2025年2月17日月曜日

加齢と柔軟性

愛知県医師会で配られている医師会の雑誌にある先生が書かれた文章に「近頃の若い者は」と云う歴史的有名フレーズに関する、経験に基づいた鋭い個人的考察が書かれていました。

このフレーズはシュメール人書記により楔形文字が使われた時代に既に刻まれていたと云うのを何度か読んだことがありますが、恐らくこのような感覚はどの時代の年長者にもあったのでしょう。当然だと思います。時代が変われば常識もそれにつれて変わるのは当然のこと。

自由や平等が当たり前で無く、身分制が人を縛り、宗教の枢要であった神の権威をもとに人々が操られていた時代の人々の常識も、時代が下り、新たな発見と思想が地域を、国を、世界を変えて来るようになると本当に「近頃の若い者は」というサイクルも早回しになってきたのかもしれません。

そんな今の時代。今迄は年長者に小言を言われる側の私だと思っていたのですが、気が付けば既に立派な年長者。あっと言う間に今までの常識が流されていって、次の世代の次の常識に置き換わる訳です。

今大流行りのハラスメント関係の「常識?」も、今のところは常識ですが、アメリカの動きは必ず日本にも起きるのだとしたら、このハラスメント論争も必ず落としどころが見つかる形で形を変えて問題提起され、新常識が形成される事でしょう。弱者が振り回す「時代の剣」が何時までも邪魔されずに拡大解釈が通用するとはとても思えません。

さて、自分も年長者という状況になってくると、当然若い世代の知っているメジャーな人物、特に芸能関連の人物に関する常識がズレまくってきます。これは恐らく女性でも同様で、男だけの問題で無い事は病棟での会話で思わず笑ってしまう様な会話が多い事からも明白です。

ちょっと話は脱線してしまいましたが、話を元に戻すと「常識の移り変わり」の大きな流れの中で、自分の知っている常識と異なるから…というだけの理由で、新たに登場した常識を無碍に否定することなく吟味する余裕を持っていたいものだと思うのでした。

万一、陰で頭の固い糞ジジイと言われても別に構わないのですが、それが柔軟に考え抜かれ吟味された後のものである事を心掛けておきたいと思います。^^


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