2018年10月26日金曜日

おばあちゃんと大笑い

今日は病棟の私の受け持ち患者のおばあちゃんとお話をしていて”全くだ!”と共に大笑いしたお話を一つ。

人間、80前後になると一口にお婆さんと言ってもその生物学的な老化の程度は全くもって違います。本当に生きているのが不思議なくらいに老け込んでしまっている人もいれば、60歳ちょっとですかね?というほど、真に驚くべき若さと美しさを兼ね備えた人まで様々。

毎日のようにカルテを見ては、人のカレンダー上の実年齢と、生物学的変化を経た上での年齢を目の前で比較し続けるのが一つの仕事である私はときに驚くほどのその二者の間のギャップに”ウーン”と唸ることもしばしばです。

そのギャップは概ね中身と外見がパラレルであることが多いと言えるのかなと日頃思うのですが、そうでないことも勿論あって、このお婆さんの場合は見た目はそれこそTHE80という平均的なものであるものの、精神的活動性が実に「賢人」レベルの旨みと豊かさを持った方。

お話をしていても、人情の機微に対する理解の表現や、病棟で活動する各種の人の活動に対する講評を伺っていると、話す度に「ああ、この婆ちゃん実に賢い」と思わざるを得なないのです。

私は、普段病棟業務に携わっている多くの人が動けない人や一見すると発言の量の少ない人が実は深い洞察力を持っていて、心の内側からビシッと厳しい人間観察の一言を吐き出すことがあるという事実を多分に勘違いしていると思っています。

そこら辺の受信力が鈍感な人はその厳しい一言の含む毒に気付きさえしないこともあるようなのですけれども、実際には一見するとぼけているように見える人でもその観察力の鋭さに目眩がするような言葉を残したり、ちょっとしたメモを残して病棟を去る方々も・・・。

人は見かけによらないとは日々経験してはいても、ついついその事実を忘れがちな愚かな己に警鐘を鳴らす人々がいるのは間違いありません。

今日はそのおばあちゃんが病棟回診中に私に”あること”で泣き笑いするようなほろっとする話をしてくださった後に、話題転換して一言「ねえ先生、わたし思うんだけど、いつも頭の中では自分が30くらいの感じなのに気づいてみたらもう80過ぎてるのよね。」といって、大声で笑ったのです。

私はソレに応えて一言「私も精神的な感覚としては本当に大学生の時のまんまですわ。ただ外見はおっさんになっていくし、恥ずかしい想い出だけは年相応に降り積もるだけです。」と話したところ、「あらお互いおんなじね〜!w」と声に出して大笑いされたのでした。

こういう瞬間って世代を超えてつながる感覚というのを共有できる素晴らしい人生の贈り物だと感じる私です。

2 件のコメント:

Maki さんのコメント...

世代を超えた精神のつながり、素晴らしいです!
自分の精神の感じって、ひとによって「止まったとき」がいろいろあのですね。
わたしは大学生くらいかな、と思っています。

人間が年月を重ねていく年齢は;
 精神的年齢 
 外観劇年齢
 身体的年齢(内臓など)
から形成されるというところでしょうか。
そして、それらの一致は個体差がありますが、どのような背景でそんな差が生じて行くのか興味深いなあと思ったのでした。

small G さんのコメント...

なるほど、言われてみればその人にとって「精神的に外の事象を観察する感覚」の止まった時というのがどの時点かという”個人差”が(あるとすれば)生まれるのは興味深いことですね。考察する価値がある内容だと思います。

Makiさんのお話で私にとっての新しい視点は物理的な年齢に外観と内蔵などの年齢の2つあるという考え方ですね〜。
私はどうしても外観は内臓の影響を受けて共に加齢というような考え方をしてしまうのですが、言われてみればそこにギャップがある状態というのは特にアルコール過飲者などではごく普通ですし、最終的にそのギャップは抜きつ抜かれつだと思うんですが、その考え方は今後も頭に刻んでおこうと思います。

有用なコメント有難うございました。