歴史は勝者が記録すると言う文言がありますが、それは事実の50%です。
何故ならば敗者も記録を残すし、勝者の中にも敗者の視点からの記録を残すことがあるからです。更には古代の伝承でも、敗者の「悲惨」や勝者の「非道」を伝えるものが数々残っている事を歴史は知っているからです。
事実というのは隠そうとも漏れるもの。それはネガティブなものもポジティブなものも最終的にはまともな視点と解析力を持った人間にとっては「ある程度の幅」をもって真実はなんだったのかと言うことを明らかにしてくれます。そこに絡んでくる政治や主義主張などの愚かな人間のもたらす歪みは時間の流れとともに流され剥ぎ取られていくものです。
特に、歴史が近代に近づけば近づくほど種々の細かい記録が多くの人によって記録されていく事になります。写真も相当古い時代から始まりますし、第一次世界対戦前後からは動画も普通に増えていき最終的には爆発的に動画が我々の周りで記録されることになりました。
紙に書いた記録、写真、動画、人づての伝承。どんなに事実を隠しても必ず時間が嘘を剥ぎ取っていくと私は信じています。政府レベルで隠そうとも同じ。
事実、政府が宣伝や喧伝を行い、市井の人々の「事実への距離の遠さ」を良いことに嘘を持って事実を歪曲して伝えていてもやがてその歪みは歪みとして認識され、人々の熱狂が冷めた後には冷静な目を持った後の時代の子孫達が事実はどうであったかを真実と嘘の記録を冷静に仕分けしながら淡々と歴史の記録の書き直しをする訳です。
原爆の投下に関する記録、戦争中の種々の戦闘行為の記録、そして大量に書き換えられた共産国家での戦時中の記録。
どんなに大量の勲章が軍人の胸につけられても、どんなにプロパガンダがその次代の国民を熱狂させても、事実が明らかになる時代は確実に50年、100年、数百年のスパンでやってきます。その時に当時の時代に熱狂的に祀られていた人間達への歓声は罵声へと変わり、墓は暴かれ、死体は掘り返され、子孫達はその名字と同じである事さえはばかられるような時が来ないとも限りません。
日本では東條、牟田口などのあまりない名字(長崎では冨永ですが)、更にドイツではヒトラーやアイヒマン、メンゲレ等と言う苗字は恥ずかしくて使い辛いものかと思います。御子孫には申し訳ありませんが、通常の感覚ではやはり・・・ですね。
敢えていうと名誉などというものは詰まらないもの。次の世代の人々が覚えてくれるような事実があったとしても、その名誉が有名になる頃にはその本人は既にこの世には居られないなんてことが普通。
多くの人にとって良いと思ったことを淡々と常識の範囲でやるという「積み重ね」以外に我々凡人に出来ることなど無いですよね。良い事をした風に装って人倫に悖る悪さをしたところで、隠された真実は何時の日にか風雪がその嘘を剥ぎ取り、必ず明らかにされるものだと私は思っています。
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