2019年2月23日土曜日

多死時代といつか来る自分の最後

今日は当直中、二時間の間に御二人亡くなられました。

御高齢の方々も80後半から90代の方々が実にごく普通に入院されていると、突然死というのが日常になってきます。在宅に限らず、病棟でも看護師さんやヘルパーさんの巡回中にふと気づけばお亡くなりになられているという事もあります。

その時には御本人や御家族の生前の御意志に従った処置を淡々と行っていくことになりますが、殆どのケースで心臓マッサージや挿管、そしてそれに引き続く人工呼吸器の装着や気管切開も望まれないというのが現状です。

70歳より前の方々を中心として積極的に癌やその他の疾病にアタックしていく状況と異なり、超高齢者の方々を診察治療する場合には、それらの年齢構成の方々とは異なるアプローチがあっても良いと考えます。

それぞれの方々の思いに寄り添った最適の治療方針は、必ずしも最新の治療法を適用していくことではなく、その方がベストと思われるアプローチにその方が入院している病院で最も近づいてあげられる方法を提示することでしょう。

その上でもし患者さんがその方法に納得されず、もっとこうしたいという御意志があれば”その考えを実行できる診療施設”を直ちに検索紹介してあげるのが今の時代の医療機関の良心だと思います。

とは言え、最近は胃瘻設置や経鼻チューブ挿入での長生きを断られる方々も以前よりかなり増えてきている印象です。

自分の年齢を回顧して「私もこんなに長生きするなんてまさか思っとりませんでした。はよお迎えが来んか来んかと毎日待ってるんですけどね〜。」などと言って大笑いするような方もおられ、似たような発言はまさに無数。

元気なうちに自分の意志を”それとなく”家族と話し合っておき、いざ実際に自分の寿命が近づいた時にはハッキリと的確な意思表示が出来るような状態でありたいものですね。
(我が家では家族内で年1回そのようなことに関する意思表示を両親と私の間で確認しあっております。)

人は死があるからこそ哲学が生まれ、努力もすれば泣き笑いも有ると常々思うのでした。
その日が来た時にあたふたしない自分でありたいものです。

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