2019年3月6日水曜日

一年ほど経って決まってきた看護師さんの評価

昨年春に入ってきた初々しい看護師さんのタマゴが私の病棟で立派に育ってきました。

彼女は私の長女よりも2つ歳上なのですが、本当に素直で心優しい。周りの先輩看護師さん達も、彼女と話す時は実の娘のように可愛がっているのが傍目に見ている私にも容易にわかるほど。どんな親御さんの元で育てばこんなに素晴らしい子に育つのだろうというくらい素材として光り輝いています。

最初の頃はメモ帳持って先輩看護師の後ろをついて回っては質問をしながら実務をコピーしていくということの繰り返しでしたが、次第次第にメモ帳を見る回数も少なくなり今では中途採用で入ってきた看護師さんに立派にいろいろな事を教えることができるようになってきました。

このままこちら側からの教育さえ間違えなければ素晴らしい看護師さんとしてすくすく育っていくことでしょう。

見ていて解るのは結局、看護力の基礎というのはその子がもともと持つ知性とその子が如何に親に育てられてきたのかと言うことの積なんだろうなと言うこと。
20代なかばというのは立派な大人ではありますが、結局看護師になった時点ではすでにどうしようもなく人としては"良くも悪くも"完成品だと思うんですね。

良い方に完成している人というのは本当に病棟にとっては宝物のような人材で、注いだ栄養が素直に知識と技能として身についていくのが見えてきます。しかも、その心優しさの御蔭で患者さんにも本当に素直に心優しく接してくれることから、患者さんも彼女には素直に言葉をかけ、自ら心を開いて昔話などに花が咲きます。

しかし、良いことばかりではありません。彼女と同時に入ってきた他の看護師さん(彼女より年上)は残念なくらい本当に何も出来ないまま毎日が過ぎていきます。

採血、他の患者さんとの接遇、血糖測定、ヒヤリハットの文章、同僚看護師達との会話のやり取り、基礎的な看護知識・・・。何れをとってもただただ残念という出来。
彼女は勉強の能力に関しては自信があるようで、テストの成績が良かったことをしきりに話すのですが、どうやら現実世界では全く応用の利かない知識のようです。

それとも、彼女自身が障害になっていて、”本当は”役に立つはずの知識が現実世界で死んでいるのか・・・。

一人の子が一年間で素晴らしく育った光なら、その反対の闇のような状態になってしまっているだけに、まことに残念です。他の病棟に行っていたらこの人も育っていたのでしょうか。

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