2025年1月23日木曜日

心に響かぬ言葉

最近、ある「偉い方」の年頭の挨拶を新聞紙面で見たのですが、読んでみた文面に強い違和感を覚えました。

それは文章が総花的で、確かに内容としては正しい事を書いていると思えるのですが、結局全部を読んでも何の印象も残らないような毒の無い記述だったことでしょうか。この文面について同僚のドクターに話をしたところ「それってChatGPTで書かれたような文章ってことですか?」という返答を受け、思わず「それって、ほんとにそうかも!」とこたえてしまいました。

という事で、直ぐにシステムを使って500字の文章を作成させました。相手はMSのCopilotですが、質問文はというと2025年の年初の挨拶を今後の医療関連の問題を解決する文言も含め500字で述べてください。というもの。すると以下のような例文が返されました。

新年、あけましておめでとうございます。2025年の幕開けに際し、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。昨年も私たちは多くの課題に直面し、特に医療関連の問題解決に向けた取り組みが求められました。今年はこれまでの取り組みをさらに推進し、医療の質の向上とアクセスの改善に向けて努力を続けてまいります。

特に、地域医療の充実や高齢化社会への対応、医療技術の革新が求められています。地域医療の充実に向けては、医療資源の均等分配と遠隔医療の導入を推進することが重要です。また、高齢化社会に対応するためには、介護サービスの拡充や予防医療の普及が不可欠です。さらに、医療技術の革新により、新しい治療法や診断技術の開発が期待されています。

私たちはこれらの課題に立ち向かい、持続可能な医療システムの実現を目指してまいります。皆様のご支援とご協力を賜りながら、より良い医療環境を築いていくために努力を惜しみません。

本年も皆様と共に、医療関連の問題解決に向けて取り組み、健康で安心して暮らせる社会を実現するための努力を続けてまいります。ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。2025年が皆様にとって希望に満ちた素晴らしい年となりますよう心より願っております。

新年の抱負を胸に、一歩一歩前進し、共に輝かしい未来を切り拓きましょう。引き続きご愛顧賜りますようお願い申し上げます。

文章は冗長でまさに総花的。取り敢えず万遍無く各種の問題を汲み上げて単語としては入ってはいるものの、一体具体的にはどうしたいのかは一切見えて来ません。書かれている方策は全て既に行われている事ばかりで新規の改善へのアイデアは一つも入っていません。更に、使われている文章は人口に膾炙したものではありますが、それ故か既視感が強く、この文章を読んだ後にあの年頭の挨拶には何が書いてあったでしょうか、という質問をしてもほぼ全員が腕組みをして「ウーム」と唸ってしまいそうな位インパクトに欠けています。

誰も傷つけない、文法も間違いない丁寧な文章ですが、毒にも薬にもならない文章を一体誰が読みたいのか?

という感じで再び手元にある「偉い人」の書いた文章を読み返した後、改めて「じゃあお前の糞ブログはどうよ」というヤバい質問を自分に投げかけてみると、自分の脳内AIは「お前のブログはChatGPTより酷い」というのが返されてきそうです。

という訳で、明日からブログもChatGPTで…とはなりません。最近はボケ防止の為の日記になってきておりますので。w

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

多少文法が間違っていても、誤字脱字があったとしても、人がひねり出した文章のほうが読んでいておもしろいです。
ニュースもアナウンサーじゃなくてAIが読んでるのもあるけど、なんだかね…

small G さんのコメント...

校長先生の朝礼や答辞、祝辞の9割があくびを誘発するようなものなのはこういう「当たり障りの無さ」からきてるんでしょうかね。
間違いも含めて人間らしいって大事な事だという気がします。