お母さんの涙にこちらも心が萎れそうになりました。
ある患者さんが大量の向精神薬服用で入ってきた時に、その患者さんのお母さんが老いた体に鞭を打つ様に病院にやって来られ淡々と今までの患者さんの若い頃からの人生を語り、以前から続く繰り返される子供さんの服毒死への傾倒で心が疲れてしまったという事を語られる様に、聞いているこちらが言葉を無くすような状態となってしまいました。
私の個人的人生においては、周囲の身近な人が初めて自殺で亡くなったのは医学部入学直後の同級生でした。三浪後に長崎に入学してきたのですが、東大医学部を受験し続けていたということで例え医学部に入れた後でも強い挫折感から抑うつになったとの事でした。当時、彼と親しかった彼女に当たる人の憔悴ぶりが今でも忘れられません。
幸いな事に、それ以降は私の周囲で自死を選ぶことで現世と離別をする方は居なかったのですが、日本に帰ってきて臨床医師を再び始めて、病棟に居られた別の主治医の診られていた高齢患者さんが別病棟の屋上から飛び降り自殺を図られたことがありました。
この時の原因は彼女の御主人が刑事事件を起こし、塀の中に入ることが決定したと伝わった当日のことでした。
向精神薬などを大量服薬することによって自殺を図る方への対応をするために、救急科や精神科の急性期病院が対応しなければならないことが度々あります。薬物はそれらの種類によって対応のマニュアルが大きく異なりますが、インターネットですぐに大量の情報が手に入る今の時代は私が研修医になった頃などとは比較にならないほどその手段を正確かつ大量に手に入れられます。
それでも、服薬量によっては機能障害や組織障害を残さずに生還させることが不可能になるどころか、生還そのものが不可能になる事も度々あるという事を現実として受け容れる必要があります。即座に対応を始めたからと言っても、搬送されてきた時点で既に数時間経過していればそれだけ血中に留まっていた薬剤が高濃度の薬剤が「種々の組織傷害」を起こしてしまっている事が多々あるのです。
今回、お母さんがポツリと言われました。「助かってほしいとは思うんですけど、今までも何度か助かってはその度に結局またあの子は自殺を図るという事の繰り返しです。助かって欲しいという気持ちともう楽になって欲しいという気持ちが半分ずつです」と。
80を超えた老母を悲しませ続ける子供さんを助ける、そして医師として問答無用で助けないといけない仕事をしていると、愚かな私は様々な想いの去来に言葉を失う事も多いのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿