2018年5月11日金曜日

何でも治療できるという勘違い

未だにどの科のどのレベルの診療でも「治療できない」病気は無数にあります。

これまでも無数にあったし、これからも人間が居る限り無数にあります。「治癒」という言葉の範疇では未来永劫治療できない病気は存在していくことでしょう。たしかに昔は想像すら出来なかったような、「治療」に難渋した病気が驚くほどの確率で治癒したと言っても過言ではないレベルで病気が良くなるチャンスも本当に増えました。

とは言え、これからも治せない病は次から次に治される順番を待って列を作り続けると思います。

当然のことなんですが、必要性という意味で世の中の治療の流れはまず症例が多い病気に対して開発の金が向かうんですね。肺炎やかぜ症候群等の感染症、癌、循環器、精神疾患、睡眠、排便の異常等の数(かず)が出る病気の数々。それも、国やエリアによって投下される資金の向きは変わります。

例えば熱帯地方で世界最大の影響を及ぼすマラリアへの対策や研究には巨額の資金が投入されますし、先進国で絶対に欲しいと思われた薬である抗HIV薬等もありえないレベルの集中的な頭脳と資金の集中投下で素晴らしい薬が次々と開発されました。

同様な例として卑近なものは肝炎ウイルスに対する治療薬。これはまさに福音そのもの。ごく短期の経口薬の投与で血清中のウイルスの検知が出来なくなるレベルまでほぼ100%の確率で治療が進むというのも21世紀の医学の勝利の一つです。やがて間違いなく肝炎ウイルスの治療というのは移植も含めてメインテーマとしては日本の医療現場からは消えていくことでしょう。

それでも、昔からあるアルコール中毒いよる肝炎は未だに多くの人に悲惨な結果をもたらし続けておりますし、今後もアルコールでの肝硬変とそれに関連したiPS等を使っての再生治療は確実に導入されてくるでしょうが、これは医療経済学の激論の中で大きな問題で有り続けることでしょう。

上に書いたように、今の時代、多くの病気に対して大変よい治療法が確立されてくる一方で、なかなか治らない極ありふれた病気が沢山併存するというのがごく普通の景色なんですね。しかし、こういった時代背景の中では病院に来られる御家族の中には”治って当然”という前提で来られる方が多いのも仕方のないことなのかもしれません。

そういう意味では、これからも、ベスト・エフォートを払っても結局は助けられなかった患者さんの家族の中から医師や病院を訴えていかれる方々は尽きることはないでしょう。しかし、よっぽどマトモでないことをする一部の医師でもない限りはほぼ全ての医師が良心・倫理と現代医学の理論・技術の標準に従って日々努力しているということも理解してほしいなとチョコっと考えたりするオジサンでした。

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