2023年3月12日日曜日

素晴らしきマラソン大会に感動

行って参りました、名古屋women'sマラソンの救護所にドクターとして。

トップのケニア人選手の淡々として、かつ速い豪快な走りには心の底から驚きました。最初救護所に自分がやって来ていろいろなセットアップを済ませた後に、救護所の前に立って時間潰しに沿道を眺めていると向かい側にあるスタートして一時間ほどのところにある他の救護所前を真っ赤な革ジャンを来た女性白バイ隊員に先導された褐色の肌の選手が跳ぶように目の前を走っていきました。

この写真は実際には既に私の待っていた側の救護所に来たときのトップのケニア人選手。とても30キロ以上走ってきた人には見えませんでした。

2位の鈴木選手。さすがオリンピッククラスの走りは違います!
私が個人的にいつも応援している天満屋の穂南ちゃん。
最終的には3位でした。

「嘘やろ?もう?」と思って次の選手の通過を待っていたのですが、何だか次の選手が全く見えてきませんでした。感覚的には5分くらい後ろが来なかったかもという感じでしたが、実際は3分ほど後から取材陣のバイクやカメラに囲まれた「第一集団」というのが見えてきました。息遣いが聴こえてくるようなことはありませんでしたが、韋駄天達の走りはやっぱ大金貰うだけのことが有るわ~と思える異次元のものでした。

しかし、男子の集団というのはこれよりもさらに10分以上は早く走れるというのですから、オリンピックに出るような選手達は肺活量10万ccくらい有るんじゃないのと思ってしまいました。

その後は、いわゆる一般のランナーたちが少しずつ少しずつ増えてきて最後は大集団になっていったのですが、3時間を切るようなグループで走るような選手達というのもパラパラ居られるわけで、その辺の人達はおそらく企業や高校の駅伝選手だったような人達なんでしょうね。

チンタラ走っている風に見えても未だこのあたりの方々は十分4時間を切るレベルの方々。
要するに私なんかより遥かに速いのでした。
次第に人影も減っていきます。ここあたりは流石に歩くような速度。
最後のゴール締切までに7時間の猶予が設けてあるのですが、それでも完走率はいつも98%くらいと言いますので、よい時間設定だと思いました。そもそも、これくらいの巨大マラソン大会だと先頭がスタートしてから最後尾のグループのスタートライン通過まで15~20分くらい普通にかかるんだそうです。

後で大会に出ていた職場の女性から伺って知ったのですが、それぞれの選手がGPSに識別可能なタグを持っているため、実際は番号さえ知っていればウェブアプリでリアルタイムでフォローすることが出来るんだそうです。知りませんでした…。来年からは知人のフォローはこれで行いたいと思います。

途中、沿道には明らかにそれとわかるような「私設救護所」が作ってあり、ドラえもんの被り物や着物を着たイケメンの兄さん達がランナー達に自作の氷嚢や水を渡しながら跳ねて鼓舞していました。良いもんですね、ああいう景色って。後で知ったんですが、スプレーステーションというのは今TOKYOマラソンなどでは無くなって、市民達が手に手に持ち寄ったスプレーをランナーに渡して助けているんだそうです。(でもまあ、名古屋はバンテリンのKowaありますから、それは無いでしょうね!w)

最後はバイクの人達がラスト・ラインに当たるバスの手前でゆっくり歩いている人に「止まりますか?バスに乗りますか?」等と声をかけながら人をサルベージしていました。
これが、最後の人を載せていくバス。
私達の救護所から大量の毛布を持っていきました。
さて、私の居た救護所の忙しさはどうだったかというと、10人ほどが来て、私がリタイア宣告をしなければならなかったのは2人の女性、一人は過呼吸、もう一人は股関節痛による歩行困難でした。残念でしたが、彼女たちはこの参加でティファニーのリングよりも大切なものを充分に得られたと思いました。昨年の大会では同じ救護所で70人ほどがやって来たということでしたので、今年は気温も朝はやや暖かく、その後は20℃前後を少し切るくらいで推移した雨がちな天気が脱水や熱中症の発生を抑制してくれたものと思われました。私のパートナーのドクターはある病院の産婦人科のベテランのドクター。興味深い話を沢山聞かせていただきました。

最後には救護所の解散式では使った場所をみんなで綺麗にしてその場を去りました。来年もまたチャンスがあったら参加したいなと思った素晴らしい大会でした。

ゴールしてティファニーのリングを手にされた方々も、残念ながらゴールできなかった方々も胸を張って今日の話をしていただきたいと思うのでした。




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