年齢にかかわらず、生き方にも死に方にも本当に一人一人の選択というものがあります。
それはもう、毎日の治療の中でも若い人の中でも別に延命治療でないし、これこれこういう薬を毎日服用しておくだけで、何の痛みもないし相当健康に長生きできる可能性がありますよ!と言っても淡々と「いや〜、面倒くさい。絶対イヤだ!」と言って笑って拒否する人も本当にいます。
こういう治療をすればほぼ確実に助かります。私の方で大学病院に直ちに紹介状を書きますし、年齢がXXで保険の種類もXXさんですからお金もほぼかかりませんから、治療しませんか?と、何度意を尽くして繰り返したところで「もう十分生きたし、楽しいこともやったし未練もな~んもない。ただ、最後が近づいた頃に痛みがないようにだけしてくれればエエわ。出来るならポックリが一番いいけどな!」と、こちらが驚くほど全く生への執着を見せずに悟りきった聖人のようにあっさりと死する運命を受け入れる方も実は日常診療で少なくないのです。
今回の報道の中では(あえて事件とは呼びません)40代の若い方も居られたとのことですが、透析を始めるか否かという第一ステップで悩み、するならどのタイプの透析をするかで悩み、透析を始めたら始めたでその長さに悩み、サポートをしてくれる家族の負担にまた悩み、廻りで透析中に突然死をする人々の多いことにまた驚き悩みというようなことも人工透析では普通にあります。
どんな病気になっても、ポジティブな人もいればネガティブになってしまう人もいるのが”当たり前”であって、長期にわたる日常生活でいろいろと制限の多くなる治療の途中で患者さん自体がその治療に苦悩するのは実に自然の成り行きで、そのう言った治療の選択を”選ばない”という選択肢をあたかも存在しないかのごとく提示しない事自体が実は大問題だと思います。
患者さん、そして家族や関係者の皆さんと複数の医療者達が十分話し合った上で決められたその治療を行わないという選択は実に安楽死ということとも異なり、患者さん御自身が己の生をどう生きるかという高貴な選択肢そのものだと思います。
もちろん、途中でその選択の方向性が変わればそれに寄り添って最善を尽くしてあげると言う方法を取ればよいのではないでしょうか。
何が何でもこれをすればずっと延命できるから、この方法は「当然受け容れられるべき」などという発想は人の魂に関して想いを巡らしたことのないボンクラの態度だと思います。(勉強ができても人の命のことに思いを巡らせることのないボンクラは教授連中でも幾らでも居ります。)
たとえば高齢で重度の認知がある方のケアプランなど実に様々の複雑な実態や個々の多様な人間模様・生き様にライトを当てることもなく、病院で行われた長い議論や複雑な検討の過程を知ることも報道することもせずに、あたかもはじめからそれをスキャンダルとしてセンセーショナルに報道するマスゴミの姿勢は相も変わらぬマッチ・ポンプ野郎どものいつもの御作法だなと強く感じた今回の事件報道です。
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