2022年11月19日土曜日

悲劇の連鎖

再び同じ様な事件が起こるべくして起こりました

福島で97歳!の男性が運転する軽自動車が歩道に突っ込んでいって40代の女性を跳ね飛ばして死に至らしめるという本当にどちら側の視点に立っても有り得ない程痛ましい事件なんですが、再び大きな議論を呼び起こしそうです。

田舎で移動手段の限定されている高齢者達が、認知能力や反射能力が求められるものより大きく落ちた状態で、凶器に成り得る高速で移動する高い質量の物体を日常的に行動で走らせるというのは矛盾に満ちている「田舎の日常の事実」ではあるのですが、この田舎での日常をどれほど多くの街に住む人間が理解できるかというとほぼ全く無理だと思います。

ただ、田舎でなくとも同じ様に事件が起きるのは毎度のことで、飯塚の爺さんの例を引くまでもなく常に日本の何処かで起きています。物損も人身も事故と名のつくものは若かろうと歳を取ろうと起きるわけですが、通常は若く経験の少ない世代と老いて判断力の弱った高齢者に確率論的に事故が増えるわけで、それは保険料率がU shapeを描いている事からも明白なんですが、どこで運転を辞めさせるかというのは難しい問題ですよね。

若い人間であれば、免許証から点数がどんどん失くなって免許証が失効したり取り上げられたりして終わるわけですが、認知能力が落ちている人のなかにはその明白な能力の低下に「全く抗って」免許の返納をしないような人はゴマンとおります。私がバイト先でみた95歳の創価学会のお爺さんもその一例であることは以前書いたかと思うんですが、こちらが事故の心配をして免許返納の可能性を検討されてみては?とsuggestすると、声を荒らげて「どうやって病院や買い物に行けというんですか!」と激怒していましたし。説得が無理な人は無理です。

そしてこういう超高齢者の場合、悲劇が起きた後は既に本人には責任を取る能力などは存在しないという全くの被害者側のやられ損。飯塚の爺さんの例を見るまでもありません。馬耳東風。糠に釘。悪いのは車を作った会社などとほざきますので。

今回私が心から共鳴できた投稿がありました。それは「自動車は免許を18歳まで取得できない年齢があるんだから、これから超高齢化社会になっていくんだから、反対意見も多いと思うが、免許を返納しなければいけない年齢を法律で作ってもいいと思う。」というものでした。

人には成長という名のコンスタントな老化が起きています。歩けなかった人が歩き、やがて走り、社会を支えるだけの知性と経験を持って社会の中核になったあと、やがては老いて走ることを止め、歩けなくなり寝たきりになりオムツをする事になった後、成仏していくわけです。

救いのない話ではありますが、老いていく途中で自分で凶器を移動させることを禁じる時期を強制せざるをえないシステムを策定しても良いのかもしれません。ただし、移動の足としての公共交通システムや食品・生活雑貨等の巡回販売サービスを拡充させるのをセットにせざるを得ないのでしょうが、税収が減る中でこの政策立案は本当に無理筋の気がします。

要するに田舎に住む人間は公共サービスを諦めざるを得ない時代になってきているという事なんでしょうか。公共システムも人口が増えていた時代とは違い、無い袖は触れない時代になってきていると思います。

最近は道を普通に歩いていても、道を正しく運転していても、いつ被害者になるのかわからない時代。いろいろと恐ろしいです。


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