世の中には枠に入りきらない人達が居るというのを嫌というほど知るこの頃です。
何を今更と人生の達人、諸先輩方にせせら笑われそうですが、病院の内外でいろいろな人達に会い続けていると、アメリカに居たころとはまた別の種類の人生を持った一群の人達が居ることに感心する日々です。
ここで言う枠に入らない人たちというのはどちらかというとポジティブな意味で人生を乗り越えているような人達ではなくて、、、どうしてそうなる?という方向の枠に入らない人達ですね。まあ、もう少し詳しく記述しようとすれば枠というものがそもそもその人達の心や体にとって何の意味もなさない人達と言いましょうか。w
世の中は規範・決まり事というのが有形無形の形で存在して緩く、堅くそれぞれの人たちをいろいろな形で縛り付けて世の中で生きていかざるを得ないような状況に持っていっていると考えますが、この手の人達はそもそもが「生きていく上の自分ルール」という非明文化されたルールブックを持っておりまして、それが“生き延びていく”上で破ることのできない法律になっているようです。
若いうちは勢いや体力があって何とかそれでも不格好な形の「折り合い」というものを世間とつけて生きていけるのでしょうが、歳を取ったり病に侵されてしまうと、そんな悠長なことも言っておられず最後は野垂れ死にしたり、生活保護の傘の下で余生の多くを生きていかなければならないことになる事が多いみたいです。(実に個人的な四年間の観察結果ですが・・・。)
見ていたり話してみたりすると、私にとっての非日常ばかりという事ですので、それはそれで面白いのですけれども、よく聞いてい見ると彼らの人生は私が想像していたものよりも、大変「生き辛そう」というしか表現の仕様のないものが殆どのような。
誰か人生の分かれ道の初期の段階で、何とかよい知恵を授ける事は出来なかったのか、ほんの少しだけ下駄を履かせてより楽な方向、充実した何かを見つける手助けを出来なかったのかと考える事も良くあるのです。しかし、そういったこと自体を「押しつけがましい」と感じるような人達もまた確実におりますので、人を助けるという事の難しさと烏滸がましさのバランスというのはアホな俺には何とも大変な事よ・・・と思うのでありました。
まさに人生いろいろです。
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