2018年10月27日土曜日

本物の偉大なる研究者が亡くなられた

私にとって30年来の本物のヒーローであった研究者が亡くなられた。

西澤潤一先生、享年92。

誰が名付けたか「闘う研究者」「Mr.半導体」等と言うニックネームで呼ばれていました。何時のことだったでしょうか。今ではもう思い出すことも出来ませんが、何かの雑誌の記事か何かで次のノーベル物理学賞は西澤潤一という名前を読んだのは。

その業績を読めば読むほど、知れば知るほど「日本にはこんなに恐ろしい飛び抜けた怪物がいるんだ・・・」と畏怖の念を抱いたものです。比較するのもおこがましいのですが、研究する畑は違えども、同じ研究者という肩書のもとSomething NEWを追い続けてきたものとして、その余りの業績にただただ立ち竦む思いを抱いたのは私だけではないはず。

研究の詳細は今後もネット上で細かく記事になることであろうから私がここで何かを書くことはありませんが、ダイオードのみならず、このインター・ネットの基幹部を支える光通信技術の基礎は発信・増幅・伝達・受信に至るまで、西澤先生の恩恵に預かっていないものは無いと言えるほどの工学の孤高のモンスターであったと思います。

後年、教育問題などに辛口の提言を続けられた先生ですが、それも危機感と愛あってのこと。日本の工学を戦前から引っ張り続けてきた東北大学の意地と伝統を立派に増幅されて本物の星となって去っていかれたのでした。

怒鳴り合う中で多くの実績ある優秀な後輩たちを産み育てていった西澤道場と言われた研究室。ネットでので記事によれば、頭の回転の速い人ではなく、頭の回転の強い人になりなさいと仰られていたとか。回転が早くても坂の急な難所では停ってしまいますが、強い人ならギアをローにして、例えゆっくりであってもその急所を登り続けることが出来る。なるほど、本質を突いた上手いことをおっしゃっていたわけです。

いろいろなことがあってノーベル賞そのものは受賞されませんでしたが、人類への貢献という意味ではノーベル賞を二回くらい受賞してもまだまだ全然足りないと思えるような化物クラスの偉人でした。そういう”存在のでかさ”という意味では「ノーベル賞も南部先生を表彰できるほど偉い賞になった」と言われた、あの南部陽一郎先生と同じだったのかなと。

西澤先生に最敬礼をしてその偉大な業績を偲びたいと思います。

0 件のコメント: