2020年4月19日日曜日

危機の時にあらわれる人間の本性

先日、ある大学病院に勤める教授と話をしていて大いに盛り上がった話がありました。

それは、今回のコロナ危機における他の各教授達の知られざる一面に関するお話。その先生曰く「あ、この人こんな人だったんだ」というのが今回の危機において浮き彫りになったという話です。

今回の疾患では医療従事者であろうとなかろうと、感染した時に年齢が上であるほど「病態がシリアスになるリスク」が高まるというものが存在するというという厳然たる疫学的・統計学的事実があります。

こういう事というのは人生においてなかなかイベントとしてはやってこない医療従事者としての一大事。たとえ防護具に身を纏っていてもそのリスクは目の前に存在していることは間違いありません。感染していてもほぼ表面的には何事もなく日常生活を送っているであろう、いわゆる「不顕性感染」という状態で今回のウイルスをやり過ごすことの出来ている幸運な人も比較的多くいるでしょう。しかし、多くの中高年・高齢者にとってはそうでない場合が多そうだというのが現時点での推測。

そして、大学で各医局のトップに立つような人間は平均して言うといわゆる中高年世代以上の人間が多いのが事実。ところが今回の感染症騒動で先頭に立つべきは病院の医療従事者とその先導役であるべき教授連中とうのは当然の話。現場の若い看護師と先頭に立つ医師だけが防弾役になって済むものではありません。

ところが、その教授が今回の教授会で知ったのは、いつもは目立った陽なたに立つような仕事を「率先して」さらって行くような人間が、今回のウイルス対策の関係者会議においては「先生、私XXが専門ですから今回の会議や対策に関する事案には関わる必要ないですよね」と言って率先して自らは関与しないことを申し出てくるんだそうです。

誇りを持って前線に立つことこそが、いま我々医療従事者が示すべき態度とは思うのですが。

危機というのは多くの場合、マニュアルの存在のない状態でやってくると思います。プロ同士が行う国家間の戦争など、将来の仮想敵国との戦闘においてもありとあらゆるシュミレーションを行ったところで実際は想定を超えた動きや事態が次々に発生するというのが毎度のこと。それをどう乗り越えるかが頭に立つ人間の能力の見せ所なんでしょうが。

今回のウイルスに対する対応はまさに医学における戦争。その対応に戦闘を行うこともなく、指令も聞かず自ら何も考えず白旗を揚げるような人間は、通常脱走兵"deserter"として軍法会議、もしくはその場での銃殺です。

いつもはエラそうな事を言っている教授陣の中に日ごろと反対の行動を示す脱走兵同然の人間が居るなか、逆に汚れ役、辛い役をしてくれる人間がいつもは目立たない人の中から現れてくれることは戦争と同じ。今回のような命の関わるような危機とうのはそのような人間の剥き出しの本性を炙り出す一種のリトマス試験紙、試金石となっているようです。今回一緒にお話した教授も「よーく判ったよ。参った。」と言って苦笑いしておりました。

今度の戦争が終わった時、あなたの周りで交友関係というものが変わる人も出てくるのでしょうか。自分の「人を見る目」というもの自体も試される事となるのでしょう。目が曇っていないことを祈るのみですが、己のメガネのレンズを一旦拭くべき時期なのかもしれません。

戦争であなたの背中を預けられるのは誰なのかを知るのは辛い事なのでしょうが、長い目で見ると、逆にあなたが一生大切にすべき友人を見出す良いチャンスなのかも。


2 件のコメント:

シャッチョ さんのコメント...

激しく同感です。

自分が実はどんな人間だったのかもわかり、これからの人生が変わりそうにも思います。
「結局のところ命かお金かの選択を国ごとにすることに」と言うと、ほとんどの大人が「そう簡単にはいかないんだよ」と、言いますが。「あなたには無理でしょうね、www」
と返しておきます。やらない理由探しの上手な人の多さに驚きます。公務員でも首相でもないのに。
これからも、本音の記事を楽しみにまちます。

small G さんのコメント...

医療従事者は基本的に今回の事に限らす、リスクが高い種々の感染症においても殆どの人達は「立ち向かって」いきますし、海外国内に関係なく正直「危険」を感じつつも、必要なことは全部やっています。
しかし、そんな医療従事者の子供達を感染のリスクファクターとして学校なんかでいじめたりするやつが「報道で言われるように」本当に居るのでしょうか?

いつものようにマスゴミが作った嘘だと思いたいものですが。真実は奈辺に。