2016年1月8日金曜日

大学の世界ランキングの話

あちこちの記事で世界の大学のランキング付けの結果を出したものが出されていますが、一体あれはなんなんでしょうか。

中国の大学やイギリスからのものがでていたり、アメリカの雑誌の出版社が出したりしてるものが世界的にはよく引用されるみたいですけど、大学をいろいろな尺度で数値化してそれを足しあわせて合計点からランキングを決定って、どっかアジアの国で科挙の影響が残ってるところが瑣末な点を列挙してつけた点数で最終順位を決定し、状元、榜眼、探花〜とやってるのとあんまり変わらんじゃろ?と思ってるのは私のようなものだけか?

勿論、列挙されてトップに躍り出てくる大学の「中に所属する人」の中には当然「学問的に」すごい人物も沢山混じっているわけですが、そのようなものとは全く別に、冷静に実際はこのランキングがどのような観点からつけられているかを見てからお話をすべきだと考えます。

本当に学問的に成し遂げたいことがあるならば本当はそこの大学にある「学びたい学部、受けたい授業、教えを請いたい人物」を目標に出来るくらいが理想なんでしょうが、実際のスケールは(ランク付けをしている会社や大学がそれぞれ己のランキングの特徴として出している項目は)実に奇々怪々で、大量のスケールの中には中にいる大学(administrative unitの)職員の満足度とかいう項目まで有る始末。

いろいろと項目を選定してランキング付けをする方も大変でしょうし、こういったもの(ランキング)を作って耳目を引きつける組織というものも商売としては有りとは思います。また、こう言ったランキングにビンビンに反応して「我が国の〜」などと議会で演説する方々も「信教の自由w」がありますから個人の自由として結構なことですが、例えば週刊誌や進学塾、大手出版社が付ける偏差値の比較を持って「大学」のランキングを付けるというのがどれほど無理筋で乱暴な事かということが「内側」にいて解っている人から見れば余りにも当たり前だと思えるんですけど。

「いや、これはもっと多角的に評価されたものでそんなに単純なものじゃなくて・・・」という人もいるのでしょうが、どんなに沢山の評価基準を作ったとしても「その大学のその学部に何を求めるか?」という問(とい)一つとっても、この手のランキングがその簡単な質問にさえ答え(応え)られるものではないというのは当然至極な気がします。

実に乱暴な私の個人的見解ですが、大学を教育機関としてみるか、研究機関としてみるか、はたまた社会人や研究者を再教育した上でその集めた人材を政府や研究機関に再配分する中間的な施設と見做すかによってこんなランキングはボロボロに引き裂かれると思いますが・・・。

(この話、明日も続きます〜。)

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