私はアメリカに居ましたが、日本から配信、実況として送られてくる信じられない動画の数々にただただ目頭を熱くしていました。とても現実に起きている出来事とは思えないようなシーン。眼の前にいる人々が黒い液体の塊に襲い掛かられているシーン。画像の中で田んぼの中を恐ろしい勢いで遡上していく津波の流れを視ているなかで「逃げてください、逃げてください」というアナウンサーの声を聴いていると本当に涙しか出て来ませんでした。
多くの方々が潰れた家、津波によるより溺死や流れて来た物との衝突による死、火事、凍死等で亡くなるという有り得ないこの世の地獄。21世紀の日本にこんな地獄絵図が出て来るものなのかと。
家族全員が亡くなられた方、一人だけ取り残された方、両親を子供を失われた方々の話は流す涙が枯れ果てる様な聞く事自体がトラウマになる様なものばかりで、自分だったら立っていられるだろうか、それよりも生きていけるだろうかと自問する日々。
被災者に寄り添う事は勿論できず、アメリカから私が出来る事は小銭を送る事だけでした。
自然の力の前では想定を幾らしていてもそれを超えて来る「何か」が何時でも起こりうる事を示した恐ろしい大震災でしたが、人知を超えた事がいつ、どこで、どれくらいの規模で起こるのかと云うのはこれからも本当には誰にもわからないと思うのです。予想は出来ても正確にはわからないと。
あの日から驚く事に既に14年。6歳だった子供でさえ既に二十歳。10歳だった子ならもう医学部を卒業し、今年は現役の医師になるような歳です。おそらく、あの日の悲劇を胸に刻みつけ、人の命の重みを誰よりも知る高い志をもった方々が医師になっていくでしょうし、その他のエリアでも建築、防災等で数々のスペシャリストが育ってるはず。
人は灰の中から何度でも立ち上がるとは言いますが、私はもし家族の誰かを失ったらあの震災後のボランティアが働く会場で気丈に振舞っていたような方々の様には絶対に働けないでしょう。
そういう意味でも、被災されても他の方を思い遣り必死で働き続けられた方々、そして今の街の再建へ貢献された方々の苦労を偲ぶと共に、亡くなられた無辜の人々と行方不明の方々の御冥福を改めて祈る日となりました。
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