今日は私が日本に帰国して初めて有給を使った日になりました。
アメリカに定期的に帰っている時期も確かにあったのですが、今はそういう事も一切なく淡々と全ての土曜日を当直に宛てている日々でした。まあ、私自身は終末が無いことにも特に何の問題もなく過ごしている状態でしたが、アメリカから今回のように娘達が帰っているときにはさすがにこれではどこにも行けません。
というわけで、帰国後初の週末有給を取って向かったのは福井。最終目的地は山中温泉です。全員コロナの免疫注射が終えている状態でしたので、今回の旅行決行となりました。
そもそも、メンバーは当初5人全員の予定だったのですが、次女は第一週となるネコの糖尿病の治療に集中したいとのことで、一緒には行かずに家に居るとのこと。こういう事を言いだしたときの次女は「絶対に」親の言うことを聞かないのは私自身が知っておりますので私も最初はムッとはしましたが「あ、そ。」で終わらせました。
というわけで、長女と長男、私と嫁さんの四人で朝九時過ぎには家を出てまずは敦賀湾の「気比の松原」の西の端に当たる場所にある「うお貞」というところで新鮮なネタの海鮮丼などを腹一杯食べてパンパンの腹を抱えて気比の松原で写真を撮ったあと、古き港街である敦賀の散策を行いました。
この敦賀という街は実は数年前に100近くで亡くなった滋賀のおばあさんの出身地。亡くなったおばあさんは、この地の当時の異国の風を知っていたのだとおもいます。
旧敦賀港駅舎、スタンダード石油會社倉庫(敦賀赤レンガ)、人形わらべ資料館などを回ってもう少し旅館の到着予定時間まで間がありましたので、その途中で寄れる東尋坊に行きました。(その途上で新田義貞公の墓である首塚があったのですが、既に4時ちょい過ぎで時間が読めず、少しだけ時間が足らないかも?ということで寄れませんでした。)
東尋坊は私が小学生位の頃、松任に田舎のある当時の近所のおばさんの弟さんに連れて行ってもらって以来の再訪でしたので、ほぼ40年ぶりでした。まさか自分の家族とこんな絶景の自殺の名所に再び来るとは。確認されているだけで、およそ20-30人の人が一年に亡くなるとのこと。そもそも東尋坊の名前の由来からして因縁めいていますが、どう考えても危ない崖です。
このマグマが冷えたあとの柱状節理が東尋坊の正体なんですが、何も知らない長女は自分のアートスタッフである鏡の作品を持って崖の端でパシャパシャと写真を撮っていました。私は半分怒って娘に「もう戻れ!」と言いましたが、なんとなく娘は不満そう。(後でまさに娘を心配するお父さん!と言う感じだったと言って旅館で笑っていました。)
さっさとそこを後にして山中温泉の厨・八十八(くりや・やそはち)に到着。部屋の真ん前のテラス部分にそのまま露天風呂が併設されている素敵な部屋でした。到着時にお迎えの男性がきちんと旅館の前で立って待ってくださっており、先ず恐縮。そのあと入った後もキレイな四階が受付で、一階の部屋まで案内して頂きすぐに息子と大浴場への入浴から行動開始。
ところが、実質的な貸し切り状態のように少なくて、「さすがは平日!」と思いましたね。熱い湯に浸かりながら休暇の喜びに浸りました。
そのあと、夕食になったのですがそこでお世話をしてくださった70になったと仰るお姐さんと話があい、互いに酒を差しつ差されつですっかり気分良くなって部屋へ戻った後、気づいたら寝てしまっていました。寝る直前に、
寝るより楽は無かりけり、浮世のバカは起きて働く
という、私が子供の頃に耳元で母が毎晩つぶやいていた言葉を「再び」思い出しました。
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