生物が何時の日にか「必ず」死んでしまうのも結局は無(亡)くなるという形で迎える損失、崩壊です。人間の手でつくられた如何なる人工物も最後には必ず壊れ無くなっていきます。
何時の日にかは如何なる絵画も本も装飾品も家もビルも消えますし、遠い未来には万里の長城もピラミッドも消えていきます、更に形にさえもならない人の記憶等と言うものはその人の中でさえ順次消えていきますし、その人を覚えている人が亡くなっていけばその人の存在も大方は忘れられ、時代が経てば数千万であろうと数億人であろうと人類の歴史の中の砂粒の一つとして消えていくわけです。
歴史に名だたる人物達でさえも何時か来る人類の滅亡の日には奇麗サッパリ消えていく訳ですから、我々庶民などの記憶と言うのは精々数十年単位でしか世の中に記憶として存在しません。
推計の根拠によっていろいろと異なる数字が出ているようですが、16万年前の現生人類が登場して以来500憶から1080憶程度の人間がこの世に登場したらしいです。
そう考えると、今の時代に爪痕でも良いから記憶されている人々の数を数えてみると…実に極々わずかの人しか「人類共通の記憶」としては記憶されていません。しかもその記憶されている人達は我々の毀誉褒貶と云うものを受けたところで既にこの世に存在しない訳ですから、文字通り褒めようが貶そうが痛くも痒くもありませんね。w
今の時代、デジタルデータが大量に複製可能とか考える人達もいるかもしれませんが、デジタルデータの保存ほど、これからの時代心配されている「記憶」として存在している不安定な記憶はないようで、皆が持っているDVD等も、普通の家庭での保存状況で十年も経てば再生不可能なんて言うのは極普通。エラー連発程度ならまだしも、記憶層の銀色のコーティング部分自体が剝がれているなんて言うのもあちこちで見かけます。
更に、磁気的記憶媒体も経時的にその磁気が不安定化し消えていきますし、複製を幾ら作っても結晶構造のさらに強固なものの中に焼き付けておくような技術が安価に普及する時代が来なければ今ある膨大な記録の大方は遠く無い未来に「無かったもの」になると思われます。
そう考えると、人類が頑張って「比較的長く」残せるものは第一に人の遺伝子そのもの、そして二番目は知識となるのかなと思いますが、最低限の普遍的な知識として数学、物理学、化学の知識さえ残っていれば人類はやがてどこかで再び文明を再構築し、愛や文学や芸術を自然に語り始めると思うんですけどね~。
宇宙の端っこで頑張って小さな文明を築いてきた我ら地球人も太陽系の外の世界を殆ど探検する事も無くやがては消えていくのでしょうか。
まあ、そのずっとずっと前にこの糞ブログは勿論、このブログを書いているオジサン本人もとうの昔に消失している訳なんですが。w
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