2025年10月31日金曜日

ムラサキおばちゃんの破壊力

やっとというか、何というか一連の騒動は一体何だったんでしょうか?

伊東市の田久保市長の除籍隠匿経歴詐称オバサンが遂に退場というか退学になりました。民主主義がこういった事態に対して無力であることを改めて見せつけた状況となりましたが、まことの意味で「恥を知らない、感じない」タイプの人間の恐ろしいほどの強さを見せつけられた気がします。鉄面皮というのは滅多に実物を確証付きで見られるものでは無いですが、今回は(伊東市の選挙民の皆さんには申し訳ないですけど)見させていただきました。

それでもこの短期間の就任で200万弱の退職金を掠め取っていく訳ですからこの前の出直し議会選挙での6300万前後の税金と云い酷いもんです。おまけに市長選は追加の2500万円。このムラサキおばちゃんは今後伊東市に住み続けられるんでしょかね?後ろ指をさされながらあの真っ赤な小型車で近くのスーパーやレストランに行き続けるんでしょうか?鉄面皮ですからそれくらいは十分にあるのかもしれませんが。

結局、学歴詐称の履歴詐称というのは犯罪ですから、東大法学部を中退だろうと東洋大法学部を除籍だろうと大卒では無い訳で、卒業していないのに卒業したというのはやっぱり詐称であって人に選ばれる人間としては完全にアウトです。

最後の最後まで同じ東洋大卒と云われる弁護士の浅知恵に乗っかって醜態を示した訳ですが、この弁護士の愚かなところは試合に勝って勝負に負けたみたいな選択を受け容れた事でしょうね。一時的には法廷闘争みたいな感じで引き受けたんでしょうが、クライアントの鉄面皮に更に恥まで上塗りしてあげたのが東洋大法学部の限界でしょうか。

正しい人を選ばないと民主主主義も一気にこれほどガタガタになるというトンデモナイ見本を痛みと共に日本中に見せてくれたのでした。詐称を見抜く事は通常は調べるまでもないファクトの筈ですから普通にはムリでしょうが、今後はこういった経歴に対するファクトチェックは普遍的になって来るのかもしれませんね。

「名をこそ惜しめ」という言葉、この破壊力抜群のムラサキおばさんは東洋大学で学ばなかったようです。w

2025年10月30日木曜日

書類、書類、書類

最近の病院の医師の仕事は本当に書類との格闘です。

昔研修医だった時にはもっと自分の勉強や他の仕事に時間をたくさん割いていた記憶があるのですが、最近は病院でどのステップを踏んでもペーパー・ワークで仕事の時間が圧し潰されそうです。

完全電カルであれば、あるステップから次のステップに移行する時点で必要な書類が自動的にプリントアウトされてくるのですが、自分の勤める病院ではまだそこまで出来ていないので、そこを手動でしないといけない上にいろいろな情報を紙カルテで掻き集めて一つにまとめるというトンデモナイ昭和の仕事ぶり。

何のためにコンピューターというものがこの世に存在しているのか全く理解できないレベルで愕然としています。要するにシステムというのは通常トップダウンで決められるものですから、その様なシステムを導入する意義を理解できない人間がトップもしくはその近傍に控えていると「ムダ金」と映る訳です。

フル電子化によってもたらされるメリットは計り知れないのですが、現場にいない老害ちゃんレベルの事務系の人間にはそういう言う事が全く理解できない輩が世の中には沢山居るのです。例えて言えば金の卵を産み続けるニワトリが他のニワトリよりも高いけれども、時間が経つにつれて金が溜まっていくのはそのニワトリを買った人間になるというか事が理解できない。もう終わってます。w

ですから、こういう決断が理解できない人間にはお引き取り願うしかない訳ですが、こういう人間が病院経営者の腰巾着だったりした時に、経営者がアレな人だったりすると判断が遅れ続ける訳です。幸い私の勤める病院は理事長がある程度そのあたりは理解しているようなので問題は無いと思いたいのですが…。

ちょい話がずれましたが、病院の電子化は進むものの医師が作成しなければならない書類は役所向けのモノも患者さん及び家族あてのモノも含めて増える一方です。なんの事は無い、電子化されても時代の要求が逆に昭和の頃より紙の書類のプリントアウトを増やしているというまことにお粗末なお話なんです。

大学病院などでは、治療開始や術前に誰が読む?というレベルの小さな文字がビッシリと印刷された分厚い紙の束がプリントアウトされてきたあと、その多くにサインを次々させられる訳ですが、コレって説明というより万一の際のエクスキューズの説明書ですよねという気がしてならないんですが、それが時代の流れというものなんでしょう。

役人と弁護士が幅を利かす時代と国に碌な事は起きません。

2025年10月29日水曜日

初デイ・キャンプ

 先日届いたキャンプ道具を実際に現場で展開使用してみる為にデイ・キャンプを考えました。

夜間に丸一日を通して使う可能性のあるキャンプ道具というのは実際にその現場での快適性のみならず、命にかかわる道具でもあります。薪ストーブ、石油ストーブに絡んだCO中毒は命を奪うネタになり得ますし、寒さを防ぐその他数々の道具は文字通り凍死のリスクを回避させてくれる命の防具。そして、雨露を凌ぐ防水関連のシステムはこれも命に直接つながる重要な道具です。

何のかんの言って、キャンピングでは所詮は非日常で、何か困った時に医療や安全のシステムが傍にある訳でも無く、何から何まで殆どが自分の責任で行われるもの。寝る、食べるという基本的にはたった二つのこれらの事を達成する事がキャンプのコアな部分。

これら二つがきちんと出来る環境の準備を行う事がスムースに出来れば後の修飾は贅沢なおまけです。勿論、余裕が出来て来るとこれらのコアな部分以外にいろいろと付け足していく事が出来るようになる訳ですが、私はまだまだど素人ですから設営してカレーを作って空いた時間にちょこっと本を読むくらいで全てが終わってしまいます。w

まあ、それで良いんですが!

今回は三河高原キャンプ場がそのチェックの舞台。そもそも最初は三河湖の脇の山彦キャンプ場に行ったんですけど、水曜の平日には休業状態になっていましたので、グーグルで探すと車で20分の所に三河高原キャンプ場がある事を発見。先ずは電話をしてみると、4時までならデイキャン出来ると言われましたので、よろしくお願いしますとなりました。

実際に行ってみるとキャンプしているのは私だけ!しかも広々としたキャンプ場のどこを使っても良いと言われましたので喜んで山側のサイトを貸し切りとなりました。牧場側も魅力的だったのですが、取り敢えずは水場の近くできちんとセットアップと確認をするのが最大の仕事ですからここで良かったのです。

実際に展開して生まれて初めてタクード(石油ストーブ)をテント内で使いましたが、ナルホドこれは素晴らしいと思いました。暖かくなるだけでなく、メスティンを使ってあっという間にご飯も美味しく焚けました。

今回は練習という事で、テントも真面目には張らず、その他のモノも展開と収納の練習に集中しました。そもそもココに着いたのは12時前後。セットアップが終了したのは一時間程度。読書の時間はそれでも一時間ほどあり「言志四録」を読むことが出来ました。

途中、雨に降られる事も無く、少しだけ肌寒い中で天を仰ぐ姿勢での初デイ・キャンプでしたが、ハヤシライスも美味しく食べられて何よりでした。^^

今度はこれらのシステムを使ってO/Nでの滞在が目標です!また楽しくなってきました。しかし、やっぱ料理には到底力を削ぐレベルには到達しとらんですね。( ;∀;)


2025年10月28日火曜日

うわーっ

遂に恐れていた事が起きるようです。

とは言っても、ホラーその他の出来事を経験した訳ではなくて、時折ポストに投函されるペラペラのお知らせが我が家では最近一喜一憂のネタになっているのでした。

それは私の住むマンションの隣に「遂に」何が出来るか判明したからです。私がアメリカから帰って来て今年で11年目。マンションに移り住んで10年の時間が経とうとしていますが、当初ここに移り住んできた時に隣にあったのはある大手の会社の独身社員寮でした。

それも2~3年程度で廃寮となり、今年の初めまではそのままずっと誰も済まない部屋の群れが目の前に奇麗に管理されたまま残っていました。しかし、それが急に動き出したのが今年の春から。急に解体作業が始まり更には整地作業がずっとずっと続いていたのでした。

内心で「あ~、遂に誰かの資本が投入されるんだ…」と思っていたのですが、つい先日我が家のポストに投函された紙には「駐車場が出来ます」というもので、嫁さんと二人で「良かった良かった取り敢えずこんな所に企業の税金対策かなんか知らんけど駐車場が出来るんだね」と喜んでいたのです。しかし、内心では一体いつまでそんな使われもしない駐車場がそのまま駐車場で」ありつづけるのか?いやそれは無いだろうと答えを自答で返してきます。

それから二週間も経たないのに今度は「やっぱり」の紙切れが入ってきていました…。それは案の定、というかほゞ当たり前の通知である「新マンションの建築工事開始の挨拶」でした。

案件の紹介によれば高さは5階建ての低層マンションで、自分達の住んでいるマンションと視線がかなり重なる状況です。渡した詩の家はその新マンションに対してバス・ルームが見える側になる状況で、唯一そこだけが気がかりです。

自分たちのマンションは以前ここに建っていたマンションが解体されて出来上がったものだという事は知っていますが、やっぱり如何なる建物も立てては壊され建てては壊されですね。しかし、日本はそのサイクルが早すぎ。アメリカやヨーロッパではビルでも50年100年は当たり前。我が国もどうにかならないんでしょうか。

新築マンション、きっと高いんだろうな。材料費上がってるし…。

2025年10月27日月曜日

いろいろなキャンプ用品追加購入

 結局、この前のキャンプに行った後に徹底的な持ち物に対する吟味と反省を加えました。

そもそも前回のキャンピングでは持っていった荷物の半分は「要らんもの」という事が明白になりました。アレも要らん、コレも要らんという感じの連続で、テントサイトまで持っていったいろいろな荷物の半分は手も着けないでそのままという状況でしたので、余りの己の無計画さに流石に啞然という感じ。orz

そこで、足りないものを頭で想像していろいろとベストなものをアマゾンやネットで渉猟。レビューは写真や動画を添えているものを中心に参考にして買い物ボタンを押しました。

買い足したものは以下のような感じ。

  • インナー・シュラフ
  • コット
  • 緊急用ラジオ(ライト付き)
  • 電動エアモーター
  • 携帯浄水器
  • 水タンク
  • 灯油タンク(ストーブ用)
  • 小型の吊るし電球X2
  • OD缶CB缶アダプター
という感じでした。全て、キャンプをした時に「ああ、これがあると全然違うのに~」というものを厳選しました。結局、最初からベストのものを…等という様な効率の良い最小投資というのは出来なくて、経験値を高めるのはやはり少々の出費と火傷が発生するのかなと思います。(特に私のような無計画な人間には!)

実際に家にやって来たものを展開して確かめてみたら、今までのモノとは劇的に違い過ぎて感動してしまいました。結局、右に左によろよろしながらも最終的に持ち物をミニマイズしたキャンプに行ける事にチャレンジしている状況が一番楽しいんだと思います。

その上でキャンプを愉しむというギヤを気にしないところへ到達したいなと思うんですが、辿り着けますでしょうか。繰り返していくだけです。

2025年10月26日日曜日

事勿れ事勿れ

熊退治の件でずっと思うのは「ことなかれ主義」という言葉。

語源は大正時代に発生との解説を載せていおりますが、例えば職場等においては以下のような特徴を持つとの記述があります
  • 会議で改善提案など積極的な発言を控える 
  • トラブルが発生しても様子見の立場を取る 
  • 新たな挑戦より現状維持を選択することが多い 
  • 問題を見つけても直接指摘しない
まあ、何だかその通りだよなという感じの事例ですが、AIの誰も傷つけない心優しい解説によると問題やトラブルに直面した際に、波風を立てずに穏便に済ませようとする考え方や態度のことです。具体的には、問題を指摘せずにその場しのぎで対応し、対立を避けることが最優先となる姿勢を指します。このような態度は、日本の文化において調和を保つことが重要視されるため、長らく許容されてきました。とあります。w

結局、こういう事を今の時代も続けていると最後に待っているのはかなりの確率で突然死ではないでしょうか。事を荒立てて騒ぐだけ騒ぐ無意味なレベルの事大主義も愚か者の所業でしょうが、眼の前に見えている問題に蓋をするようなやり方は本当にどうにも通用しない時代。そういう意味では突然死というのは外聞の人間から見るとそう見えるだけで、内側の人間から見ると死に向かって進む茹でガエルのような組織の死が見えているのではないかと思うんですけどね。

丁度、日本陸軍が開戦前の若手将校たちのシミュレーションで日本の完敗を見事に予想していたのに、開戦した後はまさに上に箇条書きで書いた様な行為の連発で「誰も責任を取らずに」結局大爆死。大量の日本国民を死に追いやり、塗炭の苦しみを日本人に与えました。

組織のそれぞれのセクションにいる人間とそれを束ねるトップの判断力、決断力が下々に付き従う人間達の命運を握っている訳ですけど、ダメ人間を上司に持った時の付き従う部下達は本当にお気の毒というしかありません。というか、ダメと見切ったらその組織から早めに逃げ出さないとね。こういう場合は選んだ側の責任というか能力にも問題ありという事でしょうか。^^

こういう文章を書いていると、自分の属する組織は本当に大丈夫なのか。自分自身がダメ上司になっていないのかという事を常に客観的に反省しながら組織を観察していかんとアカンなと改めて思うのでした。

実はこういう文章を書いたのは、本日の会議でこう云う「事勿れ」的な発言を繰り返す病院の事務系の人間を今日見て改めてその意を強くした事からの反省文でした。

2025年10月25日土曜日

熊の被害は異常

最近報道される熊の被害って本当に多いですよね。

これが本当にマスゴミの作り出す虚像か否かという事も含めて熊の出没や被害状況というのを環境省のデータで見てみるとR5年の突出した被害の増加、特に東北三県の秋田、宮城、岩手そして北海道というのが目立ちます。

次期はやはり冬眠前なのでしょうか10月が最悪で、12月にほぼ終息と言っても良いようですが、近年の目撃件数の増加は熊の自然増と完全に一致している様で、許可捕獲と狩猟捕獲とを合せると一貫してその捕獲数の増加が右肩上がりだという事も一目瞭然。30年前と比べると捕獲数が概ね5倍になっているというのがヒグマもツキノワグマも一貫して確かなようです。

この熊対策なんですが、関係者の中も保護派と退治派に別れているのだそうですが、それは当然でしょうね。学術関係者や観光関係者を中心として保護派が、地域住民や猟友会の人達を中心として退治して数の調整をという人々が喧々諤々の状態みたいですけど、公安庁の愚か者の決定で猟友会は熊退治には積極的には関与しないという方向に大きく舵を取りましたので、今後も熊の出没数や人的被害は増え続けるのでしょう。

私のような熊の世界との関りがたかがキャンプ時の熊の出現の心配程度で済む人間には大問題ではなくとも、エリアに住んでいる人達にとってはまさに生存に関わるレベルで熊が出ずっぱりになっている訳で、通勤通学、農作業、そして普通の日常生活が消えていく中、果たしてどこまで熊寄りの姿勢を保持できるのかが一つ。保護派の学者の皆さんは現地に住んでも同じ事を言い続けられるのかが一つ。そしてこれからは例え退治すると決定しても猟友会はよっぽどの援助とその他の法的に明確な確約が無い限りは命と経済的リスクを晒してまで、国に協力する事は無いとなった時、一体誰が熊退治に出ていくんでしょうか?

警察のお粗末な銃では退治は無理なのは自明ですし、次はいきなり自衛隊?無いですよね。常に後手後手の行政の皆さん。あと何人犠牲者を積み上げれば熊の数のコントロールを開始されるのでしょうか?

関係者の言葉が印象的でした。

「クマの大量出没の原理は、コップとその中の水にたとえると理解しやすい。コップの大きさはそのエリアで許容できるクマの生息数の規模、水の量は実際の生息数だとすると、水の量はある程度、余裕のある状態が望ましい。 餌不足でコップが小さくなったとしても、あふれ出ることはないからだ。しかし、すり切り一杯な状態だと、許容量が下がった途端、一気に水があふれ出すことになる。つまり、大量出没だ」

今まさにその時間が来たんだという事ですよね。怖いです。所詮、共存できる数には限界があるという事でしょう。恐らく、爺さん婆さんでは無く子供や若者が襲われるような事件が起きて世論が沸騰するまで、馬鹿な行政は「立ち上がる素振り」さえ見せないんでしょうか?

2025年10月24日金曜日

東大卒の研究

医師に定期的に送られてくるある雑誌があります。

バイトを始めた後にもう何年も民間医局というところから送られてきているDoctor's Magazineという薄っぺらな雑誌なのですが、結構医学や生物学の中では有名な人々が表紙を飾りその人その人に関する記事が書かれているのを読みながら、こんな人生を歩んできた人が居るんだね~等と小さな感慨を持つ事も度々です。

その雑誌には結構いろいろな記事が詰まっているのですが、その中に阪大の細胞生物学で有名だった仲野先生という方が毎回取り上げる「種々のエリア」の三冊の面白かった本に関する記事があります。

その記事は本好きの私も大変興味深く読ませて頂くのですが、今回は学歴に関する本、特に東大・京大卒という学歴にまつわる(囚われた人々?の)悲喜交々の話を掻いた三冊の本が紹介されていました。その三冊の本というのは以下のような感じ。


まあ、最近よく知られているのは収入格差とそれに比例した学歴格差などというお話なんでしょうが、こういう話をアメリカでも日本でも聞いていると日本は随分と格差や社会的ポジションの固定した分断の時代を迎えているのかな等とぼんやり考えてしまいますね。

しかし、格差の固定等というのは基本碌でも無い話。フジテレビその他の大手企業の内部の腐れ具合を見ていると、学閥や学歴で真の適性等とは別に形成された利権システムというものは社会を滅ぼす獅子身中の虫ですから可能な限り無い方が良いと心の底より感じてます。

同じ東大や京大卒でも、これまた内部では大きな能力格差があるのも東大医学部や東大法学部の人から聞いた実話多々。どこまで行っても学歴に「こだわる」人はそこまでの人。本当の実力者はアメリカの例を挙げる迄も無く留まる時間自体が勿体なくてさっさと中退して大成功したり、大卒というのは単なる研究途上の一瞬などというのが本当の実力者、天才達の履歴を見ているとそりゃそうだろうという思いしかありません。人生の花盛りの時期に学歴しか誇るものが無いなんて何という空っぽ具合。w

話しのネタならまだしも、学歴なんかで大人になってマウントとるとかみっともない事限り無しです。

2025年10月23日木曜日

ジャガーが消えそう?

 ちょっとビックリの記事を読みました。

「あの」イギリスの名門JAGUARが物凄い事になっているというのです。欧州での販売台数が)97%の減少を記録したとの事。

その原因は実に単純で、それは極端に実に極端に勧められた電動化の影響という事に尽きます。一時流行ったEVへの完全移行の政策に乗っかって己の作る車群もフル電動化一直線という状況にしてしまった挙句のこの状況のようです。

それにしても売上高97%減というのは劇的で、通常こういう近未来予測を誤った経営陣というのは首がビヨーンと飛んでしかるべき状況だと思うんですが、強気の発言を繰り返すばかりで、責任は取ってないようです。そもそもこれまでの顧客を捨ててまでも高級車としての値付けを上げて、その状況でも利益が出る会社にすればよいとか何とか言っているみたいですが…。

私にはほぼ寝言にしか聞こえません。w

トヨタがありとあらゆる国内外のバッシングに曝されて、内燃機関車をラインナップに残す事が叩かれ続けましたが、今の自動車業界を見ているとマッチポンプのインチキ野郎たちの妄言に乗っかって会社を傾けたジャガーのようなバカ者も居れば、外の雑音には耳を貸さず、理路整然と今後の未来のチャートを描いて全ての方向に開発を続けたトヨタのような会社もある訳でして、その知性と開発力の差は語る迄も無く歴然としています。

Daimler double6という栄光に彩られた12気筒エンジンを捨て、内燃機関を捨て、ハイブリッドもすっ飛ばして中国が政府の下支えで必死に作っているEVにシフトとか私にはもう夢のような愚かな話にしか聞こえません。

ル・マンでの7度の優勝。世界一美しいと言われたE-TYPEの廃止。売れ筋の車群の型番廃止と「大胆な政策」を打ち出していますが、全個体電池というシステムが完成しない限り、今の「重く」「高く」「燃えやすい」電池のままでは到底顧客の望む車が出来上がる訳も無く…。

そもそも2000万を超えるレベルのJAGUARを買う様な金持ちはガソリンの値段やCO2の排出の事などどうでも良いのです。

あの栄光のジャガー。10年後といわず、5年後もきちんと破産や整理、買収などされずにブランドとして残っているのでしょうか。電池次第なのかもしれません。


2025年10月22日水曜日

遂に破られたガラスの天井

遂にこの日本においても女性の宰相が誕生しました。

資質がどうかという事はこの際「脇」に置いておいて、104代首相にして初めて女性がこの国の宰相になったという事を喜びたいと思います。いわゆる安倍ちゃんの子飼いというイメージですが、果たしてトップに立った今、今までの右寄りの発言がどう拡大解釈されるのかちょいと心配ですが、男性とは違う行動原理で動いて貰いたいなと期待する私も居ます。

自民党というシステムが機能しなくなって久しく長い間にわたって閉塞感漂う今の日本ですが、女性は男性と違い視点で世の中を見つめています。その違いこそがこの閉塞感を変えていく新しいものの見方を広めてくれるのではないかと期待するのです。

一切の今までの前提を薙ぎ払って第一行動原理に従って粛々と進められる改革というものが今の日本で出て来ないのは利害調整とそれに伴う根回しの悪習。最大限お互いが傷つかないように利益を最大化しようと上に阿るような古臭く黴の生えた小さな箱の中での利権の分配が国を動かして良い時代はとっくの昔に終わっているのです。

ただ、昔の成功体験から何時までも抜けきれない年寄り達の行動原理が、若い世代が成功するポテンシャルの芽を摘み取り続ける現状を変えなければならない事は明白。日本という国の図体がデカく自称先進国というプライドとその「重さ」故に沼にゆっくりと巨体が沈んでいく様は太宰治の「斜陽」そのものの世界をノンフィクションとして実際に読まされているようです。

アメリカでは未だ破られていない国家のトップとしての性別の壁。人種の壁はオバマという人物によって破られましたが、未だに性別の壁は破られず、ナント今回日本が先にガラスの天井を突き破ってしまうという仰天の事態となった訳です。これを使わない手は無い。

日本は今回の女性宰相誕生を奇貨として大きな変革を恐れずに挑戦すべきだと考えます。

2025年10月21日火曜日

お金が無くて病院にかかれない人達

こんな事もあるのかと唖然としました。

次女が知り合った昔のバイト先のお爺さんが今回名古屋のある公園でマグロの解体ショーをしてくれました。娘を孫の様に可愛がってくれているのですが、その方がショーの後で娘に「脚が痛い」とボソッと呟いたというのです。

娘がLINE経由で私に「お父さん、終わったら家まで私を送ってくれるっていうからその時に家の外でおじちゃんを診てくれない?」と送ってきました。私はどの程度のものかわからないので一瞬だけ躊躇いましたが「わかった、診るだけは診てみるよ」と返しました。

次女が何時も可愛がってもらっているので、これ位の事で少しでも恩返しができるのならという感じでのミニ診察でしたが、隣の駐車スペースで待っていたおじさんに以前の様に挨拶をして今日の事でお礼を言わせて頂いた後に直ぐに脚を見せて頂くと…両下腿とも極端に浮腫の為に容易に深い圧痕が出来る状態でした。熱感は無かったのですが、右の背部1/2は既に感染巣で白苔の様にerosiveになっている始末。そこに汚れた包帯が巻かれているだけ。orz

これらの成因は幾つかの重大な要素が重なっている可能性を指摘して感染巣のトリートメントを直ちに行う事、内科的疾病の背景を必ずそして可及的速やかに行う事をリクエストして病院に来て貰う事をお願いしました。横で娘も必死におじさんを説得していたのですが、実はおじさんには娘に知られたくないある理由で病院にかかれなかったのです。

それは金銭的理由。何時も新聞配達その他の細かな仕事の積み重ねで自活してきていたおじさんは以前、車を使って仕事時に移動していたことが役所にバレて生活保護の打ち切りを受けていたのです。

それ以降は病院にかかろうにもお金がかかるのが怖くて敢えて病気の存在を無視して生活してきたという事を娘が私のところから離れた僅かな瞬間にパパッと手短かに話してくれたのでした。それを知って私は「あ~役所は教えていないんだ!」と心の中で呟きました。

実際はそういう状態であっても種々の手段で医療を受けることが出来るのです。

そこで私は提案しました。「私の病院にそういう事をきちんと解決してくれる専門の人間が下おりますので、ご心配なく。先ずは一度私を訪ねてきてください」と。アメリカじゃあるまいし、金が無いから医療を受けられないなんてことがあってたまるか!というのが私の結論。

早速解決へ向けての行動開始です。娘を可愛がってくれる方をむざむざそういう境遇に置いておくのは「人道に悖る」いや「男が廃る」というもんです。

2025年10月20日月曜日

キャンプに行く前に考えろや!

私の人生戦略を簡単に表すと行き当たりばったり。

もうね、あれやこれやときちんとプランを練って人生設計をしている友人達を見ていると心底「すげーなー」と感心してしまいます。逆向きに観察すれば「お前もちゃんとしろよ!」というところなんでしょうが、どうやったってそんな事は自分に出来ないと解っていますので頭の悪いやり方で試行錯誤ばかりしています。w

医者をしているといろんな患者さん達を診る人生となる訳ですが、自分のいい加減さを理解しつつも他の人の人生においてやっぱり有り得んレベルのチャランポランな生き方を送っている人が沢山居るのを自然と知ってしまいますので、まあこの手の事は相対性の世界でしかないと改めて知る訳です。

大体、本当に大体の概要しか考えずとにかく走り出した後に考え始める、というか走り出した後も考えてない?ような自分の生き方なので特に焦る事もありませんし。まさに人は人、自分は自分でこの歳になると既に大筋は変えようもありません。親父の様に几帳面な生き方もあれば母親の様にまさに日々ちゃらんぽらんな、しかし頑張るとこは頑張るみたいな生き方しか見てこなかった自分ですが、やっぱりどっちかというと母親に似てるんでしょうかね。

さて、そんなこんなで今回のキャンプを振り返るとまあ見事なまでに自分の生き方がキャンプのやり方にも表れております。

まずとにかく頭の中で「何となく想像した」必要品を取り敢えずキャンプ場に持っていく。次にそれを展開していくんですが、そこで「あれはどこやったっけ、これが見当たらんけどどういう事?」ていう感じであたふたするけど、取り敢えず何とか揃ってるもので間に合う。その次にこれも想像の中でやってみた事を実際にやってみて現場で小さな失敗を積み重ねながらも「なんとなく」形にするというパターン。

現場に行って必需品は何かをもう一度まとめ直すような人です。orz

まあ、今回のキャンプそっくりの継ぎ接ぎだらけの人生ですが、本人には変えようもありませんね。新しい事は死なない限りまずはやってみる。これからも同じことを繰り返しながら、寿命尽きるまでコレなんでしょうね。^^

スマートさとは程遠い、というか対極の人生。まあ、いいか。w

2025年10月19日日曜日

やっぱ初心者やな

結局、朝は何度か薄目を開けて煙の残りがある場所で何度も眠りに落ちました。

最終的に目を覚ました状態になったのは8時過ぎ。キャンプ場にしては遅い目覚めです。テントを出てみると、遠くにあった大きめのテントは2つほど消えており、その緑だけの世界は朝の静寂をより確定的にするような景色を醸し出してくれていました。

雨の方は降ったり止んだりの断続的なものでしたが、起きた後はガサゴソと重い腰をあげながらの片付け作業を開始しました。余裕があれば朝のコーヒーでも愉しむところなんでしょうが、そんな余裕も無く同片付けるか暫しボケた頭で考えた後で一つずつ片付けていきました。最終的に全ての荷物が3つくらいの小さなブロックになり後は焚火用の薪の束があるくらいでした。

とは言えまだやらないといけない憂鬱な大作業が待っています。それは「大テントの片付け」なんですが、小雨の中で外に出てみてどういう順番でやろうか?と考えていたその目の先に変なものが見えました。それはストーブのメタルの煙突と接触していた部分のテントカバーが熱で溶けていたのでした。orz

心の中ではガビーン状態だったのですが、そこは大雑把な私のこと「あらら、やらかしたな!w」くらいの表情で茫然と眺めて終わりでした。w

小雨の中ではテントの折り畳みも出来ませんので、大雑把に畳んでそのまま後部座席の谷間に投げ込みました。(後日病院のホースで洗う予定です!)こうやって全てを奇麗に片づけて、来た時よりも美しくを目標にしてソレ自体は達成できたと思います。しっかし、せっかく買ったばかりのテントの一部を溶かしてしまったり、テントの中が煙だらけになったり、まあそれはそれは初心者らしいトンデモナイ出来事の連発でした。

家に戻る途中、長野県側の道の駅でちょこっとお土産を買い込んで再び豊田側へ戻って行きました。家に戻ったのは1時過ぎだったのですが、いろいろと洗濯ものを出したりしていると長女との約束を思い出しました。それは長久手のトヨタ博物館に行ってJDM(Japan Domestic Market)という展示物を見に行く事。

おお、そうであった!ということで、早速息子と嫁さんも一緒に連れて見に行きました。長女にとっては初めてのトヨタ博物館でしたが、いろいろと感激して見ていました。一時間半程で取り敢えずお土産ショップ迄見てまわり全て終了。

帰りがけに焼き肉屋に行って腹迄満たして家路につきました。   

また、冬に雪が降る直前くらいにはキャンプ行かんといかんですね!^^

2025年10月18日土曜日

初テント、初ストーブ

昼前に家を出て取るものも取りあえず出発しました。

向かった先は昨日もちょこっと書いた様に売木(うるぎ)村というところにある岩倉ダムキャンプ場です。実際には長野にあるんですが、山また山のこのキャンプ場に着くとまず初めにする事は受付に顔を出してお金を払う事です。

Googleマップに書き込んである電話は現在使われておりませんので、代わりに御高齢と思しきおっちゃんに頂いたのは携帯の番号でした。本当にこれで良いのか怪しいとは思いつつもおっちゃんの御厚意に甘えてメモはさせていただきました。キャンプ代は2000円+テント一張りで都合2700円だったかな?

取り敢えずキャンプ地を見回してみると、既にグループっぽい感じで楽しそうにしているキャンピングカーの一段と黙々と一人テントで作業してる人、そして私がテント張ろうと思ったサイトの向こうに二人でテント張って火を焚いている人達くらいで、それほど多く無くて良かったです。そもそも受付のオジサンが「ここ最近はホント人が来んくなったわ」ってボヤいてましたけど「この辺りには熊は出て来ん!」とも言ってましたね。
まあ、取り敢えず生まれて初めてのティーピー型のone pole tentの設営です。何のインストラクションも見ずに取り敢えず想像力だけで組み立てたら案外上手くいきました。(後で後悔する馬鹿はまだそのことを知らない。w)
車をサイトの近場に寄せて薪を含めたでっかい荷物を幾つか下ろして設営したテントに運び込んでまったりし始めたんですが、問題はここから始まりました。それはこれまた新たに買った薪ストーブ。

これを先ずは一回空焚きして油分を飛ばして使い始めろと聞いていたんですが、実際それをしたにも拘わらず、夜になって本格的に使い始めた時にテント内は超もくもく状態。準備していた一酸化炭素の検知器は鳴らなかったのですが、とにかく煙くて目と頭が痛くなる始末。雨が降ってるにもかかわらずジップを開けて新鮮な空気を入れないとどうしようもないレベルでした。何か自分が燻製になるんじゃないかと云う位の勢い。w

こんな時こそ空気を出し入れするのに役に立ったはずの小型扇風機を持ち込まなかったことを大後悔しました。しかし後悔先に立たず、この煙のせいで夜の間中目が痛かったのでした。しかも買ったばかりのテントも臭くなったし。orz

夕方になる前にごく近所にあるうるぎ温泉「こまどりの湯」というアルカリ泉に入ってきました。キャンプ場で使った割引券を用いて100円引きの500円でこんなアルカリ泉に入れるのはキャンパーにとってはホンマ御の字。

高校生らしい集団以外はほぼ皆おじちゃんでしたが、キャンプのセットアップで汗を掻いた身には有難かったです。実は入浴する時にガチャピンのTシャツを着て入ったんですが、出る時はムックのTシャツに着替えてたんです。

誰も気にしないだろうと思っていたら、なんと受け付けのお姉さまが「来られた時ガチャピンで、帰られる時はムックなんですね!」とニコッと微笑まれて嫁さんの出発前の予言が当たってしまい大笑い。(そんな事を言う人がキャンプ場に居るんじゃない?と言ってたんですが、言われたのはお風呂となっただけで予言は当たりました。w)

そこを終えてキャンプ場まで車で数分。何も取られずテントはそのままでした。中に入って濛々たる煙の中でメスティンでご飯を炊いてカレー・ルウを温めて食事。まあ、腹もそれほど減って無くて直ぐにシュラフに包まれ雨のそぼ降る中で煙い目を擦りながら寝てしまったのでした。

2025年10月17日金曜日

熊が出る所なのか?

明日はキャンプに行くぞ!と決めています。

キャンプにはもってこいの素晴らしい日よりになっています。新しいストーブ用の煙突が出せるテントを購入したので、それを試すには更に良い日ですし、シュラフにしてもストーブにしても新品の性能がどの程度なのかをチェックする素晴らしい機会になるものと思います。

ストーブは最初に使用する時はいきなりテントの中で薪をくべたりするとオイル兌換高の表面のコーティングが問題を起こして煤が出たりするという事なので、先ずは明るいうちに外で焼いておく必要があるのだとか。後はテントの中に持ち込んでのストーブのセッティングとかいろいろあるので実は「何でも初心者」の自分としてはそれほど余裕は無いだろうと思っています。

まあ、食に関しては意外と悲惨なものでもいける人間なので、腹を満たすものさえ買っておけばあとは文句は無し。ビールも二本ほど買っておいて取り敢えずはハッピー・モードという事で。^^

ところで、最近非常に問題になっているのが「熊」の出没情報。実際に人が襲われて何人も無くなっておりますし、とても舐めた事をしてはいられない事は間違いありません。明日から行こうとしている岩倉ダムキャンプ場の周辺の熊の目撃情報を読んでみるとGrokでは一つも引っかかっては来ませんでしたが、それでも油断は禁物。

私自身はデカ目のナイフを二本持っていますが、人間が熊と対峙して、しかも戦闘慣れしていない「非」格闘系の小太りオジサンにとって本州にいる月の輪熊でも多分物凄くヤバい相手。戦法は逃げるが勝ちの一手です。

ヒグマなんて想像の外側の世界。w アメリカのグリズリーとかほぼ大怪獣です。orz

兎に角、安全第一という事で荷造りをして新たなキャンプ場での新セットアップを試してみたいと思います。呪文のように安全第一、安全第一。ではでは!

2025年10月16日木曜日

恨みは何も産み出さないと感じました

ある患者さんが随分昔に私の居る病棟に入院してきました。

この方は生まれた直後からある疾病に悩まされていったんですが、次第にその影響が多きくなり最終的に寝たきり状態になってしまいました。しかし、そこに至る迄にはいろいろな病院をまわってきた経緯がいろいろありますが、体がここまで弱くなってしまった事に関して以前入院していた「ある病院」を名指しで非難する御兄弟が来られていました。

実際前の病院からこの患者さんを引き受けて、入院当時には命の火が消えかけていた患者さんを必死で何とかレスキューして何とか「明日亡くなるかも」という様な状況からは脱した為、私には感謝を示して下さるのですが。

その御兄弟のお話を伺っていると、ずっと前にいた病院のある先生の事を非難するばかりで、逆に聞かされている私の方がドヨンとしてしまう程に毒のある内容を含んでいます。その上、何度も何度も「絶対に訴える」と息巻いています。

あの~、私も同業他社というだけで医師なんですけど…という言葉が歯の裏まで出て来るんですが音声化はしません。

しかし、その方の恨みの言葉を聞いていると恨みというネガティブな感情は何物をも前進させないし誰も幸せにしないなと強く感じてしまいます。理由を具体的に説明するまでも無く、その口から出て来る毒気はあたかも詠唱魔法の様に言霊の如く私に負の感情を投げつけて来るのでした。

こういう感情を自分自身が抱き続ける事で、患者さんの御兄弟として自分をも不幸の中に引きずり込んでしまうのではないかと本当に心配です。

確かに色々な経緯があって患者さんがこういう状態になったというのはあるのでしょう。しかし、そういう呪いの言葉を吐き続ける御兄弟を果たして今の寝たきりの患者さんが喜ぶでしょうか。

私はそうは思わないのでした。

2025年10月15日水曜日

私にとって「も」特別な一日でした

今日は私の友人にとって特別な日でした。

何が同特別だったのかは「今日は」大変申し訳無い事にここには書けないのですが、友人をアシストして9か月間も準備に準備を重ねて今日という日に向けて作り上げたものを遂にある場所で見せる日が来たのでした。

何段階にも遂行に遂行を重ねて提出物を積み重ね、最終的にいろいろな分野のトップと思われる専門家達の検証を経て遂に完成させたものを自信をもって提示することが出来たと思います。

そして、全てが終わった友人と今池で落ち合ってこれまた特別な場所で飯と酒で食って祝いました。友人は人生の中で何回かしかないような大きな節目を乗り越えたと感慨深げでした。実際にここに至る迄の長い道のりはその優秀な友人が今までに成し遂げて来た人生の様々な業績をまとめ上げた仕事への祝賀となりました。

ここで腹を一杯にした後は直ぐにあの「亀ちゃん」へ向かい昭和が色濃く残るその殿堂で人間修養に励みました。w

人生最終盤に差し掛かっている諸先輩方に大学時代の部活の飲み会の時の様にビールを注がれ続け、もう我々二人は何度も何度もビールコップを先輩方に向けてただひたすら注がれるビールを空にしていきました。

それからちょっとだけ地下鉄に乗って覚王山のいつもの店へ移動。ここではもう腹パンパンでしたので、最後に泡盛のロックを一杯だけ空けて本日終了。友人はタクシーを拾って名駅の方へと戻って行きました。

友人の未来に栄光あれ!

2025年10月14日火曜日

疲れ果てたまま

疲れてどうしようもないまま翌日はそのまま日勤でした。

殆ど寝ていないのに翌日も新患患者を二人受け付けて病棟での調整をしなければならないという状況で、眠いの眠く無いの…。体にいい訳がありません。

取り敢えず朝普通に起きて眠い目を擦りながらも仕事を始めてしまえば何時もの様に仕事をする事は出来ましたが、やたらと溜息が出ますし眠気も周期的にやって来ました。こんな事ではパフォーマンスに多大な影響が出るなとは思っていたのですが、結論から言うと一日のアウトプットとしてはそれほど酷いものではありませんでした。

しかし、個人的にはもう少し医師が沢山いればこれほどまでの無理はしなくて良いのにな…というのが正直な所。昨日一日の間に4回もの死亡診断書の引き渡しと親族さん達に対する種々の説明を執り行わなければならないというのはどう考えても異常です。やはりそういう時には翌日は自動的に職務を停止するというようなセッティングが為されないと責任をもって、長い時間の業務を続ける事はいろいろな意味で難しくなっていく事でしょう。

しかし、日本はそこがとんでもなくおかしい所。働く人間は常にしわ寄せの犠牲になりがちで、陰でサボってる連中の分を背負わせられるというのが「今でも」普通のパターン。しかしながら、サボっている連中にもそれなりに言い分はあって「働いている、頑張っている」等という主張はしてくるのでした。

何ともね、もう今日は眠いです。明日h大切なある行事があるのでもう寝ます。
無理。

2025年10月13日月曜日

憑りつかれたのかと思う程…

いろいろな意味で辛い一日となりました。

朝九時から当直入りだったのですが、到着したらいきなり電話。「先生、朝亡くなられた患者さんの御家族が来られてます」との一報で、私が付き添って御遺体のお見送り。

暫くしたらまた電話が鳴って今度は「先生、今お亡くなりになりそうな方が居て、その方はもう何もしない方なんですが万一の場合は死亡確認をお願いします」との事。何だかいきなりこういう嵐のような死に絡んだ電話は全く嬉しくありませんし、何だか良くない幕開けを感じさせます。実際に30分もたたずに連絡が入り死亡診断書作成。

その悪い予感は的中。午後に別の病棟に顔を出すと偶々だったにもかかわらず、そこではあの音が響き渡っていました。ピリリリ、ピリリリという医療従事者なら誰でも知っている心停止時に鳴り響く音です。orz

部屋に飛び込んでいくと突然の心停止で看護師さんが大慌てで対応していましたが、心マッサージや薬物を使用しても超高齢の患者さんは救えませんでした。そもそもDNARという事でしたので、気管挿管などはせずに御家族さんに御電話したところ、落ち着いた感じで従容として事態を受け容れておられました。

死亡診断書を再び仕上げて御家族とのお話の後、御遺体をお見送り。今朝から既に三回目の御遺体のお見送りでした。もう勘弁してくれという感じだったのですが、実はもうひと取り癌の末期の患者さんが居られてこの方がギリギリのところで何とか持っていたのですが、私が来た日の夜に息を引き取られました。私が来るのを待っていて下さったのでしょうか。

御家族は遠方の方で直ぐには来れない方だったのですが、私は何度も何度もこの御家族とはお話を繰り返してきました。早朝でしたがその事実をお伝えしたところ深い感謝の言葉をいただきました。

それから結局3時間ほどしか眠ることは出来ず、物凄く疲れた状態で翌日の仕事に突入という事になったのですが、どういう事情であれ大きな病院で高齢者をたくさん受け容れている施設はこのような事が「稀に」起きるのだという事実を再び思い出させる一日でした。

しかし、私の診ていた患者さんが私自身の居る日にお見送りで来たのはせめてもの救いでした。

2025年10月12日日曜日

どんどん質の上がるFAKE画像

最近ネットを見ていると怖いです。

どう考えてもFAKEでしょうという「画像」は写真としてたくさん出始めたのが数年前。どれもこれも「わかりやすい!」FAKEだったんですね。画像の質感のおかしさや、画像自体のディティールに笑ってしまうような間違いが散見されたんですが、この二年くらいで(プログラムさえ選べば)かなり上等のFAKEが大量生産できるようになってきました。

そして、その範疇が静止画だけではなく動画にまで拡がってきてしまいました。正直この一年間に見てきたFAKE動画の質とボリュームが「強い危機感」を覚えるレベルにまで変わってきました。ストーリーとその画像から理性の働きで、容易に「有り得ない」と判断できるわけですが、光の反射やその周辺の画像処理が数年前とはまさに桁違いに改善されているからです。

世界の有名人などはほぼ軒並みFAKE画像の犠牲者になっていますし、パロディ、性的画像な鬼改変されている状況ですよね。実在の画像にFAKEの部分をデジタルとして改変をインサートするものもあれば、豊富な画像データをもとにゼロから生成されたものも大量に実在しています。

しかし、それが無料で作られてくるわけですから本当に驚くべき時代に突入したものだと思います。でもですよ、実際にこれがこの速度で容易にかつ限りなく本物のように出来る時代が来てしまうと、今後出てくる動画は(静止画は前から当然!)どんなにリアルなものであろうと信じられない世界が出現してくるのは確実だと思います。

今の時点ではそれらがFAKEであることを見抜くソフトもかなりクリーンに見抜いてくれていますし、人間の目もそれを見抜く能力がありますが、その「見抜く」というポイントがどこに有るかをAI側が学習することでそこを改善してきたら…。

AIの画像診断能力は既に人間を超えたのは共通認識、しかしその先はどうなのか。

何を信じて良いのか、百聞は一見にしかずという言葉はこれからはモニター越しになった瞬間そのリアリティを頭から疑っていく時代が来たようです。アホな我々大衆はそのFAKE画像に騙されてトランプを熱狂的に支持する連中を笑えないようになっていく可能性を否定できません。

そんな画像が大量に出回って、国家が変な方向に動くようなことがなければ良いのですが。

2025年10月11日土曜日

凄い奴らがいるもんだ

ここ数日、冬キャンプのビデオばかり見ています。

ひろしのぼっちキャンプのようなのどかなものと違って、準備を怠れば死亡、知識が無ければ死亡、気持ちの準備と根性が無ければ死亡…みたいな状況下ばかりでのキャンプ・シリーズです。^^

世の中の広さを感じると共に「こんな自然環境で、たったこれだけの装備で生き延びる能力を持った人達がいるんだ!」という事実に物凄い驚きを覚えます。視ていてひたすら心の中で「すげ~、有り得ん」という言葉を繰り返すばかり。

例えば下のビデオですが、岩の窪みに自分で枝から作った骨組みを立てて、その上にシートを張っただけの状態で寝床を作り、苔の上にマットを敷いてのー33度のブリザード下での7日間のサバイバル。火起こしは勿論のこと、食料を取るための精密な仕掛け造りとその取った雉の調理とかもうどんだけ生き残る能力有るの?って感じ。

こういう人類滅亡後も一人で生きていけるような人はやっぱり特別な能力があるのでしょうが、この上を行くのがあの小野田少尉なのかと思うともう頭が上がりません。あの方は自分で、棕櫚の皮から繊維の糸を作ってそれを手製の機織りにかけて服を作るという事までやっていたDr.Stoneレベルの人。w

常に上には上がいる!とう素晴らしい具体例ではありますが、先ずはこの方のサバイバル能力をご堪能ください。

俺もなんちゃってキャンパーからここまで行けるようになりたいもんです・・・。(無理)

2025年10月10日金曜日

昭和100年10月10日

最初に長女がいきなり夜中に言ってきました。

「お父さん、吐き気と下痢が止まらないんだけどなんか薬無い?」というのです。リビングで作業をしていた私は直ぐに立ち上がって地温をチェックすると、それは問題なし。ところが目の前でトイレの便座に頭を突っ込みいきなり吐きました。

量は多く無かったのですが、茶色の吐瀉物。しかも下痢もしているとの事で恐らくはウイルス性の嘔吐下痢症だろうと推定しました。薬と言っても整腸剤程度。ただし、関節痛も結構強いというのでアメリカから持って帰っていた鎮痛解熱剤も飲ませました。元気は無いものの、翌日には体調戻り始めていたみたいです。

ところが、今度は嫁さんからLINEが入って来て「なんかうつったみたい…」との悲しいお知らせが。( ;∀;)

便も少し柔くて弱い吐き気があるとのことで、何というか長女の症状の5掛けくらいの感じ。今日一日朝から晩まで布団に横たわって免疫力の回復を養う感じで過ごしておりましたね。「息子達を連れて近所のラーメン屋にでも夕飯食いに行こうか?寝てていいから~」とか私の方でオファーしていたんですが、夕方ごろには次第に元気が出てきて、結局チャーハンやハンバーグを作ってくれて私達は外出の必要もありませんでした。

私はと云うと、家の外での活動は病院に一回行って癌患者さんの疼痛のコントロールが上手くいっている事を確認したことくらいで、後は珍しく嫁さんが寝ている家の中を歩き回ってあちこち細かい所を掃除したり、整理整頓をしていました。

その後はアマプラでたまたま発見した「見える子ちゃん」をみて一人ビビっていました。それにしても原菜乃華ちゃんは「あんぱん」に出ていた時とはまた違う感じで可愛かったですね。^^

昭和100年10月10日の我が家はこんな感じでした。w

2025年10月9日木曜日

精神科医師いろいろ

精神科の先生というのは私には全く理解できない人が多いです。

あんまりこういう事を言ってはいけないんでしょうが、いろいろな精神科の先生を見てきて思うのは変わり者の俺からしても「相当変わっている」人が多い事。陰謀論者、元ヒッキー、1~2年で次々と病院を変えていくフリーランス、患者と駆け落ちしたヤバい奴など多士済々。w

本人の口から「いや、私は内科に入局したんですけど、余りにも自分が病院で使い物にならないって理解できてから精神科に逃げて来たんです」とか「激しいXXの臨床に疲れて精神科なら大丈夫かなって思ってこちら側へ来ました」等と自虐的に話される方も多いですね。

そもそも最初から精神科を志向というよりも、プランBとかプランCとしての精神科を選んでいる先生が多い印象を持っています。実際に話をしていても、自分が何故その薬を使っているのか、診断の根拠は何かという事を自分で追及する姿勢を見せないまま漫然と投薬を行っているようなアレな先生も居られて、この症状はここが影響を受けている結果だろうからこの薬の使用で神経系のどの受容体がどういう影響を受けるだろうという根拠を持って「これ」を使用しようみたいな推理を行っている先生はごく限られていると思ってます。

何というか「雰囲気」での治療?とでもいうんでしょうか。治療効果というのは精神科領域では数値で表れてこない事が殆どですから、ヤブも名医も治療効果の判断材料としては臨床症状がほぼ全てみたいなところで、内科や外科と比べると果たして治ってるのか?というところが怪しいところがあります。

勿論、中には明らかな名医と呼ばれる先生は居て、家族さんや御本人が困っていた症状を見事に治療されて感謝される様を見ていると、やはりヤブとそうじゃない先生の能力の差は歴然と存在している訳です。

ここではやっぱり「良い先生」というのは医者同士の内部情報が一番堅いですね。内側から見ると。^^

これらの先生をじっと観察していると、精神科領域において患者と先生というのは意外と(いや、ある意味?)色々なものが表裏一体なのかもしれんなと感じたりする事が多いです。これからも超変わった精神科の先生のサンプルを間近で見られるのかと思うt何やらワクワクするような気も!

とは言え、変わった性癖を持った先生が自分の働いている病院でと何かやらかさない事を祈るばかりです。

2025年10月8日水曜日

看護師と適性

病院で何度も何度も繰り返し考える事は看護師という仕事の適性とは何かという事です。

無論、医師側の適性の問題というのも良く考える事の一つではあるんですが、医師側の仕事に対する適性と看護師側に要求される適性というのはかなり違うなとは感じています。

取り敢えず今回は看護師側に絞った話であり、且つ、かなり主観的な話になると思うんですが、私が考える看護師の適性は基本的にその人の持つ知性の高さとは関係ないと思っています。先ずトップに位置する適性条件は「優しさと包容力」だろうというのが私の揺るぎない信念。

高度な知性は正直必要無いと思っていて明らかに高IQで適性の無い看護師さんを何人も見て来たので、そこはかなり強く感じるものがあります。当然、高い知性を持っている人も居りますが最初に書いた患者さんに対する優しさと包容力が無い人は「そもそも」看護師という仕事を選ぶべきではないだろうと。

看護師という職業を選ぶ人のIQの幅というのは感覚的には思ったよりも広くて「う~ん」というレベルの人も居れば「おお~」という人も。お父さんが医師で、医師にはなるつもりはなかったけど取り敢えずチャチャッと看護師免許は取得しましたよなんて言う人も周りにはチラホラ。薬剤師は免許取るのに時間がかかりすぎるしその対価も微妙という事で選択しなかった人もこれまた居られました。(要するに勉強すれば入学できるけど選択しなかったレベルの知性があるのでしょう)

それでも何よりも患者さんと接触が濃厚なのが看護師という仕事。対人関係の密な中で加齢や病でいろいろな能力が落ちてしまった患者さんを無条件で受け止める優しさと包容力を持つ人はそれだけで貴重な戦力。患者さんからの「御指名」も多く、いろいろな相談や困り毎がその人に集中する事も多くなったりします。(例えその日の部屋担当でなくとも!^^)

その優しさがあれば、後は少しくらい仕事がのろくても、やがては仕事も普通程度に出来るようになる日もくる事が多いというのが今までの個人的経験です。

そしてその逆が仕事は出来ても患者につらく当たるような人。(勿論、仕事も出来ない上に患者に辛く当たる人も居ますけどね!)私は寧ろこっち側のキャラの人は看護師というのを職業に「選んではならない」というレベルで職業適性が無いと思います。

病棟に緊張をもたらし、人間関係を崩し、場合によってはハラスメントや虐待に繋がる人物はこのような状況で仕事を淡々とこなすことが出来ます。これは逆に非常に怖い話で、こういう人が「優しいけれど仕事の効率では落ちる看護師さん」をハラスメントのターゲットにする事があるのです。残念ですが。

こういう人達を見ていると、大抵は大阪弁で云う所のかなりの「イラチ」で、なんというかサディスティックな面が強いようで、人を組織を疲弊させる人々。病院と患者さんの為にも病棟から排除したい所ですが、それが簡単に出来れば苦労は無いんですけどね…。

理想と現実。なかなか難しい問題です。

2025年10月7日火曜日

娘二人と鬼滅の刃

夜いきなり長女に言われました。「お父さん、今から映画を観に行くけど終わるのが遅いから迎えに来てくれない?」と。

何御映画を見に行くのか尋ねたところ「鬼滅の刃・無限城編」とのこと。思わず「俺も行こうかな」と言いました。病棟である看護師さんが何回も観に行ったことを聞いていたので、チャンスがあればと思いつつそのうちNetflixに来るやろうくらいの気持ちで構えていて、結局行ってないという何時ものパターンでした。

ここは若者に乗っかって行こうという事で、送迎係を受け持つ代わりに長女にチケットを取って貰って夜のイオン・シネマへ。(55歳以上はなんとシニア割りを受けて200円安いんだそうです!)知らなかったのですが、長女は二回目だそうです。

次女は栄から戻って来てイオンで待ち合わせという形にしましたので、我々は一足先に車で向かって9時開場の最終レイト・ショウを待ちました。今どきの映画館は食い物のオーダーも全て券売機横のタッチボードでオーダーする仕組みに変わっていて、そのオーダーとしてホット・ドッグや飲み物をズバッと注文して私がswipeして娘達と9番ルームへ。

一番後ろの席の真ん中あたりといういつも私がとる席を長女も選んでいました。親子ですね。w

流石にこれ程公開から時間が経つと平日の夜という事もあって席には20人ちょっとくらいしか座っていませんでしたが、それでもこれだけ入るんだなと小さな驚きでした。長い宣伝の後いよいよ始まった映画でしたが、いろいろと決着がついただけでなく(勿論、部分的にですが!)出て来る台詞の内容やストーリーの仕立て等が本当に優秀で、ああ、ナルホドこれなら大ヒットするよな~と思えました。

しかも、映画館なので音響システムが素晴らしくて、やっぱり映画は映画館で見るに如くは無し!と再度確認した次第でした。

全てが終わって誰も居ないイオンモールの中を駐車場に向かって歩いたのですが、帰りの車の中では今日観た無限城とチェインソーマンとどちらが良かったかで大声で笑いながら云い争っていましたね。英語でガタガタうるせー娘達です。orz

2025年10月6日月曜日

なんでそうなるの?

 上のようなタイトルを書くと私の年代周辺の人達は「欽ちゃん」の番組を思い出します。まあ、それだけで歳バレなんですが!w

さて、今回「も」病院である事件が起きました。それは長きに亘って御主人から経済的DVを受けていた女性が家にまた戻って行った事です。そもそも、警察から依頼を受け役所の介入を経て彼女を家から逃げ出させて保護していたのです。

こういう時は緊急避難ですから役所も警察も彼女の居場所を家に住む暴力をふるった側の人間に教える必要は法的に全く無く、完全に保護対処となります。

ところが、驚いた事に入院数日後には元来た家に住んでいるそのDV男に電話で連絡を取っていたのでした。( ゚Д゚)

病棟中の人間がその愚かで危険な行為に驚き「何故そのような行為を行ったのか?」と問いかけたのですが、本人はボゾボソと何か聞こえない声で話すばかりで話になりません。取り敢えずその糞男が病院に来たりする事は無く、この女性によると「暫く帰って来るな」とその男性に冷たく言われたとの事でした。

もう呆れるやらなんやらだったのですが、各種知能に関するスクリーニングテストをしてみても取り立てて低い訳でもなくアスペルガーの傾向を示している訳でもありません。しかし、こういう行為をしてしまう訳でして、自分が重度の病気を持っているのに医療費も剥ぎ取られるせいで命の危険にさらされているという状況にあるのにこの所業。

心の底から「愚かやな~」と思ったのですが、一種の共依存なんでしょうかね…。

結局こちらがお勧めするいろいろな施設は「訪れはする」のですが、結局どこにも行かず。何と今日になっていきなり「帰る」と言い出して大騒動。役所の担当者もやって来ててんやわんやとなりましたが引き留める事は出来ず。

普段は温厚な当院のこの手の仕事のソーシャルワーカーも最後はかなり怒ってしまって、何かあっても二度と外来も入院も受け付けない!ということでいわゆる「ブラック・リスト」入りと相成りました。

私の脳裏に浮かんだのはただ一言。「ダメんず・ウォーカー」という懐かしい言葉でした。死にません様に!orz

2025年10月5日日曜日

新しいホテルEspacio Nagoya Castleで食事

お呼ばれされて嫁さん、息子、長女の4人で行って参りました。エスパシオ名古屋キャッスルホテル

名古屋城のお堀端の南に位置するキャッスルホテルがリノベされて5年間(2020/9/30-2025/9/30)の空白期間を経て新たに生まれ変わりました。

名古屋城の堀端にあって何時も美しい端正な姿を見せていた以前のキャッスルは名古屋城を現代風にアレンジし直したような「庇」が付き出し、その土台部分にはお城の石垣が再現されているという変わったデザイン。見ようによっては名古屋の歴史をコピーしたようなビルなんですが、見ようによっては「何じゃこりゃ?」になりかねない建築物。

実際、夜に遠くから見ると大本の名古屋城の南側にもう一つ名古屋城が出来たような印象を受けました。Xの上ではそのスタイルに関しては基本ボコボコに揶揄されているという感じでしたが、あのエッフェル塔も完成当初には散々な事を言われた建築物でしたので、こういうのはあまり心配要らないのかもしれません。

さて、変わったのはその威容だけではありません。ホテルの相手にする客が確実に「より富裕層」かつ「よりインバウンド寄り」にシフトしているなと感じた事でした。

ホテルの中に入っていて気付いたのはその「和」の殊更の強調でしたね。ロビーには二台のロールス・ロイスとセンチュリーのSUVとマイバッハが二台並べてありましたね。なんか「これでもか!」とい感じの入り口でしたが、駐車場にもベンツ、ポルシェ、BMW、レクサスがゴロゴロ。

4階にはレストラン群が昔と違う感じで沢山入っていたのですが、私はその中の一つの柳城にまた行きました。明らかにハードウェア的には二段階くらいのレベルアップ。マネジャーが御挨拶に来てくださって暫し新装開店に関する談義。その後は早速コース料理が出てきたのですが、間違いなく美味しかったですね。(後で調べたら震えるような個室予約料金。値段を知らなかったので美味しかったのですが、知っていたら胃痙攣を起こしていたかもです。w)

メニューは上のようなもの
車の到着口側入ってすぐの階段
名古屋風wの金箔使いまくりの応挙風の襖絵
天井も金箔で超豪華な奥行きのある和風廊下
まあ、お呼ばれや会議に行く以外は自分で行く事は「決して」無いかな?と思える豪華な建物内装群でした。

一泊最低は20万円ほどから。上の方は40万円台だったと思うんですが、これらの料金が付いている部屋とは別にぷレジデンシャル・スイートルームがあると伺いました。一泊ナント300万円!とか。まあ、これ位の出費を屁とも思わない金持ちが世の中には掃いて捨てる程居るという事でしょうか。300万あったら全部コメ買って子ども食堂に寄付するけどな?w

私などは掃こうにもミクロの塵過ぎて、集塵機のエアフィルタに集めた後顕微鏡でその存在を確認するレベルの貧乏人ですが…。

2025年10月4日土曜日

あれこれ考えるけど実行しない俺

キャンプでも食事でも旅行でもそうなんですが、計画だけ頭の中で夢想しては結局それを実行しないというのが殆どです。

そんで、滅多に実行しないこれらの夢想を実際に実行すると「(・∀・)イイ!! 面白い!」という事が殆どなんですね。ですから、実際に動くという事が自分にとっては物凄く大事だと「頭では」解っています。

行為に対する尻の重さというのが私の全くダメなところで、旅に行くのもキャンプに行くのもどうしても「他人からの強い働きかけ」がきっかけになる事が多いのでした。要するに他力本願(もともとの意味からすると誤用ですが!)。

この生来のダメ癖を治すべく、いろいろな事をやり始めた中で一つだけうまく続けられているのはこのブログ書きくらい。一応書き続けた糞のような己の日々の諸々の内容が最近6000回を超えたくらい。その他の事は何も進歩がないばかりか退化するのみ。w

さて、今回は一つ大きなことを予約しました。それはベトナム旅行。この年末に10日間ほどベトナムに行く為にチケットを購入しました。ベトナムかタイに行きたいなとずっと思いながら結局今までちゅうくうにうかせも旅行でもそうなんですが、計画だけ頭の中で夢想しては結局それを実行しないというのが殆どです。

そんで、滅多に実行しないこれらの夢想を実際に実行すると「(・∀・)イイ!! 面白い!」という事が殆どなんですね。ですから、実際に動くという事が自分にとっては物凄く大事だと「頭では」解っています。

行為に対する尻の重さというのが私の全くダメなところで、旅に行くのもキャンプに行くのもどうしても「他人からの強い働きかけ」がきっかけになる事が多いのでした。要するに他力本願(もともとの意味からすると誤用ですが!)。

この生来のダメ癖を治すべく、いろいろな事をやり始めた中で一つだけうまく続けられているのはこのブログ書きくらい。一応書き続けた糞のような己の日々の諸々の内容が最近6000回を超えたくらい。その他の事は何も進歩がないばかりか退化するのみ。w

さて、今回は一つ大きなことを予約しました。それはベトナム旅行。この年末に10日間ほどベトナムに行く為にチケットを購入しました。ベトナムかタイに行きたいなとずっと思いながら結局今ま中空に浮かせたままになっていましたが、今回思い切ってチケット買いましたのであとは動くしかありません。

年末の10日間。久しぶりに旅をして来ようと思います。鹿児島より南は旅した事の無い私には新鮮ですね。^^

2025年10月3日金曜日

自民党総裁選とか~

小泉、高市さんを含む数名の総裁選候補者という名目の皆さんがひな壇に並んで謎の行事を進行させています。

自民党という組織自体も劣化が進み既に組織としての機能に何かを期待するという状態で無い事は既に平均的な日本国民であれば誰もが感じている所でしょう。しかし、そういう劣化部位を突いて、参政党その他の危険な思想を持った連中が蔓延るツタの様に延びてきました。

今回の総裁選ではもし高市さんが総裁になれば日本発の女性宰相誕生となりますが、今時世界では女性がトップになるなんてことは当たり前中の当たり前で議論の対象にさえなりません。恐らく「日本で初めて女性宰相誕生で話題になっている」というのが世界中に発信され、大賑わいになるという事自体が世界の趨勢から既に数周遅れている話。お隣の韓国でさえ女性が宰相に着いたのは何時の話よ?って事です。

さて、問題は国家の宰相が男の女のというようなことでは全く無くて、そこのポジションに就いた人がいったいどれほどの政策遂行能力を含む政治家としてのポテンシャルを持っているかというだけの話。

停滞しているというよりも急速に老齢化し「人的リソース」という意味での国力が傾き続けるであろうこの国をどう支えていくのかというビジョンが全く見えてきません。結局、我々が期待するのはビジョンを持った人間がトップに就いてくれる事。それが無い人が頭に就いたところで下にいる国民達は「は~~~?またかよ!」と感じるだけ。

この総裁再選の有力候補二人は、寄って集って引きずり下ろしたあの石破路線を継承するとかしないとか…。バカなんでしょうか?この人達は。w

国民が前回の選挙で投票しなかったのは自民党のあんたたち自身の無能さに呆れたからであって、特にあの目付きの悪いオジサンをターゲットにして否定票を投じた訳では無いのですよ。最初から引きずり下ろす無駄な時間と努力をもっと有効に使えや、と言いたい所ですがそこは「ゴマメの歯ぎしり」で、どこにも声は届きません。

時間をかけてでも、投票行動でしっかりと人と党を選ぶしかありませんね。^^

糞のような平和の方が正義の戦争よりも1000倍マシです。私は左翼ではありませんし、共産党も公明党も糞としか思ってませんし、参政党も糞の欠片くらいにしか思ってません。しかし、戦争を選ぶような事態に国家を追い込む人間と党だけは選ばないようにしなければなりません。

2025年10月2日木曜日

国勢調査・2025

 我が家に国税調査の用紙が来たのですが、二通来ています。

一通は我が家に来たもの。もう一通は私が次女用に借りている近所のアトリエに来たものです。何というか、こう云う国勢調査というのは国家の骨格たる現状把握の基本の中の基本である現実に生きる人々の名前、年齢、性別、住所、そしてその建物の種類、世帯構成、仕事の場所や仕事内容等が聞かれているようですが、これらの記入は面倒臭いので今回は嫁さんに丸投げです。

結局世帯は一つという事で我が家では1セットに全てを記入しました。

しかし、現実の問題として思うんですが、恐らく総務省統計局は「物凄い」努力をしてこの調査を続けているのでしょう。けれどもまずこの調査用紙がどの程度の割合で国民に届いているのかというのが第一の疑問。

無論その点は当然完全には埋まらなくともきちんと統計局は推定してやっているのでしょうし、大変だなとは思うんですけど…。国勢調査のバイトの人達をたくさん雇ってラストマイルのマスを埋める努力をされているのでしょうが、個人情報云々という言葉を誤って解釈している連中にしてみれば、様々な個人情報をなぜ国に提供せねばならぬ?という感じでしょうか。実際にネットを調べると、国勢調査の拒否率は4%程度との事。結構どデカい数字だなと驚きます。1億2000万の4%って500万人弱。( ゚Д゚)

あと、例え用紙が届いたとしてもそれを正しく理解して記入することが出来るのかというのも大いに疑問です。病院で働いていると、これ程までにいろいろな事が理解できない人が世の中には沢山居てこれ程までにアシストが必要な人達がごく普通に居るという事実が理解できます。

それを知ると、本当にこれ程までに細かな内容の国勢調査の質問が理解できるのかという事に大いなる疑問が…。(^^;)

しかし、そもそも統計というのは誤差を推定する事が得意な学問分野。頭の良い人達が、キチンとそこらへんも指定してくれている記事が総務省統計局のHPやネットのあちこちに散らばっているのを見て「ナルホド」と感心するばかりです。


2025年10月1日水曜日

貧乏と貧乏臭いは全く別の事

カネが無くとも貧乏臭くない人間なんて幾らでも居ますし、カネが有っても貧乏臭い人間もこれまたゴマンと居ります。 

少なくとも私が生まれた昭和40年などという時代はまだギリギリ風景の中に日本の「戦後」が残っていて、田舎の道路にはマダマダ未舗装の砂利道が結構残っていて、アスファルトの裂け目からはごく普通にコールタールが染み出すようなレベルの低い舗装道路だらけだった時代。

マツダのキャロルやスクーターのラビット等というまさに今の時代から見ても、当時小学生であった自分でさえも「レトロ」と思えるレベルの乗り物が日常の中で普通に走っていた頃。公務員官舎という名前のアパートに住んでいた我々の家は鍵などをつける事も無く、向かい合った家の扉を四六時中開けて靴も履かずにお互いの家を行ったり来たりするのが普通でした。

日本中、子供がまだまだ溢れていて電話が未だ全家庭には行き渡っていなくて、ビデオデッキなんてお金持ちの歯医者の子の家にしか無くて、車を持っていてもホンダ・ライフとか小さなカローラ、パブリカ、サニーなんていうのが主役だった時代でした。でも、みんな自分が貧乏だという気持ちは無くみな中流感満載。今の時代の基準から見るといろいろと貧乏なんでしょうが、馬鹿でしみったれた事をすると婆ちゃんから「みっともない」と言われる日常。

悪い事をするとすぐに全ての大人から叩かれまくっていました。そしてそれを親が見ても「あんたが悪い事をしたんやろ?」と言われ、事実そうでしたので黙るしかありませんでした。まあ、悪い事をした後の平手打ちやゲンコツは当時ほぼ必須の大人からの挨拶。学校の先生でも全く容赦なしでした。それを母ちゃんにいった所で、上記の「」の中の様に言われて以下同文状態でしたから何も言わないのが身のためでした。w

そんな時代、みんな本当は「貧乏」でしたけど「貧乏くさい」時代では無かったと思います。今回それを感じたのはネットで呼んだある記事。それは、メルカリに銀行のATM脇に置いてある現金袋を出品する人間が居るのを見た事がきっかけでした。送料を抜いた後での一回分の利益は数十円。そしてそれが事実かどうか確かめてみたら、確かに出品されていました。何だいコレ?って感じでしたが、デジタル技術を使ってやっている事の中身は「ほぼ乞食の所業」です。

行為のみみっちさ、その矮小感。何か日本人も時代と共に劣化していってるのかなと感じてしまうんですけど、こういう事を大の大人がして何も感じないのか?マクドナルドの景品転売ヤー達も多くは日本人では無いなどと言われていますが、正直「どうだか…」という奴です。

カネは無くとも心豊かに過ごそうとする哲学を持つ人が多かった昭和とそれ以前の時代。バブル以降は沢山の何かが壊れて行ったのは見てきましたが、心の中に住む誇り高き心を取り戻すのはやっぱり難しいのかな。時分も含めて「足るを知る」事の出来ない間抜けな日々を送る情けない時代なのかな。