な提案ですから無理もないんですが。w
さて、そこで即変更してみた次の考えは、前回の岐阜の週末小旅行で行けなかった恵那にある中山道広重美術館という方向性。前回の「いわむら城下町」へ行く道すがらの掲示板に広重美術館の書き込みがあったのですが、マップ上では近いけれども目的地とは反対側という事で、泣く泣く訪問先への組み込みを却下した場所だったのです。(時間が午後の遅い時間だったことから仕方なかったんですけどね。)
車も全く混んでいなくてあっと言う間に美術館に到着しました。百聞は一見に如かず。以下の様な感じです。
篤志家による寄贈品で構成された素晴らしい美術館。 ビッグな金持ちの金の使い方で最もカッコイイ金の使い方です! |
奥の方には解説のビデオもあるのですが、 実際に本物の版画を自分達で作成する事が出来ます。 |
素晴らしい構図の錦絵の複製の数々。 |
帰り際に入り口をパチリ。 |
その後すぐに日本大正村へと移動です。これも以前いわむらに来た時に目に入った情報が元になっていて、岩村城城址からさらに奥まったところにある町で、明智光秀のお墓があるところに広がる大正ロマンあふれる村でした。
スタート地点の大正村の駐車場の観光案内所で障碍者割引でチケットを購入。二人で400円だったかな?雨のそぼ降る中walkingを開始しました。
いいでしょ~!この雰囲気! もう、これだけのスタート地点だけで時代の空気の流れを感じてしまいます。 |
郵便局へ上がっていく前の街角。 周りの家々もレトロそのものです。 |
郵便局の中の廊下。 床の雰囲気が素晴らしいの一言に尽きます。 この暗さも自然光そのもので、ギンギンに光がっ入って来るだけの現代の日本の建築とはまた異なります。 |
高峰三枝子>司葉子>竹下景子と美人によって引き継がれてきた大正村の村長さん達のつかさどられる大正ロマン館です。いろんな展示物が沢山。是非行ってみられることをお勧めします。 |
一番右が雷伝為衛門の手形と書いてありましたが、 もう只々あきれるばかりのジャイアントさです。 |
移設されて復元された旧三宅家。 中のいろりは下の写真ですが、本当居風情があります。 |
東京から来たと思しきおっさん達が地元の人の焚く火に酔いしれていました。 |
これは大正時代館。右側に見えるのは個人用テレフォン・ボックス! 当時のお医者さんが家の中に持っていた電話ボックスまでそのまま見えていました。猛烈に金持ちだったんですね。今の医者と比べるとその彼我の差たるや・・・。トホホです。 ここに座っておられたオバサンが息子と私に砂糖菓子を振舞って下さいました。岐阜県人の優しさが我々へ振舞われたお菓子一本ずつで永遠のものとなりました!^^ |
明智公の眠る祠が奥に見えています。 夕方に訪れた雨のしのつく霊廟には息子と私以外誰もいませんでした。 思わず心から手を合せました。息子も真似だけはしていました。^^ |
帰りがけに車を停めて思わずパチリと撮った一枚。 風情とはまさにこの事でしょうか。 |
この前の岩村も良かったですけど、ここも良かったな~。岐阜畏るべし。
※そう言えば司葉子さんの成果は大正ロマン館の直ぐ傍でしたが時間が無くて寄れませんでした。
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