2018年8月15日水曜日

終戦記念日

73回目の終戦記念日を迎えました。

ほんのこの前まで、アメリカ側に住んで日本に対するVJ-Dayの事を書いていたのですが、それが嘘だったかのようにこちらでの日々が矢のように飛び去っていきます。

先の戦争では多くの日本人が紙切れ一枚で国家の命令のもと大陸や太平洋の島々に派遣され、海で、山で、ジャングルでその骨と肉と命を散らしておりました。そして日本の各地ではこれまた逃げ惑うばかりの女性や子供、年寄り達が、愚かな国家の愚かな作戦のもとでそれこそ悲劇的な死を重ねていきました。

トドメは広島と長崎。それでも軍の一部は戦争を継続しようと必死になって玉音放送を阻止しようとしたのですから、これを狂気の沙汰と言わず他に何と言うのか表現のしようがないですわな。

別にアメリカが正義で日本が悪だったわけでもなく、その逆もまた真ではありません。資源を巡る争いがもとだったとは言え、その裏には人種差別や帝国主義の残渣、各国の渦巻く陰謀などが複雑に絡み合ったわけで、その辺の単純な小説や映画で一、二時間で描き切るような単純なものではありません。

戦争というのは為政者が決して起こしてはいけない国家のイベントであり、一度起こした戦争のもたらすものは決してその残虐さに限界というものが見えない狂気の殺戮と破壊以外の何物でもありません。

眼の前で愛する家族が無意味に殺され、その復讐として名前も知らない、顔も知らない相手を憎しみの黒い炎で焼き尽くそうという行為の無限の積み重ねです。戦争というのは始めるのは簡単、それを鞘に収める事が如何に難しいかは歴史が何万回も例示しているのですが、愚かな人間は本当に学びませんね。

人ってやっぱり原罪ってのが有るんでしょうね。生きるためには動物を殺し、植物を刈り取り、子孫繁栄のためにそれが足りなくなったら殺してでも奪うということの延長線上に戦争が有るんでしょうか。

縮小均衡とミニマリズムいうのは一つの知恵だと思うんですが、みんながみんなそうは行かないしね。人として生きるってこと自体、本当に難しいです。

73年前の悲劇に祈りを捧げた今日の一日でした。

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