2018年1月31日水曜日

皆既月食

皆既月食を震える中で観ていました。

日本の広い範囲でで観られる久しぶりの皆既月食、かついろんな意味で珍しいと言われたスーパー・ブルー・ブラッドムーンだというもの。

スーパームーンは説明はいらないと思いますが、ブルームーンというのは月に二回満月がくるというもの、そして皆既月食で月が赤っぽく見えるのをブラッド・ムーンというのだそうです。

日本では1982年の12月31日以来で36年ぶり、北アメリカでは1866年以来150年ぶりとのこと。Forbesの計算ではその珍しさをを計算してますね。曰く”全ての満月を100とすると、スーパームーンが起こる確率は約25%、ブルームーンは3%、皆既月食は5.6%。つまりこれが全て同時に起こる確率は0.042%となり、満月2380回に1度起こるイベントとして、計算上は平均して265年に1度の出来事という!”まあ正確さのほどは知りませんが、珍しいことには変わりないですね。
こっちがあと15分位で全てかけるという時の写真
こちらは完全にかぶさってしまう直前の写真
上の写真は私のiPhone6sでチャレンジした写真ですが、、、全然駄目。w

震える寒さの中で空をじっと見つめていると、暖かい部屋の中でNHKの皆既月食実況中継で余裕綽々の嫁さんが見えました。寒さの中で耐えるというのが痩せる大事な要素なんですが・・・。

嫁さんあんまりこの手のことには興味無さそうでした。orz
それにしても、こんな珍しい天体現象が曇りや雨で遮られなかったのは素晴らしいラッキーでした!

2018年1月30日火曜日

二階と言うのは本物のアホ

国家にとって獅子身中の虫というのは”何時でも”いるものです。

国というのはその中で生まれ育った人にとってはその人の骨格を形作り、その人を守ってくれる大きな家。まさしく国という単位での家です。
その国の中においては、通常その中で育った人にとってその人の持つ言語は通じ、その人の背景を国家の名のもとに守ってくれる存在です。ですから、その国を売ろうとする人間はその国の中においては最大の脅威であって、他の国に通じて国家の秘密を売り、国家の安全と権益という”根幹”を揺るがすものは残念ながら敵であろうと私は考えます。

無論そのような人物は多くの国においては外患罪と呼ばれるものであり、刑法における”最も重い罪”になります。

今、政治家の中でそれに当たると私が思う人間が居ます。自民党の二階です。2000年5月に5000人のバカ達を連れて、2015年には3000人のバカ達を連れての中国詣で。そして今回2017年の年末には御本人自身がポチとして。

頭を撫でられてる馬鹿な愛玩犬は日米関係強化の波が押し寄せ、日中関係が悪化する度に呼び寄せられ餌付けをされて主人のもとに寄っていきます。まあ、節操も恥もない馬鹿ですからそれがどんな意味を持つかは全く解からぬままで”日中の架け橋(本人の頭のなかでは中日か?w)”として働いているつもりなのかもしれません。ただただ、その愚かさが哀れですが・・・。愚かさ故にその愚かさには気づかない。

尖閣に、対馬に、津軽海峡に出没するこの共産主義国家の潜水艦と駆逐艦を眼前にして一体何がしたいのでしょうか。
一切のことを棚上げにせず断固とした主張を貫かない国家は必ずやその主権をじわじわとしかし確実に侵食されていくことでしょう。和歌山県民はこんな爺さんしか担ぎ出せんのかな?

爺さん、噛みつけ!そしたら見直すけど。w
無理だわな・・・習主席にとっては可愛くもない小型愛玩犬以下ですから。

2018年1月29日月曜日

お菓子評論家、嫁さんに叱られる

オッサンですがお菓子評論家を自称しております。

とにかく昔からお菓子は良く食べてきており、甘いものに関しては結構な種類を口の中に通し続けていると自負しております。今でもストア、モール、コンビニ等々、店の種類に関係なく「これは!?」と思う菓子はとりあえず手にとって眺めた後ポソっと買い物かごの中に入れます。

そして家に持って帰りまずはポリポリとか、ムシャムシャとか、ペロペロとか・・・その菓子の形態・形状に合わせた方法で試食するのですが、頭の中のデータベースにおいてどのポジションに置くべきかを評価の結果を元にアレンジしていきます。w

勿論、好き嫌いがあるわけで、酸味系のお菓子はあまり評価をすることが出来ませんので、そのあたりは嫁さんの評価を参考にしながら手をつける手をつけない等を決定しているのですが、お菓子の味は値段が決めるのではないということが”この歳”になって改めてよく理解できますね。よく考えるとこの歳になったからこそなんでしょうか。

味覚の発達というのは幼少期からいろいろと訓練されていく中で、GPCRである各種の味覚レセプターやナトリウムチャネル等との絶妙なコンビネーションが脳内に記憶されて”好み”を成立させているのでしょうが、その”量的な抑制”が私の場合いつもできておりません。要するに摂取量がいつも嫁さんに叱られる要因になるレベルなのです。

特に嫁さんから強いダメ出しを受けるのは、一度開けた袋はほぼ毎回”袋の底”が見えるまで一気に食べてしまうことでしょうか。この癖だけは小さい頃から変わっておりませんで、50を超えた今でもやっぱ駄目ですね。変えられません。曰く「あんたはお菓子に関してはほんんんんんんっとうに駄目ね〜〜!」で”終わり”です。

という訳で、お菓子を一度買ってしまうとすぐ食べてしまうので、まず太らない為に大事なのは「買わない」事ですね。そう、解決策は明白なんですが・・・。

お菓子に関して極めて意志の弱いこのおじさんにどなたかお菓子を買わない”効果的な方法”を教えて下され。orz

2018年1月28日日曜日

やっぱり次女は信じてくれていない w

長女から少し腹が緩くて熱が出ているとの話がLINE経由で嫁さんに来ました。

という訳で相談は「お父さんどうすればいい?」というものでしたので、症状をもう少し詳しく聞いて投薬内容を決定、、、と言っても「そんなもんタイレノルだけ飲んでゆっくりしとけ。w」で終了。
fluか胃腸風邪の弱いやつでしょうくらいのもので、そのまま放っといても治るわな〜程度のものだと感じました。
こんな感じで取り敢えず私の処方や診断を信じてくれます。

ところが・・・先日嫁さんと息子の採血をしたことを次女に話したところ「怖っ!」とのこと。
「本当にドクター!?」「怖かったでしょ?」と言ったとか言わなかったとか。orz

また、大学に行っている次女は一日に三、四回くらい便が出ることがあるけれどそれは正常なのか?と言うようなことを聞いてきたので、それに関して私が「全然問題ないよ。人によっていろいろだけど腸が若くて元気ないい証拠。それにうんちが軟すぎなくてそれだけ出るなら上等だな」と答えたのですが、やっぱりなんとなく信じてもらっていない感じです。

アメリカを出る時に、私が大学での教職を去って日本に帰る時、こっそり嫁さんに「お父さん何をして食べていくの?」と訊いて「お父さんお医者さんするんよ?」と言ったところ「え、お父さんドクター???え〜〜〜〜!!」と言い放った娘だけのことはあります。w

一体何時になったら信じてくれるんでしょうかね?

今度日本に来たときにでも、病院で白衣を着て仕事をしているところを見せたほうが良いのかな?
娘の前ではいつも論文を読んで実験室でウロウロしている変なおじさんの姿しか見せておりませんでしたので、そのイメージが未だに強すぎるみたいです・・・。反省せねば。

2018年1月27日土曜日

美味い食パン

大須の帰りに実はあるリクエストを嫁さんから受けました。

それは「ここら辺りに高いんだけど美味いと評判の食パン屋さんがあるんだけど、ちょっと探して行ってもいい?」と言うものでした。時間は十分ありましたので「ええよ」と二つ返事。

そう言えばこの前テレビで”乃が美”というパン屋さんが、アレルギーを持つ息子のために作ったというパン屋の話をしておりましたが、そこも確か値段はそれほど安くはなかったはずですが、このような”高くてもそれに見合った”美味しい食品に対するお金を払うことがある一定のブームになっている感じがします。

何が何でも安ければ良いということがどのような事態を産み出すのかこの数年間で多発、、、というか露見した食品偽装事件で嫌というほど消費者側も思い知らされたでしょうから、その反動なのかもしれませんが・・・。

取り敢えずスマホでその店を探すと100m先にあることが表示されたマップで判明しましたので、交差点を横切ってすぐに到着しました。店の名はフルール・ドゥ・リュクスという店でした。

店の外は黒い壁で囲まれ本当に小さな店舗でしたが、健康的な明るいお嬢さんが出来たてのパンを次々と並べては入ってくるお客さんに会計をしていく感じで結構忙しそうでした。何と食パン2斤が800円、レーズンパンは1.5斤で800円というものでした。普通の安い安いパンに比べれば数倍ですが、これを家で食べてみたところ確かにふわっともちっとしていて確実に美味かったです。

マーガリンと卵を使わない研究された”成果”がこんな味になるのかと思うと”研究”っていうのはいつの時代も本当に大切ですね。差をつけるのは弛まぬ研究と努力。それが味の差になり金額の差になるのであればそれは正当な成果として受け取るべき果実でしょう。

2018年1月26日金曜日

ネコはえらい!と思うのだが・・・

今日は家族三人で外出して大須で買い物をした後、家に戻って家の犬がケージの中でオシッコだけしていたため”セーフ”ということで嫁さんが安堵しておりました。

ところが、いつも飛び出してきて餌をねだるためのニャーゴ・ニャーゴという変な声を出してキッチンの上に飛び出してくるはずのネコの姿がどこにも見えません。
私自身は気にもせず黙々と家に後に持って帰ったパンを食べていたのですが、嫁さんは少し気になっていたようで真っ暗な閉じ込められていた別の小部屋を開けたところネコが何事もなかったかのようにノソノソ、悠々と歩いて出てまいりました。

そう言えば、、、よく考えると何だか向こうの小部屋でカサカサっていう音が何度かしていたな〜、と言う感じなんですが、ココにおったのか!という感想とともに考えたのは「猫っちゅうのは何とストレス耐性が高いのだろう」ということでした。

勿論、狭くて暗いところが好きな様子は見せておりますので、それをあまりストレスと感じていないという可能性が高いのですが、そんなところを差し引いても”大人の風格”あるな〜と感じましたね。

それに比べて我が家の犬の落ち着きの無さはなんとも不甲斐ない・・・。

宇宙旅行をさせる実験動物には犬よりもネコを選んだほうが遥かにストレスが低かったんじゃないかな〜等と嫁さんと話したんですが、ライカ犬は大丈夫だったのかと思いネットで調べてみるとWikiには以下の記述がありました。

その他の宇宙犬

スプートニク2号のために訓練された10匹以上の犬の中から3匹が選ばれた。アリビーナ (Альбина)、ライカ、およびムーハ (Муха) である。アリビーナは既に観測ロケットで2度の飛行経験があった。最終的にライカが選ばれ、アリビーナはライカの控え用に、ムーハは計器と生命維持装置のテストに使われた。スプートニク2号の狭いキャビンに適応させるため、犬達は20日間かけて徐々に小さな檻に移されていったという。
ライカ以降、ソ連は通算13頭の犬をロケットに乗せて打ち上げているが、これは1961年の人類初の有人宇宙飛行(ユーリ・ガガーリンによる)に備えたものであった。ライカは生還しなかったものの、その多くは地上に生還している。周回軌道から無事に生還した2頭の犬、ベルカとストレルカは特に有名で、ストレルカの子犬の1頭は、ジョン・F・ケネディ米元大統領に贈られた。
人間の都合でいろいろとさせられて動物達も大変ですな。

最近はなんかアホすぎる犬より落ち着きのある猫のほうが好きですね。(嫁さんからは「育てやすいのはネコだけど、可愛いのは犬かな〜」との御講話が御座いました。)

2018年1月25日木曜日

沢山の入院の依頼がある中で断った”一件”

出来るからと言ってそれをするかどうかというのは大きな壁があります。

例えば人殺し。

人は人を殺す動物ですが、ほとんどの人間は戦争でも起こらない限り、そして戦場で戦闘員として行動しない限り人を殺すことはまずありません。それでも普通の生活の中で人は人を殺すことがあります。しかし、それは本当に極稀なこと。
上の年次統計.comの資料によると例えば2010年に統計に表れる形で判明している”殺された人の数”は500人程度だとわかります。実際には表に出てきていない人も当然いると仮定することでその数も大きく変わってくるのでしょうが、それでもその倍の1000人と簡便のために仮定すれば人口一億(1.2億)の日本で殺されるのは1000/100000000人として100000万人に一人が殺されていることになります。それに日本人の平均寿命を80年として考え(更に簡便のため一人が一人の人間を殺すと考える)人が歳とともに減っていくことを考えれば、日本には数万人の”人を殺してしまった人”が居ることになります。(誰も死刑になっていないと言う前提)

勿論、その中にはその後に死刑になったり人を殺したあと自死したりする人間も居るでしょうから、更にその数は減るでしょうが、そう言った普通の人間なら絶対に超えない”一線”を超えた人がこの一見平和な日本でさえ数万人はいることになるという・・・。

話は長くなりましたが、実は今回病院の内科に”その一線を越えて”しまったあるお爺さんを入院させてもらえないかという事で社会科から相談が有ったのですが、結論から言えば私の病棟では受け容れられないと言う結論を下しました。

執行猶予が付いた尊属殺人だったようですが、私の居る内科病棟は精神科病棟におけるそのような事件を起こした人に比較的慣れている人達の看護集団ではないため、精神的な準備という意味での”敷居”が低くないという事情を勘案してお断りしたのでした。

他院や施設から毎日毎日沢山の患者さん入院の依頼がありますが、それらの中からスタッフにとっての”大きな苦労”になり得るものをわざわざピックアップしてくる必要は無かろうと副院長とのお話の中で決まったのでした。

現実の社会の中での病院の仕事・役割・舵取りというのも本当に難しいものです。

名古屋に雪が降って・・・

今日は昼過ぎから名古屋に雪がちらついていました。

実際に風が吹くと相当寒かったのは昨日からですが、予報からは今日の夕方から名古屋は雪となっていました。ところが岐阜の方を眺めていると黒く分厚い雲が西から東へズズッと覆い尽くしている感じ。その上で予報を見ると雪雲は北から南へズンズン降りてきそうです。とすると、やってくるのはあの黒い雲。

やはり五時前になると大きな雪の欠片が降ってきて周りは真っ白。病院の院長が指示を出して「今日は危険が見込まれますので、可能な方は出来る限り早くお帰り下さい」との事。
その時点では雪はパウダー状で慎重に走れば全く問題なく車は動く状況でしたので、ササッと家まで戻れたのですがその時点ですでに車はゆっくり走っておりました。

運転しながら考えたのは「明日の朝は圧雪路の上で運転状態ならアイス・バーンが直ぐ出来てしまうな」ということ。ところが今日の仕事は実際このあとが本番だったのでした。orz

人仕事終えて家に戻り夜食を食べて大満足、そろそろ12時に近いかという時間帯だったのですが、さあ今日は何の映画を見ましょうか!と意気込んでいたところチンチーン(私の効果音はホテルの受付の呼び鈴と同じ音を選んでます。)という音。

夜勤のナースからの患者さんの緊急報告でした。曰く「XX号室の患者さんの心拍数がXXXまで急にあがってきて苦しそうです。saturatrionはXXXで、血圧はXXで、、、」と矢継ぎ早に数字を出してくれます。
私の方からも次々に対応の指示を出すとともに風呂上がりの体を再び普段着にくるんで出撃準備。当直の先生は以前ここで書いた超高齢先生。対応はムリです。

嫁さんには「これが俺の仕事」と言いますと、嫁さんが「患者さん無事だといいね」「気をつけて行ってきて!」と言って送り出してくれました。

その時点ではもう道はカチカチ。つるつる。それでもゆっくり走って病院まで辿り着きましたが走っている車はほぼありませんでした。病院に到着して種々の対応を行いましたが、心不全・腎不全末期の超高齢の方で、薬には既に反応しない状態になっており、残念な結果となりました。

その後お見送りをしたら時間は既に午前3時過ぎ。これからまたあのアイスバーンの道を帰って家に戻り、家で寝てまた病院に帰ることを想像すると”病院医局のソファで寝よう”という自然な流れ。

朝までソファで横になってグースカしていたのは雪の名古屋の私でした。 体よりも心の疲れが残った夜となりました。

2018年1月23日火曜日

息子のアレルギー・続き

去年の11月にちょこっとだけ息子のアトピーの話を書きました。

その時皮膚科でされた数種類のアレルゲン検査でネコの毛に最大の反応を示した息子でしたが、ナルホド!と思える結果が出たのは良いものの、医者としてはそのときの抗原検査の種類が少ないかな?と思ったので独自にもう一度追加検査をすることにしました。

ついでと言っては何ですが・・・嫁さんの血液検査も混ぜて致しました。w
勿論、息子のアレルゲン検査の追加には生化学的検査も加えて行なったのですが、案の定なかなか有意義な結果が出ました。

結局のところ生化学的な検査では二人共まあ問題はなかったんですが、追加で行なった今回の息子のアレルゲン検査はMAST36という検査でして、一回の血液採取で36種類のアレルゲンに対する反応を調べ、日常の食事などに潜む何らかのアレルゲン等も検出することが出来ました。それで強陽性に出たのは当然のように前回出たネコ皮屑、そして陽性のハウスダストがあったのですが、それらに加えてサーモンとマグロが比較的明白に陽性でした。

ということは可能であれば、今後は息子の好物の一つであるマグロやサーモンを食べないほうが良いという事になってしまいますが・・・。orz
私としてはまず強陽性を示したネコを九州の実家に遠ざける事によって相当の改善を、そして次にこれらのマグロとサーモンを少し摂食間隔を開けるか、ほぼナシにすることで相当症状が改善するのではないかと考えています。

さて、目論見は上手くいきますやら・・・。

2018年1月22日月曜日

アマゾン・ベーシックス

最近知らないうちにAmazon Basicsなるブランドを結構購入している事に気づきました。

最初のものはDANBOARDのバッテリーかと思っていましたが、さにあらず!実は何回か買い込んでいたUSBのiPhoneケーブルだったのでした。その次が今回買ったラミネーターです。下の写真にあるやつですね。
私のラミネーターとの最初の出会いは小学校低学年の頃でした。
いわゆる当時流行っていた”スーパーカー”の写真をラミネートしてくれる近所の駄菓子屋というのがあったのです。その一回のラミネートを行うことで、その何でもない写真が”何かとんでもなくカッコイイ次元の上がった逸品”になってくれるような気がしたんですね。

当時名刺サイズの一回のラミネートに小学生にとっては大金の100円を投下したものでした。それでもそのブームはアッと言う間に過ぎ去り、当時ラミネートしたカードもどこかに散逸・・・。

さて時は流れて四十年後、病院で働く私は時々看護師さんたちへの告知用の書類を綺麗にディスプレイしないといけない時があります。例えば下のようなものですね。これはヘルパーさん達の教育用に置いてあるもので、褥瘡の出来やすい部位に対する注意喚起を促す図表。
こういうのをすぐに作って必要な人達に渡せるっていい時代になりました。おまけにそのラミネートの元はシートがダイソーで100円で大量に入っている袋がゲットできますし、ラミネーター自身はアマゾン・ベーシックスで2500円で買えます。

実際、私自身の診療用にも必要な資料で何度も見るようなものはこれでラミネートして、なんど見てもシワシワになること無く大変助かっております。記憶力の低レベルな私にとってこう言ったアンチョコ表は大切です。w
皆様も如何でしょうか?大切なひとの大切な写真を末永く保存できますよ!

2018年1月21日日曜日

文春は自殺へ向かう

小室哲哉と言う人物、興味もないので昔から特に注意を払っている人ではありませんでした。

私個人としては、改めてニュースメディアで流された小室哲哉の関与した昔のヒット曲の数々を聞いて「あ〜、この曲もこの曲もこの人が作ってたんだ!」と驚きました。
実際のところその中には、日本を離れていたりJ-POPS自体にそれほどの興味が無いこともあって知らない曲も結構あったのですが、そんなオッサンにさえも知られているというと言う意味では一世を風靡した人物と言って差し支えないでしょう。

ただ、私には何というかどの曲もシンセサイザーのピコピコ感が同じ感じに思えてどの曲がなんという名前かまでは理解できていないという事実とともに、添え物として存在していたマーク・パンサーとかが一体何者なのか?などという疑問を解消せぬままにしていたという点も事実としてあったのですが。まあ、青のあたりはオッサンと言う括りで許していただきましょう。w

さて、この小室哲哉をして音楽活動からのある一定レベルでの「引退宣言」をさせるきっかけとなったいつもの週刊文春なんですが、この手の週刊誌、一昔前はもうちょっと骨のある”政治や文化”に対する暗部の暴露記事が多かったという思いがあるのですが、こういう”他人の情事”を記事にしてそれを”どんなもんでっしゃろ”という文面の一体何処が面白いのでしょうか?私にはサッパリ理解できません。
私にしてみればそんなのは小学生が囃し立てる「誰ちゃんと誰ちゃんがチューをした〜!」というレベルのお話と何も変わらんというの気がするんですけどね、私には。

それとも、昭和のPTAのように立派で清潔なお父さんお母さんが登場してきて「不道徳!ケシカラン!」などというタイプの上から目線の道徳観を振り回して悦に入るのでしょうか。
そういう記事を書いている連中の下半身事情を徹底的にCIAレベルでマークしてネットでこっそり動画付きで大暴露してみると己のやっている事の下衆っぷりが炙り出されていいお灸になるかなとも思うんですが、この手の連中はまず間違いなく「懲りない」でしょうし「開き直る」でしょうから、効果は薄いかもしれませんね〜。

何れにしても、この人達は自分達の読者層を一体どのあたりに想定しているのでしょうか?
私自身も週刊誌などというものを手にさえとらなくなって久しくなりますが、還暦過ぎのおじさん達がこういったよくわから芸能人その他の下半身事情系のお話に興味を示すとでも思っているんでしょうかね。w

中身だけ抜き取られて、テレビやネットでコピーが出回って”終わり”と思うのは私だけでしょうか。

消える前のロウソクは盛大に燃えると申しますが・・・。消えそうですね。この手の週刊誌。

2018年1月20日土曜日

コラムニストの気持ち

夜になるとよく嫁さんに聞くことがあります。曰く「今日のブログ何書こう?」と。

私はコラムニストではないので、それで生計を立てている訳でもありません。また万一こんな糞ブログが書けなくても誰も困りませんので問題は無さそうなのですが、その日付け周辺で起きた出来事や自分自身の考え方等を記録していくという作業を続ける事自体は10年程前にちょろっと考えた以上に自分を縛る様になってきております。

実際に文章を書くことによってお金を頂く仕事、売文はしておりませんので、締切もなければ誰かに対する責任もないと言えば”それまで”なのですが、こうやって十年以上続けてやっていると「書かなアカン」という一つの決まりみたいな感じになってきてしまいます。

まあ、やがては病気で書けなくなったり、耄碌して認知機能障害でわけのわからん文章を書き殴ったり(現時点でもわけのわからん文章で、誤字脱字も多々ありますが!w)、死んでしまって突然ブログがアップされなくなったり・・・なんていうことも”人として生きている限り”当然起きてくるのですが、とりあえず今のところはなにがしかの文章を書くということが日々の習い性となってしまっています。

その程度のつまらない日々の備忘録をアップすることでさえナカナカに大変なのに、締切に追われて居るコラムニストや文筆家は更に中身の質の高さや正確さ、面白さまで要求される日々な訳ですから、どれほどプレッシャーがかかっているのかを考えると何だか気の毒になります。

得意のはずの文筆業で物書きとして生計を立ているとは言っても、いつもいつもスラスラ中身が出てくる人ばかりでもないでしょうし、書いた文章の内容によっては世間の皆様から非難轟々の状況に追い込まれるようなこともあるわけですから、私のように”誤字があろうが脱字があろうが、適当に書き散らして終わり”というわけには参りません。w

おまけにそういった人々は書く文章で生計を立てているわけですからね。その書く内容に対する真摯さの度合いは普通に考えて私の数百倍かと・・・。書けなくなったら人生自体が終わりというのは、本来は大好きかつ得意なはずの”物書き”が逆に自分を追いかけているような状態にあなっているわけで、これは実際のところ怖い話だとも思えるんですが、プロの皆さんはどういう日々を送られているんでしょうか・・・。

文章を書くという行為の重みは立場によって本当に異なるもんだろうなとちょっと考え込んでしまうのでした。

2018年1月19日金曜日

生保ビジネス

本当に悪い奴らは居るもんです。

法の目を掻い潜って悪いことをする輩は古今東西跡を絶つことは決してありませんが、生活保護に関わる連中でそういう悪徳ビジネスに手を出してくる「や」の字がどこからでも湧いて出てきます。そういった仕事は結構多層構造で収奪するように出来上がっていて、なかなか元締めのは尻尾を掴まれないようにズルく立ち回っております。

当病院に出入りする各役所の福祉課の人や当院の社会課の人の話を聞く限りでは、末端が捕まってもその上が誰かは判らないように連絡は何段階かになっていて、上の方の連絡先を下の方は知らないという形をとることで、芋づる式を防ぐ初歩的な構造が作られていることが多いという言うか”普通”だといいます。

最近は本やニュースになっていることも多いので、多くの方がその内容に関するあらましを知る機会が多いかとは思いますが、生保ビジネスというのは簡単に言うと”劣悪な環境下に生活保護を受けている人間を多数押し込んで、生保の金が個人に渡るたびにその金の殆どを巻き上げ、残りの僅かの金だけを本人に渡してどこに移動することも出来ないくらいの生かさず殺さずの状態を作り出すというものです。

しかも、実際のところ、そういった危険で劣悪な環境にスシ詰めにされている人達は、声を上げることも出来ないような知的レベルや身体的状況の人も”非常に”多く、いわゆる反抗とか離脱の気力とかが無いように仕向けられているのです。

私の患者さんで一度入ってきた人も、インチキ宗教法人に絡みつかれて、暴力まで振るわれているのに、宗教の名を騙るクズ共に心の底から依存しきる状態に育て上げられてしまって、痛めつけられ金を巻き上げられる”その場所”に再び還っていったのです。

実際には巧妙に”依存するように”仕向けられていると言ったほうが良いでしょう。人の気力を奪い、人の希望を奪い、社会の金を間接的に吸い続ける社会のダニは地獄へ墜ちて痛い目に遭え!と心の底から思う最近の私でした。

2018年1月18日木曜日

事故リスクゼロの運転など無い

今日は病院の事務関連の若手から突然コールがありました。

「先生、事故に巻き込まれましてちょっと調子がわるいので診察してもらえませんか」というもの。
「どうしたん?」と聞くと「交差点を直進していたら、右折してきた60歳の女性とぶつかった」とのことでした。彼は運動神経抜群の若手で、運転歴も既に十年以上でしたが、やはりこんな事故に巻き込まれてしまいました。

彼の言うには「例え自分が直進であっても、もう少し注意していれば事故は防げていたはず・・・」とのことでしたが、直進の彼も警察が言うには”交差点内”だった為、事故の責任が10:0になることはないだろうと示唆されたということです。

おまけに病院の車は廃車。ぶつかった相手の女性は、少なくとも彼自身よりは衝撃は少なかったらしいのですが、念のために救急車に乗せられて搬送されたとのことでした。彼自身はと言うと、右膝と胸骨を打撲、左の頸にも屈曲時に少し弱い痺れを認めました。どちらの車もエアバッグが膨らみ白い粉が服に沢山ついただけでなく、(推測ですが)インフレーターが爆発した衝撃によるものと思われる外傷性難聴のような状態になっておりました。

少し聞こえが悪いと言うので直ぐに調べたところ、右耳が4000Hzくらいで少し聞こえが悪いようでしたが、この点は一日待ってフォローしてみることとしました。

取り敢えずは頭部と胸骨、肋骨などに骨折がないことを写真で調べ、CTでも頭蓋内の出血と胸腔内、胸骨柄の内側に出血や骨折がないことを確認してまずは一安心となりましたが、明日以降また痛みが出てくるようなことがあれば、MRIで精密検査もアリだからね〜!と言って、本日のチェックは終了と致しました。

ただし、彼には「必ず奥さんの隣で寝ること!万一の場合は必ず救急にコールを入れること!」と口酸っぱく念を押して帰しました。本来、こういう事案は病院に一泊くらいするのがベストなのですが、彼が「帰る」ことに拘ったので、検査結果と併せて上記のように”念を押した上で”許可しました。

誰でもどこでも、”歩いていても人同士がたまにぶつかるように”車が移動する限りいつでも事故のリスクは有るということを改めて思い返させるインシデントでした。

私も”改めて”気をつけることと致しました。(日常の移動には皆様もお気をつけて!歩いていても跳ねられることはあります。)

2018年1月17日水曜日

新しい自動車のナンバー

今日まで知りませんでしたが、明日くらいからアルファベットが入ったナンバープレートが交付されるんですね。

実は既に2016年の半ばに2018年の4月頃からそういったプレートが出ることが予告されていたようですが、私の方は全くそんなことを知りませんでした。

上の画像のようなものが愛知県では、特に名古屋ナンバーで登場するとのことですが、名古屋ナンバーだけで150万台くらいだったかな?それくらいの車が走っているそうで、横浜などとともに全国で一番車のライセンス・プレートの消費量が多いのだそうです。

たまたま見たニュースによれば最も早くて1月19日がその第一号の交付を受ける人になるようですが、きっと初めてみたら「お~っ!これか〜!」てな感じなんでしょうね。(一昨年のニュース予測では今年の4月頃のはずだったんですが。)

今までアメリカでは外交官ナンバーやその他の変わったプレートがいろいろありましたが、日本では本当に”退屈”なプレートばっかりでしたので、少しくらいは楽しめますかね?
個人的には、まだまだ沢山のデザインプレートが出てほしいもんですが・・・。

2018年1月16日火曜日

慰労会

昨夜は6時から藤が丘で個人的な慰労会を持ちました。

飲んだ相手は医事会計課の主任で、30代前半とまだまだ若いのに大変責任の重い仕事を任されて孤軍奮闘している人物です。彼と飲もうと思ったのは最近の彼の努力に報いるため。私自身は彼の仕事の能力を大変高く評価しており、病院全体の未来の運営のカギを握る人間の一人だと予想しております。

ただし、彼の仕事に対しては事務局長の方からは「出来て当たり前」程度の評価の言葉しか貰っておらず、重い仕事の責任と評価のバランスが取れていないと常々思っておりましたので、最近の私の病棟業務との兼ね合いで一緒に頑張ってくれたお礼に美味しい料理と酒を飲もうということで本日の飲み会となりました。

六時にあるビルの二階でビールの大ジョッキの乾杯からスタート。
同時に追加した美味しい魚と種々の料理に舌鼓を打ちながら彼に対する感謝の言葉とともに職務遂行上の悩みなども聞きました。基本的にどこを解決していけばそういった悩みが消えていくのかは良く見えているので、あとはそれを実行するだけなのですが・・・。

実はここに問題がありまして、彼の直接の上司がまず退職直前の人物で取り敢えずは”大過なく”あと数年を過ごすだけで充分という人物なんですね。能力はあるとの彼の評価ですが、既に「事勿れ」状態に入ってしまっているということ。これでは物事は変わりません。という訳で、私も応援するので更にその上を統括する上司である人物に対して”寝技”を使って次第に物事を変える方法というのを一緒に考えるというステップを今後組み込んでいくことに致しました。

その後は更に積もる話をいろいろとする中で、”月単位”で目標を決めてアレをしてコレをしてという具体的なプランを練りながら、また来月にはその検証をするための飲み会をやろうということになって二次会が終わったところで散会しました。

病院の未来を変えていく最大の力の源は彼らのような”これから”責任あるポジションに登っていく人間。影に日向に応援していってあげたいと思います。

2018年1月15日月曜日

個人的体験としての医療経済

医療で金を儲けることなんて考えないほうがヨロシイと最近改めて思っております。

自分の受け持っている責任病棟の医療区分というものがありまして、”大雑把”に言いますとそれがどの区分の患者さんを何割持っているかによってそこに支払われる医療費の額が変わるんですね。
しかし、実務的には、日々行われる業務の中でどのような患者を受け容れるのかどのようなタイプの病棟を目指すのかということで、その性質や区分は大きく変わってくるんです。

来年度の春をもって一旦この区分認定が一旦固定されるのにあわせて患者さんの受け容れ体制をいろいろと整えているところなのですが、どのタイプの区分を目指すかが直近まで理事会から示されなかったため、直前になってドタバタの決定を行う羽目になりまして、その割りを食った私がこの二ヶ月ほどその調整にヒーヒー言って走り回っております。

いろいろな病棟との調整、患者さんの受け容れ体制の微調整、社会課との交渉、他病院や施設との話し合いなど数え上げたらキリがないほどの事をやり込んでいきつつその区分認定を維持できる患者さんが何%病棟に居るのか経営者の目を持って対応していかなければならないのです。

正直そんなことは”全く”やりたくないのですが、それを今月中に達成しておかないと一病棟で年間数千万の収入減になるということで生き残ろいをかけての調整となります。

だからといって、患者さんを使ってインチキ治療をやったりインチキ検査をやる気はこれっぽっちも有りませんので、そこは正直太郎として対応し続けることになります。

「こうなれば意地でもやってやる!」と言う感じで、看護師さん達の雇用と給与を病棟責任者として守ろうと言う感じで頑張ってやっておりますが、こんなことしなければ維持できないくらいなら、最初から医療で金を勘定すること自体、オレ自身はしたくないな〜と心の底から思う今日このごろでした。

2018年1月14日日曜日

翻訳・通訳の未来

次女が大学でアラビア語とロシア語を学習していることを以前ちょっとここで書いたことがあります。

しかし、最近のニュースを見ているといろいろな会社が超小型のデバイスを用いてかなりのレベルのダイレクトな二ヶ国語、多国語間での自動翻訳が出来るようになってきています。
”AIを使った”というのがそのミソみたいなんですが、いろいろな言語を日本語や英語に約扠せてみても5年程前のものとは間違いなく”レベル”が違っているなというのを肌で感じますね。

この前日本に帰ってきた時に次女にそういうことを話してみました。「Googleとかがガンガン凄い自動翻訳機能を出してきてるけど、それが本当に進化してきてリアルタイムに正確で美しい翻訳できるようになってきたらあんたどうするん?」という質問を投げかけてみたのです。

次女の答えは簡単で、ニッコリ笑って「I don't know!」と一言だけの返事でした。

実際のところ私自身もその返事が最も正直、かつそれなりに正確な答えではないかと感じています。結局のところ、己が頭を使って言語を習得していく過程という行為そのものが言語の習熟という最終的な結果そのものよりも”人にとっては”大切な行為なんだろうと思います。

しかも、未来の彼女にとっては言語というのはあくまで仕事をする上でのツールの一部ですから、彼女自身が人として他に持っているものは何か、という点が彼女自身の未来を決めるのでしょう。
そういう意味では言葉を自分の土台にしてそれを操ることで、その上にある更に高いところにある”何か”を掴み取ってほしいなと考えるオヤジでした。

2018年1月13日土曜日

風呂場でKindle

え〜、アホな人間なので大きく失敗するまでなかなか反省したり行動に移すことが出来ない典型的な愚か者です。

今日もまたやらかしました。本日の失敗は”いつも”やっているKindleを風呂場に持ち込んでの失敗で、御想像通りのことなんですが、浴槽でず~っと本を読んだ後に立ち上がろうとした時、右側の壁にある1センチほどの出っ張りの事をスッカリ忘れていて、そこにキンドルをボコっと当ててストーンとキンドルが水の中に落ちていったのでした。

その瞬間「感電かな?」と思いながら落ちていくキンドルがコマ送りのように見えたのですが・・・幸いなことに何も起きませんでした。今回はバスロマンの”檜の香り”を入れておりましたので、落ちていったキンドルは白く濁った水の底で見えなかったのですが、恐る恐る手で探りを入れると直ぐに手の先に触りました。

直ちに持ち上げて風呂場を飛び出しタオルで急いで表面と周りを拭き取り。
その後、画面を見るとまだ画面のインクは見えております。しかしなんとなく色が変・・・。それでもめげずに電源コードとスイッチの部分の水を除くために遠心力を付けてキンドルを振り回してタオルとティッシュを使って水を抜き取ります。

その後、もう一度恐る恐る画面を見るとやはり様子が変。当然ですよね。orz
それでも電源など入れず、自然乾燥を行なって見ると濡れた携帯などでも時間が経つと全く何事もなかったのように動き出すことがありますので、焦らず放置しておりました。

翌朝、驚愕の事態が!
事情を知らない嫁さんが思いっきり電源を突っ込んでフルチャージ。うちの嫁さん、趣味が充電という変な人でして、充電率が60%くらいになってくるともうソワソワしだすような小心者。まあ、おかげで色々と助かっっている面もあるんですが、今回は内心「逝ったかな?w」と思いながら画面を操作してみると取り敢えず元に戻ってくれておりました。

ホッ。

そもそも風呂の中で読むなよな。オレ。(しかし、これからも普通の紙の本はまだ読むつもりです。)

2018年1月12日金曜日

いい加減もう変えればいい・・・

雪やこんこんというのは私にとっては、降り始めから数日は楽しいことですがそれも続くとやっぱり正直飽きてきます。

更にそれが”物凄い”降雪量だと経済活動全般に影響をおよぼすことも普通に起きますし、人の命がかかるインシデントが起きることも。ニュースを見ていると、列車に閉じ込められた大勢の人達が十数時間も閉じ込められたと報じられていましたが、水や食料がなくてもまだ若い人たちは”なんとか”ぎりぎり大丈夫かもしれませんが、高齢者や子供さん、高血圧や心疾患、腎臓病などの循環器、泌尿器疾患・糖尿病などの代謝に関連する基礎疾患を持った方々にとっては冗談抜きで命に関わる状況だったと推測されます。

救急隊も到着に難儀したとのことですが、やはり12時間を超えるようなレベルでの電車内での”閉じ込め”は自衛隊レベルでの救助要請を出すべきだったのではないかと私個人では考えます。少なくとも私が社長だったら”その程度は”考えてやるでしょう。

さて、この時期毎年毎年話題になるのが共通テストを受ける学生さん達の雪や氷との格闘です。
いつも思うんですが、もうこの時期にこう言った”一生に関わるイベント”が、国歌主導のもとに選りに選ってこの時期に行われるのをいい加減やめろよということ。日本のように国土が南北に伸びている国で、とても同じ条件とは思えない環境下で国家による一発勝負の統一試験を行うのは馬鹿げていると思うんです。

アメリカみたいに何度かの試験の結果の一番いいやつでもいいだろうし、少なくとも学制を変えてでも気候が穏やか目の時期に試験を持ってくればいいと思いますが?
試験会場の近くにホテルをとらない甘さがとか何とか言う連中が居るのは確かですが、みんながみんなそんなことが出きる訳でもないという事くらい経済的、地理的多様性を考えれば誰でも理解できること。

外国語である韓国語の試験の平均点が常々20-30点高くても補正されない不公平さと相俟って、いつも私の中で小さな怒りのネタになるのイベントなのでした。

2018年1月11日木曜日

長崎に大雪!

嫁さんの実家からびっくりするようなレベルの降雪があったというニュースが入ってきました。

家は長崎なのですが、実際に義理の親父さんが玄関先で写っているスマホで送られてきた写真を見ると、軽く厚さ10センチはありそうなフカフカの雪が一面に積もっています。おまけにず~っと向こうの景色も深い深い雪で覆われて、山肌一面が真っ白。

雪といえば名古屋の雪は少なくとも私が経験している範囲では全然根性がないですな。
降ることは降るんですが、その位置に比べて積もることは少ないし、積もったとしてもアッと言う間に消えてばかり。雪や雨が”大好き”な私としては、そういった季節の振れ幅を愉しむ要因の”振幅”が少ないのは大変残念なのです。

アメリカではバージニアもメリーランドも降るときはきっちり降って降り積もることが殆どでしたし、ドカ雪が来たときなんかはホントに一晩どころか数時間で歩行困難に、そして翌日は車がどこにあるのかわからないレベルにまでなったこともありましたし。

少なくとも名古屋では四駆を積極的に買う理由は見当たりませんが、これが岐阜や長野になると四駆でなければやばい季節というのがまさに今来てますからね〜。昨年の冬と春には確かそれぞれ一回づつ四駆でなければ運転が難しいような日があったと思うのですが、今年はまだ元気ないですね。

雪雲にはキッチリとカタをつけて欲しいものです。:-)

2018年1月10日水曜日

未だにやっとるのか・・・

この手のことは世間の反応とずらして書くことが多いのですが、今度の正月はこれはさすがに・・・と驚くことがありました。

それは今年の正月スペシャルで流されていた「ガキの使いスペシャル」での出来事でした。皆さんも実際にみた方やネットのニュースを介して御存知になった方もおられるとは思うのですが、浜田雅功が顔に黒ずみを塗ってエディマーフィー?に扮した状態で”笑ってはいけない”状態を保とうとする訳でしたが・・・。

私は嫁さんが正月のこう言った番組を日本で見ることを楽しみにしていたことを知っていたこともあり、久しぶりに見る日本の年末年始の番組に、自分自身も「ああ、懐かしい。そう言えばこの番組あったな〜!」と視始めたのですが、番組のかなり頭の部分で浜田が黒塗りの顔で登場したときは、一瞬で「知らんぞ・・・」という言葉が口をついて出ました。

どう考えてもこれはミンストレル・ショー。それを21世紀のお茶の間で流すというのは”もしアメリカだったら”テレビ局自体の瞬間的廃業レベルの騒動になるんじゃないかと思いますし、ディレクターでは首が軽すぎて償いきれず、最低でも経営陣全体の大幅刷新か株主集団訴訟になると考えます。おまけにそのスポンサーまで全部降りることでしょうね、ほぼ永遠に。

まあ、少なくともそれをやらかしたタレントは彼の国だったら一生逆にそれを”やらかした男”としてレッテルを貼られて表舞台で活躍することは無いでしょうね。日本で言えば未成年淫行男としてどこでも後ろ指をさされ続けている山本圭一みたいな感じでしょうか?

今回の件に関する日本人の感想というのはネット上に溢れていますし、私自身はその意見に対する意見を言う必要も無いので、敢えてこれ以上は感想を付け加えることはないのですが、この企画を番組として通した人間の時代感覚のズレと現状認識への無知っぷりは震えるほど激サムです。

唖然というのはこういう時に使うんでしょうね。時代が21世紀だろうと、住む場所が先進国だろうと、田舎者は田舎者ですな。