2018年8月20日月曜日

甲子園の熱闘に思うこと

やっぱり物の見方がひねくれているのかなかなか球児たちの試合を真っ直ぐ見つめることが出来ません。w

私にとって要点は一つで、この短期間に頂点を極めようという選手たちの中でも特に投手に絞ってみると大きな問題があると考えるのです。このゲームは何とか形を変えんといかんのではないかと。

日常の練習試合だけでなく、本番の甲子園に関して言えば春と夏、そして特別優れた選手に関して言えばそれが高校在学中に六回も波状攻撃のように彼ら投手の肩を痛め続ける訳です。プロのスカウトなんかは良い投手を見つけると「一刻も早く負けてくれ!」と思うらしいのですが、それも当然かと。

MLBのスカウトは昔から「肩は消耗品」と割り切っているとどこかで読んだことがありますが、投げた回数分だけ擦り減り続けるものだという前提で全投球をカウントしていくといいます。

無論肩の壊れにくく強い選手も居ますし、昭和の昔は日本のプロ野球でも今では絶対に有り得ないような連投でピッチャーを酷使し難局を乗り切る、なんていうことが伝説となり、鉄腕の美談として語り継がれている事も多いのですが、そういう極々限られた例外的な肩と運を持った人物達と比較してガンバレという言葉で選手たちを追い込むのは全くの間違いだと思います。

今回の甲子園も「皆様の犬HK」と「アカヒ新聞社」主催で美談美談の連発が報じられていますが、決勝まで行く物凄い投手達の酷暑の中での連日の連投に一体何時までそんな美談を被せて居るんかいなと・・・。

本当に彼らの将来を考えるなら、もっと期日の間隔をあけるのは勿論、スポ根の裏に隠された勉学無視で突き進む監督やコーチ達のシゴキや越境入学の実態、部内でのいじめ、怪我や故障で去っていった選手達などの話もキッチリ伝えるべきだと思うのですが、赤が自分の首を絞める様なそんな報道するわけはありませんわな・・・。

本当は長く輝かしい将来があったはずの無数の素晴らしい逸材がこの舞台の存在のためにどれほど消えていったのかと思うと暗澹たる気持ちになるのですが。甲子園までで消えていったそういった球児たちは甲子園の中継をやはりノスタルジアを持って眺めるのでしょうか。

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