昨日、実父が85になりました。
寅年生まれで常に自分の嫁さんである同じ寅年生まれの数ヶ月違いで歳を重ね続けています。母ちゃんの方はビールの飲み過ぎから来た脱水と心房細動が重なった脳梗塞を二回起こして以来次第に発症してきた認知機能障害になってはいますがそれでも一見するとピンピン。
正直なところ、両親の超長生きな様を眺めていても自分がそこに到達するとは到底思えませんし、到達したいとも思いません。医師として患者を見守り命を救うのが仕事ですが、自分の命に関しては正直淡々としていて、生きるのなら何をしても大概生きるし、死ぬべき運命の時には死ぬという感覚で生きています。
病院で患者さんを診ていると、95歳の寝たきりのお母さんを見舞いに来た杖をついてる70過ぎの息子とか言うパターンも今の時代ごく普通で、8050問題どころではありません。9060問題になりつつあります。
今回名古屋にやって来ている義母も80ですから、現在私が親と呼べる人達は皆80超え!何というかすごい時代です。昭和40年頃は退職して暫くするとお亡くなりになっても特に誰も驚かなかったような時代でしたから、半世紀過ぎた程度でこれほどの寿命の伸長を見せた動物というのは他には居ないんじゃないでしょうか。勿論医療のレベルが高く、かつそれを比較的容易に使うことが出来るという「文明国家」に住んでいるという恩恵に浴しては居ますが、それにしても!ですよね。
母親を見ていても父親を見ていても、周りの高齢の患者さん達を見ていても、思うことは唯一つ。お下の世話をされないで元気であるようなら「私個人としては」まだ良いかなという事。
そんな事を言うとはケシカランと一部の人には言われそうですが、これは単に自分一人の場合であって、嫁さんや周りの人にも自分の大小便の世話をして貰うのはなんか嫌だなと言うだけのことです。他人の大小便の世話をするのはオムツ替えの時など、その体の重さの問題などもあって体力的には「容易」ではありませんが、特にうんち自体の臭いなんてものは自分にとってなんともありません。何時も病院ではいろんな処置で大小便を嗅いだり触ったりする日常ですしね。
頭と体の比較的しっかりしている親父の存在にどれほど助けられているかと考える日々ですが、「元気で」長生きして欲しいなと考えてしまうのでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿