実のところ、師長の「知性」に依拠すると言っても良いでしょう。余りにストレートな言い方かもしれませんが、愚かな師長に当たると頭を抱え込むようなとんでもない夜を過ごすことになります。
当直の日には病棟で起きた各種の問題の性質に応じて各医師に仕事が振り分けられるのですが、例え日本人であっても日本語自体の理解力に各人それぞれが大きな差を見せてくれます。その上、一を聞いて十を知るレベルの人物と十を聞いて一しか理解できないような人物との間ではビックリするほど「仕事の捌き具合」に差があるのです。
ですから、当たりの師長に当たった時の仕事のスムースさと外れの師長に当たった時の仕事の惨めさはまさに天国と地獄。翌朝の疲れ具合が全く違うのです。
しかし、こういう事を本人達に直接言う訳にはいきませんので~黙ってる訳ですが、経営陣や看護部の連中は一体どうやったらこんな人選が出来るんだ?と心の底から呆れる様な人選が「混じって」いる事は目の前のシンプルな真実です。
コレも事実ではあっても大きな声では言えない事の一つなのですが、今の師長の学歴のバックグラウンドは実に様々。学歴が何だという声が聞こえて来そうですが、ある一定以上の職種においては基礎学力というものが絶対的に必要なもの。勿論、人間対応力が必須である事は大前提で、その上で「言語や病気を理解するため」のある程度の基礎学力が必要なのが主任や師長等という職種。
無論、看護部長などになってくると本来は経営や法などのある程度の知識を持っている事も必要なのですが、それはなる前後で講座を受講したりテストを受けて磨いていけば良いので後付けで結構。しかしそれを獲得するにはこれまた理解力というある種の知能が必要になってきます。
本来、これらの職種に適した人間の人選の為には「テストやインタビュー」というセレクションのステップが必須なのですが、当病院は全くの恣意的な人選。ヤバいですよね。この点、今回理事長との話し合いで変えていくように話をしたのですが、どこまで変わるのやら。
実際の所まさにヤレヤレってところです。w
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