実際のところ、我々はそして相手の国の人間はこういった事実をどれほど正確に把握しているのかという話をする前に、こういった話を拡散するメディアの存在がどれほど「扇動」や「センセーショナリズム」という言葉から距離を置いた報道であるかという事に気を向けているでしょうか。
ワシントンDCにいた時に、派遣されている新聞記者達に何度も文屋の仕事に関して話を伺った事がありましたが、所詮は彼らは文屋。確かにDCに派遣されるようなレベルの人達は新聞社などの中ではトップの人間に近いと思われるのですが、そう云う彼らをしても己が書いて発信した記事がどれだけ人に読まれるかという事に「物凄く」気を使っていました。
結局彼ら自身の存在意義は新聞社や通信社としてどれだけ自分らが発信した記事が読まれたか、そして読んでもらえる記事を発信しているのかという事が魅力として広告媒体を呼び寄せ、発行部数をあげることが出来るかという事になる訳で、それ以外にナントカの使命等という感じで発信してる訳でも無いのだというのがヒシヒシと彼らの会話からは伝わってきました。
何はともあれ部数のブーストに繋がる記事が全て。これはテレビ局とて同じ。今のインフルエンサーがあの手この手で「その発信内容の真偽は問わず」「人の気を惹く事が一番」みたいな内容で溢れかえっているのとほぼ全く変わらないと思える状況ですよね。メディアの種類がネットのアプリなんかに移行してもやってる事は今も昔も皆同じという訳です。
人の気を惹くためには「真偽は問わず」という世界が存在するのだというのは日本のような国の社会の木鐸などとうそぶく媒体であっても、隣の赤い国の御用(誤用?w)媒体であっても皆同じだという事実を忘れてはならんでしょう。
戦前も、戦中も、そして戦後も一貫して嘘をばら撒き続けてきたメディアと政府。右が左になっただけの民間メディアもあれば、慎重に報道はするけれど遅きに失した報告を繰り返す政府も居る訳で、もう少し冷静になってドライな視線で嘘の遣り取りを見つめておかないと馬鹿にしている彼方の国々の、これまた一部の騙されている人達と同じところまで自分を落としかねないなと感じる今日この頃です。
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