2016年1月3日日曜日

考えることと学ぶこと

新年あらためて様々なメディアを渉猟する中で思うことが有りました。

それはもう少し「考える」ということについて今年は考える時間を増やそうということ。まあ、今年の個人としての努力目標と言ってよろしいかと。
言うは易し行うは難しというのまさに上に書いたような目標でして、ハード・ターゲットと言って間違いないと思います。

生まれてこのかた、本当の意味で「考える」というのは実は極々限られた機会しか無かったと私は「感じて」います。殆どの脳みそを使う行為は「学ぶ」ということと、学んだ事柄を「型として使う」ことが殆どであって、純粋になにか新しい事を創りだすために考えるという行為は滅多なことでは起きていないのではないかなというのが本当のところではないでしょうか。

実際に考える対象としての何か良いタイトルがあったとしても、本当の意味で考え続けるという行為はまず訓練されていない人にとっては五分も持たないと思います。
一流の数学者などはこう言ったところが別格なのだろうと私は推測するのですが、以前あの藤原先生が若いころ「難しい問題と格闘して考え続けるということを行った所、下痢が止まらなくなって断念した」というような話を本の中で書かれていたように覚えています。

詰まるところ、本当の意味で「思考する」と言う行為を継続する為には最後にはその人の体力までも関与してくるレベルの行為なのだということでしょうか。結局、頭脳もそういう思考という方向で使うように訓練されていないと自動的にブレーキが掛かって自然にそれを止めてしまう、もしくは続かないということなのかと。

数学なんていうのは考えるという行為のためには最高の道具なのでしょうが、それを逆説的に捉えると、数学が嫌いという人が多いというのは(無論レベルはピンキリなのですが!)解らなくても解るまで「考え続ける」という事が如何に人にとって通常の出来事では無く、苦しいものかということではないかとも思えるのです。

型にはまらないことを頭の中で噛み砕き続けることにこの歳で挑戦するという事はなかなか大変なのでしょうが、弛まず己の出来る範囲で努力していきたいものです。

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