今回の知床半島で起きた観光船の遭難事故は未だ誰一人生存者が見つかっていません。
この時期の北海道北部の海は急上昇するこちらの気温とは異なり精々零度+1桁の温度。更に夜になればそれ以下になるでしょうから、例え救命胴衣を着けていてもアッと言う間に体温が奪われていくのは間違いなく、水面上に顔が浮いていて呼吸が出来ていたとしても体温が低下した状況では筋肉を動かすことは全く出来ません。目の前に陸があることを確認できたとしても、救命胴衣を着用しての遠泳など絶対に無理だと考えます。
体力というのは普通、気力が充実していればこそ維持できるもの。以前、野口さんがエベレストの登山者が寒さと低酸素にやられて眼の前で自分でアンカーを外して崖から飛び降りる話をある番組で話しているのを視て、体力と気力というのは表裏一体だということを改めて痛感しました。その意味で見つかっていない方々の事を考えると暗澹たる気持ちになります。
それにしても、運航会社「知床遊覧船」というのはいろいろな情報を知ればるほど出鱈目だなって感じます。6年前に取締役が交代、最近2年は頻繁に人が入れ替わり更に21年には3月までに人員整理方針に意見が合わなかったスタッフ5人が退職しているとの報道。同じことは車でも同じ。私が移動手段として常に「素晴らしい」と感じるバイクの使用を止めたのは少なくとも名古屋では危なすぎるから。そして車に乗らないときは普通は歩いて移動し、車自体もスタイルで決めず「家族を乗せて安全に移動できる」ということを最重要の項目として選びました。もちろん、軽自動車は最初から完全に除外。ジウジアーロも絶賛する「コンセプト」は素晴らしい日本の軽自動車ではあっても、やはり安全の度合いは通常そのサイズと構造への拘りに比例し、結局のところ安全にはお金をかけるしか無いという結論です。
移動というのは常に「臆病」が最も正解だと思います。
安全の軽視が産んだ今回の大事故。26人の人々の過去と輝かしい未来は金や謝罪では決して戻ってきません。
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