2023年8月3日木曜日

戦争は人の本質を剥き出しにする

Netflixのお勧めに従って戦争もののドラマや映画を観ることが増えています。

いつも映画を観ながら想うのは、自分は戦争が始まったらどういう身の振り方をするのか、そしてどういう身の振り方が出来るのかというのを真剣に考えてしまうのです。恐らく自分の今の職業の性質上、医学的な面で協力を求められる立場になるだろうとは思うのですが、この年齢では既に「従軍医師」という意味では用を成しませんので、銃後での活動となるでしょうし、私のような人間が引っ張り出されるようになった時点でもう戦争は負け確定。w

先の戦争でも未来を作る礎(いしずえ)であったはずの学徒(わだつみ)を戦力として消耗し始めた時点でもう確実に負け確定でした。

さて、もし日本が戦争に巻き込まれたら核の攻撃が無いという前提で生活しても、現在のウクライナのようにミサイルやドローンによる攻撃に常時晒されることになるでしょうし、海上交通を封鎖されればアッという間に日本の食料は底を突くとともに燃料も無くなるでしょうからそもそも戦争の継続などという行為が不可能であることは明白。腹が減っては戦は出来ぬ、燃料無くては武器は動かせず、弾がなければ戦闘継続は出来ぬと言うもんです。

こういう点でアメリカが圧倒的に強いのは兵站の維持。いわゆる現実解としてのロジスティクスのセットアップが段違いな点でしょう。いくら日本の自衛隊が精鋭を集めても、前の戦争と同様にロジスティクスが貧相なことは80年経っても変化がありませんので、勝つまで戦闘を継続することは出来ない事になります。前の戦争でも結局ひとりひとりの戦闘力の高い間、燃料や弾薬があるうちは勝っていても、結局どうやって勝利を掴むかという方法論を精神論とは全く関係ないところで淡々と経済原理と科学で押してくる相手に勝てる訳もないわけです。最初から無理。

今回、ナチス・ドイツに対抗する手段として自分の得意とする金を使って命がけで戦った占領下のオランダ人バンカーの実話「The Resistance Baker」は時々"その先"を観たくなくなるほど淡々と実際に起きた事を時系列で描いていった秀作でした。

ドイツを困らせるためにどうしたら良いのかを自分達の得意中のエリアである金融の面でガッチリと計画を練り、正義のマネー・ロンダリングに命を懸けて戦ったある兄弟の話でした。戦争は本当に人間の本質を嫌というほど剥き出しにする事を史実を淡々と描くことで理解させてくれます。

戦争中に正義の為に行った行為によって命を失っていく人間達、そして戦後に対独協力者として裁かれていく裏切り者達。戦争がなければそもそもそのように分かたれる事さえ無かったであろう人々の運命が描かれるなか「俺はどっちだ?」と考えてしまうのです。言うは易く行うは難し。少なくとも日常のレベルで「権力」に忖度をするようなクズであってはならないと自分を戒めるのですが。

この映画の後に「The Photographer of Mauthausen」も連続して観ましたが、そういう気持ちを行動に移すことが実際の戦争の中でどれほど難しいか嫌というほど思い知らされます。

命を懸けてレジスタンスを行い、裏切り者に怯えながらも、捕まった後も命を懸けて口を割らないと言うような事を果たして実行できるのか、家族の存在を脅された時に口を割らずに耐えられるか…。映画の中に出てくる英雄と呼ばれる人達には周囲の友人、家族も含めて命を落とした人達が無数に居る訳で、そういう犠牲も含めて正義の為に耐えられるかと言うと…という事を想うのでした。

人が一生見せる筈もなかった、見せる必要もなかった筈のその人の本性を見せることになる戦争。本当はそんな事、起きる事など無ければ良いのがベストなんですよね。


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