偶然ですが、最近ある方を見送りました。
誕生日が例えば昭和8年の9月2日だとしたら、その同じ日付である9月2日に亡くなられた方がをお見送りする機会がありました。しかもその亡くなられた日が80歳というまさにその日。誕生日が何日であろうと、自分の誕生日に亡くなられる方は確率的に365人に一人は居られる事になります。
今生きているこの世の1億2千万の日本人のうち自分の誕生日に亡くなる可能性のある方は何と33万人弱も居られるわけですから、実は意外と身の廻りのお話としては親類や友人のイベントとして積み重なってみれば「多く感じる」ものなのかも知れません。
それでも、80や90などのキリの良い御高齢で亡くなられると、それは本当にきっと数少ないイベントのはずで、御家族も含めて「頑張ったんだね」と言う声が出てくるようですが、実際のこの患者さんの御家族も「車中で、今日はお爺ちゃんの誕生日だよね。今日まで頑張ろうって思ったのかな」等と言う感じで話が出てきたのだそうです。お別れの時にしみじみとそういう話が御家族から出てきて思わず無言で頷いてしまった私でした。
自分が何時無くなるかなんてほとんど誰にもわからないわけですが、実は誕生日が命日になることを生没同日と呼ぶんだそうです。今日始めて知りました。左のリンクを見てみると、意外な人物達がそれに当たることを知って改めて「へー、そうだったんだ」と感じてしまいました。「だからどうした?」と言われればそれだけの事ですが、それでも興味深い話のネタではあります。
なんでも、洗礼日を誕生日と仮定できるならばシェイクスピアなどもそうなんだとか。
自分の場合はどうなるんでしょうかね。嫁さんや子供たちはそれを知る立場にいる訳なんですが…。まあ、逝ってしまえば御本尊はまことにどうでも良いわけですが、それでも残った家族親族に小ネタを提供して逝けるというのは最後に一つ徳を積むことになるのかも知れませんね。
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