2024年1月29日月曜日

才能の喪失に言葉も無い

心の底から驚きました。

数日前にXのfeedで「セクシー田中さん」の原作者さんと言われる方が、脚本家や日テレと自分の作った「作品の伝えたい大切な部分が改変され、その点に関して何回か交渉を重ねるも結局は押し切られ出来上がったものは自分の意図したものとは異なるものになっていく」というような投稿をされているのがポッと浮き上がって来ていたのを覚えていたからです。

普通ならXから出てくるこんなfeedは読みもせずにそのまま忘れてしまうのが99%なのですが、今回は残りの1%でした。つまりfullに読んだのです。

もともと勇者ヨシヒコの冒険シリーズに出てきていた木南晴夏さんの事が何故か気に入ってしまい、私の頭の片隅にわずか数人しかいない女優さんデータ・ベースの一人として鎮座しておりました。その木南さんが何だか新しいドラマに出演しているという予告の段階から知っておりましたので今回の「セクシー田中さん」も隣で嫁さんが視ているのを良い事に第一話と第二話くらいまでは観ていました。

それ以降は前のめりになる事もなく私はみておりませんでした。嫁さんと次女はずっと視ていたようですが、録画されているという安心感からかそのままにしていたというのが本当の所です。

身の回りには意外とベリーダンスをしていた人が居たので、木南さんとの事も相俟ってこの「セクシー田中さん」には反応していたんですが、あのfeedを見た後では一体本当はどの部分が原作と大きく違っていたんだろうと思ってネットを探したらYahooにはこんな短い投稿がありました。しかし、私は原作の漫画自体を読んでもいない人間なので何のコメントも残せません。

映画を観た後に小説などの原作を読んで「ええ、何これ別の作品じゃん?」と思うような事は始終あって、小説のほうが遥かに良かったと思えるものもあれば、映画のほうがずっと良いなどというのはごく普通の出来事。

だからと言って今回のような原作者が当初合意した「大切にしたいポイント」をその意向を無視して番組にしてしまうというのも何だか古い言葉ではありますが「横暴」だなという気がします。時間に追われるなかで自らが表現したかった事が表せぬままに、改変された意図せぬものが人に評価されていくという恐怖と焦り。創造性の高い人にとっての焦心は想像に余りあります。

漫画家にとっての原作、小説家にとっての原作はやっぱり自分の魂の写し鏡だと私は想像します。その魂に傷をつけられることに耐えられない人が居ることは容易に想像がつくことで、創造的な仕事をしている人にとってそういった行為はまさに四肢を引き裂かれるようなものである事と感じます。

今回の件で自らの命を絶たれたと言われている芦原妃名子さんの才能の喪失とそのご家族の悲痛を思うと本当にやりきれないです。他の解決方法は無かったのかと…悔やんでもその命と才能は戻ってきません。

合掌。

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