患者さんの容態が悪化した時に三次救急に送らなければならない場合が時にあります。
基本的には近くの大学病院なのですが、そこに送った後に病状が思わしくなくて大学側の先生から「この方の御親族はどこに居られますか?」となる事が良くあります。昭和の時代ではありませんので、治療行為の区切り一つ一つに患者さん御自身、若しくはその返答によって患者さんの治療指針の方向性に同意を取れる御親族のどなたか、若しくは法的責任を取れる後見人さんが必要です。
最悪の場合、どなたもそのような方が居られずに一時的に「役所の生活保護の担当者」しかその様な役割を担えない場合もごく普通にあります。更にその様な担当者が日中に捕まれば良いいのですが、実際には夜間や週末にも病気は普通に悪化したりすることがあります。当然のことですが我々の都合など待ってくれるわけでもありません。
ごく普通に土曜の夜中や日曜日に悪くなって人数も少ない中で画像を撮ったりデータを集めて大学病院に送るべきか否かを判断し、送らずとも対応できるものであれば直ちに院内で処置を開始し、各エリアの専門医にコンサルしたり、送って高度な治療を施すべきであれば直ちに大学側と調整をして救急車を呼んで送り出すわけです。
そしてそこに重く絡んでくるのが上に書いたような「誰が責任者足り得るか」という話になってきます。結局のところ当院では休日・週末等の生活保護者などの高齢者で自分で判断する能力のない方の治療行為に関しては院長が責任を取ることで対応しています。
高齢になって本当に考えられないくらいの種類の理由によって家族・親族と関係が切れてしまった人々はいろいろな状況でのひとり暮らしの果てに体調を崩して病院で治療を受け、更に長い時間経過と加齢の果てに種々の病状悪化で三次救急に行く、と言うことも今の時代誰にでも有り得るわけです。別に未来の私にとっても他人事ではありません。
そうなった時に自分はどうしたいのか、どう有りたいのかという事に関して頭や意識のしっかりしているうちに「可能であれば」意思表示をしておくべきだと強く思います。実際に、そのような意思表示を早い段階でされていたことで、数年後にその「起きては欲しくないけれども起きうること」が実際に起きた時に安らかな最後を迎えることが出来た方も今までにたくさんおられました。
私自身は・・・既に嫁さんと相互の意思表示を決めてあります。
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