この前も少し記しましたが、いま、院内で高校卒業資格をとろうとしている女の子を教えています。
一旦は通った高校を何故辞めるのか、私の人生経験の中では周りに居なかったタイプの人間でしたので、その点に関して少し聞いてみると、問わず語りに語ってくれたその経緯は結構酷いものでした。
高校を辞めることを決意するまでの経緯を涙ながらに語った時系列ごとの詳細な話は、彼女の通っていた高校の担任教師の「クソっぷり」を知るに十分なリアリティがありました。
彼女が語るそもそもの間違いは高校の選択からだったというのがかなり明白なのですが、その高校のテストの内容などを聞いていると、やはり今問題の低学力校の一つだと推測できました。彼女が入学してみると特に何もしていなくてもクラスで三本指には入るし、学年では20番以内に入る程度のところだったようですが、そこの担任の彼女に対する発言の数々は「いや、ソレはないやろう・・・」という呆れた発言というか、視線が指導者のソレではなく学生と同じレベルにあって、かつ発想の質が極めて卑しいものでした。
「生徒を信じることが出来ない人の生徒指導」というのはこういう事を生徒に言い放ってしまうのだろうかと思わせる呆れた内容。普段は明るく淡々と病棟の仕事をしている彼女ですが、当時の事を思い出す度にその時の教師の呆れた発言に傷ついた事が解るような静かな涙をポロポロと零し続けました。
そんな彼女に勉強を教えていて気づいたのはかなり明確に高い理解力があるということ。順を追って説明するときっちり理解することに嬉しくなるくらい十分な理解力。ただし、もう一つ明白なのは全くドリル等をしていないために基礎的な学力という点で小学生の基本的な演算レベルのことに戻る必要があることが多々あることでした。簡単に言うと、理解できる範囲が小学生の内容から高校生の内容までごちゃっと混ざっていて、上の内容の理解をしようとする時に随分と低学年の内容をおさらいしておかないと、折角の高度な内容の理解も勿体ないような結果に終わりがちになることです。
今回の勉強では、確実に高校卒業資格を得るために決して落としてはならない基本的内容に関して繰り返し繰り返し教えながら、高みに登っていこうというものです。教え始めた以上、最長2年程度の時間の中できちんと彼女が高校卒業資格を取得して、看護学校の受験資格を手に入れることで、人生を生きていく自信を得る手助けをしたいなと思うのでした。
それにしても、自分の高校の頃のことを思い出しても、教師の中にはやっぱり「人として問題がある輩」が稀ならず混じっているんだなと改めて当たり前のこととして感じるのでした。自分の人生の中で、幸いにしてそういうのにあたった事はそれほど多くはなかったのですけど、中学の頃の英語の教師とか大好きだった英語を大嫌いにさせるほどの破壊力を持った嫌な野郎でしたし、もし今あの当時の英語教師に会うことが出来たら相手が解からないレベルの英語で罵倒してやるのも有りか?いやいや、それはあんまりだ・・・などと下らない夢想をしてしまういい年こいたオジサンでした。
勉強なんて失敗したら成功するまで何度でもやり直せばいい。おとなになってこそその事がよくわかります。教師は若い魂を決して挫くこと無く励ましを以て高みに向かわせるビーコンであって欲しいと強く願うのでした。
2 件のコメント:
働きアリの法則(二割八割の法則)と同じで、クソ野郎は教員だけでなく全職種にいると思いますよ。医者の中にももちろんいますね。とんでもない患者の扱いをする輩。
高校に関して言えば、そういった輩に当たらない確率を増やすには大規模進学校に入学することです。現実問題として底辺校は小規模化していますので。
言わずもがなです。w
なるほど、今の高校というのはそういう感じになっているのですか。
やっぱり勉強せずに容易に入れる高校というのはそういうリスクが待っているんでしょうか。
私には経験がないのですが、周りで次々に友達が辞めていく高校とかに通っていたらモチベーションも下がり気味になってしまうのはある程度仕方ないのでしょうかね。義務教育ではないだけに、辞めるというのも選択肢ではありますが、一旦辞めてしまうと卒業資格の再取得に向けた道は素直に通っているより厳しいものが待っていると云うのが娘さん達を観察しての素直な実感です。
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