実効性の無い、現実を無視した悪法であった食料統制法に従い、一切のヤミ米、違法な食料を口にせず餓死された東京区裁判事山口良忠氏。良く言われる悪法も法なりというソクラテス的判断がこの中にはきちんと含まれると思うんですが、法そのものの正当性と人間の生存権のはざまで揺れた氏の行動により当時の日本は大きな衝撃を受けたと言われます。
彼の行動を「愚直」とか「現実を見ぬ愚かな行動」等と言って嗤う輩も居たのでしょうが、彼のこの行為はまさに「一粒の麦もし死なずんば」の典型的な一例としてその後の日本の法理にデカい影響を及ぼし、様々な改善の大きなソースになったと言います。結局、彼の行動は戦後の日本における法の正義、人間の尊厳などの根源的命題に光を当てる切っ掛けとなったのでした。
終戦記念日から一週間ほど経った今日ですが、実は私の母親も家族の餓死を避けるためのアシスト要員として闇米を終戦当時運ぶのを実の母に手伝わされ、線路に沿って歩いていた時に官憲に捕まり持っていたものを全て剝ぎ取られて一生忘れられないような悔しい思いをしたそうです。
今その現場に私が出会っていたら多分その警官をメリケンでぶん殴っていたと思いますが。
そういう「身近な話」としての悪法の存在を戦後80年の今になって見直す事で、我々の日常の中に存在する悪法の存在にしっかりと目を向けなければならないと思い直しています。悪法は常識的な判断が罷り通る時代には埋もれてその姿を顕しませんが、闇が光を上回る時世になってくると、闇の中で積極的に拡大解釈され世の中を押しつぶす道具として使われます。
決して恣意的解釈がなされる道具としてその条文が解釈されることが無いように我々はしっかりと目を見開いておかねばならないと強く思いますし、このような事件でこの世を去られた先達の「気骨」に想いを馳せることがいつまでも必要では無いでしょうか。
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