2019年2月26日火曜日

究極の道楽はどれだろうか?

最近いろいろあって、道楽について考えることがありました。

道楽と言って私の頭に浮かんでくるのは着道楽、食道楽、女道楽などという歴史的に人口に膾炙すると思われるものなのですが、Wikiによると江戸の頃は三大道楽といえば園芸、釣り、文芸だったようです。(博打は何れの時代も道楽の王様というより、それを超えた)

うーん、確かに今と違ってそういう事ができる人口層というのは、間違いなく当時であれば町人等の非農業従事者だろうと思うのですが、

「道を解して自ら楽しむ」というのがそもそも道楽という言葉の元であると記述してありますが、道楽者にとっては語源などには関係なく楽しんで愉しんで身を滅ぼすレベルまでのめり込む何らかの行為なんでしょうね。

この御時世、私が思うのは現代の道楽は基本的に食がその性別や年齢によらない人気と支持の幅の広さでは道楽中のトップじゃないのかと思っています。
今の日本ほど、食べるものに関して多くの人が情報を発信しつつ、それを他の人がまた参考にしてその店に足を運んでそれを確かめるような時代はなかったんじゃないかと思うんです。

それに、着道楽、その他の道楽ほど身の破滅的なものを感じさせない健康的な感じがありますからね。でも、食道楽もB級グルメを除いた「本当に」美味しい食べ物を探し始めると、猛烈にカネと手間暇がかかりそうな、嫌な予感が。w

実際にそこまで足を運ぶのに世界中を回って珍味を食べる人達の中にはその料理人を家に呼んだり、一食数万のものを惜しげもなく食べまわったりという感じで最後は消化してウンコになってしまうものにお金と手間暇を書けるという贅沢さ。

形に残らない経験(この場合は味覚)に異常にお金をかけられるというのは、本当はやっぱり庶民の感覚とはかけ離れた道楽なんだと思うんです。もとが貧乏育ちの私から見たらやっぱりそう言う感覚は、ゼイタクなものだよな〜って思います。

食道楽が心から愉しめる人が羨ましくもあります。

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