年功序列というのはもしそれが完全に字面通り実行されたらびっくり仰天の世界が出現します。
それは有能無能に関係なく先にその仕事を始めた人が上のポジションを占めるという世界。しかし、そんなもんは共産主義の世界でさえ出現したことはありませんし、むしろ共産主義の世界では逆にもっとエグいポジション争いが出現しているのは世界の短い寿命の各種の社会主義・共産主義国家の変遷を見れば明白ですよね。
それらの国々では文字通り、指揮系統の上下関係を決定するポジション自体が、生きる目的の全てになってしまうという状態ですから、恐ろしいことには文字通り命を懸けた血みどろの闘いで相手を蹴落とすことに全身全霊をかけざるを得なくなるというポンチ絵のようなシステムが自然と構築されてしまうわけです。
競争で相手が落ちていった後も、もしくは蹴落とす過程で、相手の復活の芽をも摘み取るために矯正収容所に送り込んだり暗殺したりするのも彼らの中では日常になる訳ですから残った勝者は自然と非人間的な連中が多いのは当然の選択。スターリン、毛沢東、ポルポト等々枚挙に暇がありません。
それじゃあ日本の身近な職場の組織では・・・?と問えば、そこまでの苛烈さはないものの、個人の能力やその仕事への適性などの上に運の組み合わせが重なってやっぱり仕事の出来る出来ないが浮き彫りにされて、年齢に関わらず”多くの組織では”ポジションの年齢によらない上下動が多少なりとも発生するわけです。
ところが、この論功評価の場面で多くの間違いが発生しているのもこれまた日常。人事に関して株主に評価を受けることの無い身内優先の組織を筆頭として、自分の言うことを聞く人間を優先的に引き上げ続ける典型的な”破滅に向かって突き進む”駄目組織も世界中にわんさかあります。
無論、これらの組織はその己の愚かな行為の結果を時間をかけて「崩壊」という形で己に提示し続けるのでしょうが、そのスパンが30年とか50年とかかかることも多いわけで、中にいる他の人達は能力がなくて他に転出できないときは短い一生にわたってその被害を自らかぶり続け、呪いの言葉を吐きながらも仕事を続けなければならないわけですね。いい迷惑ですが。
それでも、潰れないだけマシである人生であればまだまだ報われたほうなんでしょうが、その崩壊する雪崩に巻き込まれた人達は当然路頭に迷うわけで、己の選択を呪う人生を送るのでしょう。だとすると、どっちに転んでもベストの人生とはとても言えないはず。とは言え、自分の人生の指揮官を自分と決めて一生を送れる幸運な人はそれほど多いわけでもなく、あのドラッカーでも「自分の人生をもう一度やり直すなら・・・」等という詩を書く事に。
一生の中で「あいつが何であんなポジションにいるんだ?」「俺はここなのに」等という繰り言を出さざるを得ないような事象は毎日世界中で起きているのですが、それはあなたの選択と運と能力の問題。そこを突き抜けるべく手を尽くしてがんばりましょう!(手遅れかもしれませんが)w
当たり前ですが、いろいろな組織の周りの人を見ていると、仕事と人生というのは簡単にはいかないものですね。自分の人生の台本はいつも自分で書いていたいものです。
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