2017年7月31日月曜日

蒲郡・三谷温泉へ一泊旅行・二日目

娘は日本の温泉旅館に大満足。

基本的に露天風呂とか日本の旅館とかがどんなものか理解できたことが満足の元のようです。無論やってきた蒲郡の界隈の雰囲気も気に入ったようで”日本風”の本物のものが沢山あったことで、写真のネタにも困らなかったとのこと。ご苦労様です。w

朝食も完全和風で、コンチネンタルでもなく割り切ったところがまた良かったですね。

食後は朝から二度目の露天風呂に入り直し再びいい気分。息子もやはり朝の露天風呂に誰も他に居ないことをいいことにゆったりとフローティングしておりました。おまけに50歳以上の予約特典で、通常のステイが10時チェックアウトではなく、11時チェックアウトで可のプランなので、その点でも更にのんびりできたのが良かったですね。

帰りしなに見たお土産販売所の陳列ケースの中にアレ?っというようなものがありましたのでちょっとあげておきます。ここにもトレーニングかなんかできていたんでしょうか?それとも旅館の人の知り合いとか?
メンバーがこれまたゴージャスですな〜!
その後は竹島へ直行し娘も楽しそうに島へ掛かる橋へと向かいました。私は息子と、嫁さんは娘と手を繋ぎながらうだるような暑さの中で島をゆっくり一周しましたが、最初の階段を登るところで走りすぎてちょっと汗だくになってしまいました。しかし、参拝を終えたあとは珍しくお守り販売所に寄って各家庭の病気快癒や安全お守り数種を購入して蒲郡に追加でお金を落としてまいりました。
娘にとっての夏の想い出・・・になってくれたかな?
ここを出た後は”海辺の文学記念館”に行ってきたのですが、一番目立つところにサインのあった宮城谷氏や平野啓一郎氏が蒲郡出身だとは知りませんでした。そのあとは玄関の前だけですが蒲郡クラシックホテルも見てまいりました。今度はここに泊まってみたいものですね。
なんか凄いですよね
更にその後は定番の竹島水族館でさかなと触れ合い更にアシカショーで娘達も大満足。嫁さんも案の定、竹島水族館の家族的な雰囲気に惚れた様で、案内した私も気に入ってもらえて大満足でした。
また、娘はアメリカの友人の為に水族館の中で変わったキーホルダーを買ってましたね。息子も蟹や魚に直に触れられてニンマリ。こんなにいろいろなものが近くで見れる水族館も珍しい。サイズじゃないんだ企画だよ!っていう世界の見本みたいなところですわ。

途中で見たフウセンウオ・・・メチャクチャ可愛らしくて飼育したい気持ちがゴーーーーンと盛り上がってしまったのですが、調べてみたら冷水魚ということで大変飼育の難しいものでした。諦めました。(T_T)

帰りは蒲郡のスシローに寄って家路へ着きましたが、後部座席の二人の女性はこっくりこっくり船を漕いでおりましたとさ。

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2017年7月30日日曜日

蒲郡・三谷温泉へ一泊旅行・初日後半

三ヶ根山スカイラインはその料金所に到着するまでは特に強く曲がりくねった道でした。

嫁さんたちは参拝の後は少し酔ってしまったのですが、それでも目的の温泉宿に近付く頃にはシャキーンとしてました。ゲンキンなものです。

着いた「ひがきホテル」は昭和の味を残しつつも趣向で頑張っているという感じ。エレベーターなども古いのですが、眺めは大変よろしい海側のもので、その点は全く問題ありませんでした。
向こうに見えるのが竹島〜
左側にも眺望が広がるのですが、写真撮影が下手過ぎてアップをやめました。w
嫁さんは今回の投宿で風呂に入る記録更新を狙っているということで、何とも貧乏臭いやっちゃな〜と思いつつ、着替えるのを眺めていたら、私も「ハヨ入れ」とせっつかれましたので、慌てて息子を連れて露天風呂へ・・・。

露天風呂は先客が二人ほどおられましたが、お互い静かなものです。息子の体を洗ってやり、己の体も清めて早速露天風呂に浸かります。実に気持ち良いばかりの湯の中で周りを眺めてみると結構露天風呂がひらけているもので、(遠いのですが)周りの旅館の客室からは丸見え。(女性の露天風呂はそんなことはなかったと嫁さんが言っておりました。)しかしまあ、おっさんがそんなことを気にしても仕方ないし、見てる方もオッサンの躰見せられても迷惑なだけでしょうからそういった点では全く問題なしですか。w
息子も外湯が嬉しいのか、いつにも増してニッコニコで耳まで風呂に浸かってかなりの長い間じーっとしておりましたな。

一風呂浴びて部屋へ戻ると暫くして嫁さん達も戻ってきました。仲居さんが入ってきて「お食事お持ちしてもよろしいでしょうか〜」ということで、早速夕食のセットアップが始まります。(風呂に入っている間に食卓は搬入済み。)
写真に出ていた通りの山海の珍味がガバッと出てきてみんな歓声。
この後、五十歳オーバーの人(ワタクシ!)によるブッキングであったため
ジョッキが一人一本フリーで付いてまいりました。
ガンガン食べても結局食べきれないほどのメインディッシュの量。おまけに最後はデザートが付いてきましたので、ダメ押しされて全員が太鼓腹でした。それでもゆっくりした後は嫁さんに再び急かされて湯へGO!
今度は室内の大浴場へ。こちらは少々古臭いものでしたが息子と二人だけでしたので、普段は他の人達が居て決してできないバタ足や平泳ぎをして楽しみました。w

このあと部屋へ帰ったあとも更にもう一度露天風呂に入ってきたのですが、息子は湯に浸かりすぎて少々湯あたり気味。疲れてもしょうがないので、我々はここでストップ。夜の”ノン・ストレスフル”な状態をマッタリと愉しむことに致しました。(とは言っても病院からの看護師さん達の質問コールには応えておりましたが。)

それにしても、何とも何もしないという贅沢な時間は人間には必要ですな。このあたりに慣れたらもっと”何もしない”時間を増やした投宿をしたいものです。

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2017年7月29日土曜日

蒲郡・三谷温泉へ一泊旅行・初日前半

次女からのリクエストに応えることにしました。

日本における想い出をもっと作りたいということで、海岸が見えるホテル・旅館などで嫁さんにネット検索をかけてもらい幾つかの候補の中から「ひがきホテル」と言うところを選び出してもらいました。たまたま当直室で、私自身も同じホテルを検索で引っ掛けておりましたので、これで行こうということで一も二もなくネット予約をしてもらうと後一部屋だけ空いておりました。

というわけで、仕事が終わると早速家へ戻り昼ごはんを摂った後、子供達と嫁さんを車に乗せて出発。ナビによると家からちょうど一時間程度の距離にありますのでいわゆる”お手頃”な距離です。
しかし、蒲郡に着くまでに一度行っておかねばならない場所がありました。それは三ヶ根山スカイラインの途中にある殉国七士廟(じゅんこくななしびょう)です。
岸信介による揮毫です。車は一台もおらず聞こえてくるのは蝉の声のみ。
七人の骨を奪還するまでの決死の行動が詳細に記されております。
これが見たかった!その時のことがよく判ってようやく心のつかえがとれました。
同時にこの地に建立されている他の慰霊碑の数々です。
うだるような暑さの中、蝉の声に包まれた誰もいない駐車場に車を停めて嫁さんと息子のみで碑の方へ寄っていきました。参拝し、お金を少しだけ寄付しその碑文にじっと目を通しました。
事の是非は既に問わず。それでも戦争というのは勝者による敗者への一報的な復讐以外の何物でもないということを再確認致しました。

さて、このスカイラインに登っていく途中のことでしたが「物凄いもの」を見ましたよ!MAT仕様のコスモスポーツ!
これが峠を下っていくのを見たんです!!!しかもそれに続いて三台のコスモスポーツが立て続けに来るという・・・。
ありえないコスモスポーツの濃度。三ヶ根山は間違いなくあの日の日本で最もコスモスポーツの濃度の濃いところだったことでしょう。w

小さい小さいロータリーです。エンジンルームスカスカ。
それでも実質的に世界最初に実用化された乗用車のバンケルエンジンですからね!
本国ドイツでは実用化は諦めたものを日本の四十七士が実際にものとして完成させたのは有名な話。
幸せな気持ちになりつつも、この奇跡を全く理解できない嫁さんと娘は一人ではしゃいでいる親父の行動が奇異で堪らないと言う感じでクスクス嗤いつつ怪訝な顔を見せておりました。w
まあ、この凄さはお前らには解るまいよ!フェラーリが五十台集まるより遥かに遥かにレアなことなんですよ君達!

取り敢えずホテルに行く前までの行動の説明はここまで。明日は初日の後半の日記に続く・・・。

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2017年7月28日金曜日

がん年齢

一般的に40代を超えるとガン年齢に入ってくるといいます。

私の医学部の頃の先輩や友人でも早い人は30代から、そして40代でもやはりチラホラとガンが見つかったり亡くなったりしている人物を見ます。

ましてや70代、80代であればごく普通にガンが見つかります。しかし感覚的に若い人で見つかった時ほどの急速な進行を認めるものでないこともママあります。まあこれに関して客観的、定量的な研究を私自身がしたことはないのですが、細胞自体も老化している細胞がベースになっているからでしょうか?

さて、最近義理の親父さんが喉頭癌の再々手術をしたことを書き記しましたが、実家の親父も完治したとは言え数年前に前立腺癌になりましたし、学生時代にお世話になった九州の家具屋の社長さんもアスベストが原因で胸膜中皮腫になりました。そして今回はどうやら実家の母親ももしかしたらという・・・。

人生50年の時代からしたら時代は大きく変わったものですが、それでもやはり人間これくらい長生きになると色々と細胞も自分を正常に維持できなくなってくるんでしょうね。身体の中では毎日毎日ダメージを受けた細胞が作られては排除されている日々ですが、それも長くなってくると排除する機構自体も疲弊してくるだけでなく、エラー自体も増えてきて、遂にはガンが形に見えるほど大きくなるという事なのでしょう。

高齢化が進むということはそういう事実が各個体に起きるという事実を受け入れざるを得ないということなのでしょうが、死に対する高度な意識を持つ”人間”にとっては大きな試練でもあります。

私もいつの日にかそれを受容する日が来るのでしょうかね。まあ、そこまで長生きすればの話ですが。w

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2017年7月27日木曜日

よくない報せか?

今日は朝から「・・・」という感じでした。

実は今日は私の誕生日でして、家族で家で美味しいごはんを食べて、注文したケーキを取りに行くとかいろいろ立てこんでいる一日だったのですが、車に乗った瞬間に親父からいきなりコール。ハンズフリーのスピーカーから流れてくる親父の声はモロに「何かよくないこと」を語る時の小心な声です。(昔から)

もしかして母親のことかな?と思っていたら案の定そうでした。

曰くバケーションから帰ってきたら、検診車で受信した結果の一つである胸部写真で「母親の右の肺の下に影がある」という通知が入っていたというのでした。しかも最近良く咳き込んでいたのに母親が嫌がるので病院に連れて行くのに手間取ってしまって今回こんな結果が出たとのこと。orz

「せっかくの誕生日の日の朝にごめんね」などと謝っているのですが、それどころではありません。もうすぐ80に手が届こうかという両親ですので、如何なる事が起きようとも私としてはある程度”織り込み済み”のようなところがあります。
それでもね、医者である息子としては仔細に症状を聞くと「わるいもの」であることを想像してしまいます。しかもそのタイプまで・・・。

加齢によって免疫力が落ちた後の結核の再発等というものであればまだ治療法も多岐に亘るのですが、悪性新生物だった時にはいろいろと考えることが多くてなかなか気が重いですね。(それでも近年はいろいろな治療法があるのですが、それを実行に移すか否かでまた悩むところです。)

何はともあれ診断の結果を落ち着いて待たねばなりません。

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2017年7月26日水曜日

ETCカードの非合理性・続き

昨日に続いてもうちょっとETCの事を書かせていただきたいのです。

それはETCカードの割引適用が車と紐づけされていることです。これは本当にイタダケナイ。この割引システムを考案した人は障害のある人が登録された自家用車のみを利用すると思っているのでしょうか?

今時の車社会ではレンタカーは勿論、車だって田舎なら一家に二台は普通だし、また、レンタカーなどという枠にはまらないリースもあればレンタカーでも時間貸しその他のシステムも存在しているわけで、このシステムを作った人達は”人の行動の自由”や”移動の際の車種選択の自由”自体をも全く想像できないのかと悲しくなってしまいます。

お役所の人に言いたいんですが、正直な話「あんたたちは税金で飯食ってるんだから少しくらいマトモに納税者のこと考えろよ」って感じですな。規則を作る方も作る方なら、それを了承する方も了承する方だって思いますよ。

これは明らかに使用者の利便性を優先するのではなくて、使用者が不正に使用することを前提とする性悪説に基づいているというのは昨日もちょこっと書きましたが、よっぽど痛い目にあってるんですかね、この人達は。ETC関連でどういう不正が行われているのかはWikiにも載っています。

それによると「ETCがあまり普及していなかった2001年度の不正通行車は、以下いずれも延べ数で、日本道路公団で9万9,276台、首都高速6万6,160台、阪神高速11万7,146台、本四連絡橋813台で、合計28万3,395台だった。ETC通行車両全体に占める不正通行車の率(不正通行率)は0.1%程度であり、鉄道におけるキセル乗車率に比べると相当小さいものである[54]」今はどれくらいの割合であるのかはちょっと調べきれていないのですが、不正通行の事例の多くはここに書かれているようにますその多くは別種のものかと推定されます。

まずは料金聴取ありきというのは、政府が昔から言っている「いつかは償還されてタダになる」という永遠の嘘の掛け声とともに運営されている高速道路という存在自体からして、まあ強欲ぶりはそんなもんだろうなと言うのは理解できるんですが、1000台に一台の不正通行をするヴァカのために多くの人が不便を強いられるというのはいかにもお役所的でなかなか心洗われるもんです。

この件に関してはこれからNEXCO等に問い合わせていこうと思っています。(ETCの息子名義での発行の件は今日、ある方法でやりくりすることを考えつきましたが、具体例を詳述すると合法であっても難癖つけてくる輩が出てくる可能性がありますので書くのは御容赦!w)

まあ、お役所の暇人さんたちは動かんでしょうが。

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ETCカードの非合理性

IT技術の活用と言う意味でETCカードは間違いなく一つのマイルストーンだと思います。

しかし、技術はともかくそれを運用する側のシステム整備が実に文系的運用で、あちこちに穴ぼこだらけだというのが日本に帰ってきて使っていると始終感じるのです。何をどうしたらこんな文言で条文を整備するんだろうかというような説明があって、整合性と言う意味では落第レベルの条文だと思います。

例えば障がい者割引の適用に関して身体障害者と精神障害者、発達障害者の運転の常識というのが全く考慮されていない。割引を通じてそれらの方々のハンディキャップに対応するという意気や良しと言いたいところなのですが、本当に性悪説に基づいて運用されているかのような制限に次ぐ制限の文言の羅列。

非常に細かくETCを”利用できなくなる場合”と”利用できなくなった時の”割引の適用除外”は書き込まれているのですが、どうしたら便利に利用できるのかそして実際の割引の実態はどのようなものなのかということに関する細部の説明はメチャクチャ端折ってあります。w

例えば発達障害や精神障害のある人はそもそもクレジットカードの発行を受けられないケースというのがあるわけだし、それに付帯したクレジットカード会社発行のETCカードは障害のある人の”本人名義”でなければならないなどと定められていますが、そんな”クレジットカードなど作って使用するわけもない”様な人達のためのETCカードは割引を使うためにはその矛盾した条件のもとで請求したクレジットカード会社発行の”本人名義”ETCを請求しなければならないわけです。場合によっては年会費数千円を払ってでも・・・。

今は皆の突き上げを食らったETC管理会社側がETCパーソナルというのを作ってクレジットカード会社を経由しなくてもETCカードの発行が出来るようにはなりましたが、これには月平均利用額の四倍のデポジットの前払いが前提条件だったり、(例えば月の平均予想使用額が二万だったら八万!とか。)年会費も1200円とか、普通のETCカードより経費がかかる。w

こういう所はアメリカの現実に則ったflexibilityとは全く違いますね。やっぱりシステムの柔軟な現実的運用というのはシステムを活かしも殺しもするなっていうのが正直な感想です。調べてみると本当にこれ以外にも存在意義不明な除外細則多すぎ。w

角を矯めて牛を殺すというのはこのようなシステム運用そのものだと思います。

文系頭脳の皆さん、頼むからもう少し脳味噌使って・・・。
実際の所、これ作るのにベストな人はシステム作成能力のある数理計算に強い文系の人間だと思うんですが、そんな一流の文系人間はこんなマイナーな仕事にはそもそも割り当てられんか・・・。orz

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2017年7月24日月曜日

インターネットの普及前のネットの世界

私の同世代の人でももう知らないかもしれない。

日本には公開デジタルネットの幕開けとして(昔あったBBSは"一応"アナログとしておきましょう。)私が高校の頃くらいからCAPTAIN(キャプテン)システムと言うものが存在していました。
物凄〜〜く遅くて、物凄〜〜く中身がスカスカで、だ〜〜れも使わなかったこのNTTのシステムは、個人とかで超高価なシステムを購入しているもの好き以外には人混みの多い街角に極まれに端末が置いてありました。

その画面を操作していても地元の観光情報とか天気程度の情報程度しか手に入らない上に、1画面1画面が表示されるのがもう”当時でさえ耐えられないほど”遅いものでした。ほとんど”まったり”レベル。w

私のような末端の人間でさえ、当時NTTも政府もこの政策の邁進に多額の金や時間をつぎ込んでいたということは知っていたんですが、街角のキャプテンシステムを見て使ってみる度に確信を持って「駄目だこりゃ」と言えるレベルのものである事は容易に理解できました。

そうこうするうちに私の周りでは1991年位からインターネットというものが次第に大学院や大学レベルで登場し始め、更にそのネット環境にダイアルアップでモデムによる接続を行う人間が出始めたのでした。
しかしそれは同時にインターネットによる他のネット環境の駆逐でもありました、たしかフランスでもミニテルというこれまたインターネットのせいでガラパゴス化を余儀なくされたシステムがあったのですが、こちらの場合はインターネットの普及を遅らせるほど日常に溶け込む大成功ものだったと言われています。しかし、それほどのものでも、日本のキャプテンシステム終了に遅れること10年の2012年にはその命脈が尽きています。

私の周りではネットが出る前のPCというのは純粋に非オンライン上の計算装置や論文作成用のスライド作成マシン、または論文作成ワープロ、人によってはゲーム機・・・等となっておりましたが、次第にe-mailがアドレスの配布とともに普及し始め、gopherその他によるネットでの論文やデータ検索が始まりといったように”学術”においてネットの有る無しが勝負の一端を担うようにさえなってきたのが日本では1995年くらいだったと思います。

論文の投稿も1998年位には大手雑誌では次第にメールへのアタッチという形で普通になってきましたし、そのころアメリカに行った私の環境はNIHというこれまたガバメントがドンドコとネットにお金を使ってくれる施設だったので、学術環境の中でのネットの普及は生物学の分野としては最先端のものを診る幸運な環境に身を置いておりました。

それからたったの十年で・・・インターネットは本当に世界を大きく変えてしまいました。

まさかこれほど普通にネットで買物をして、隣のラーメン屋のメニューから情報を集めて、ネットで記録を続ける様な時代にまでなるとはね。これから10年経てば今日のネットの世界が全く”黎明期”と思えるレベルの何かがAIと共に登場してくるような気がしてなりません。

それまで元気に生きとるかいな?

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2017年7月23日日曜日

名古屋港水族館へ

昨日に引き続き娘のリクエストに応えての行動を取りました。

まずは「しょぼくても良いから!」というので名古屋港シートレインランドという遊園地を訪れました。前もってウェブで調べていた感じでは、どう考えても幼児向けの小規模プレイランドという感じだったのですが、次女はそんなの関係無いということで、ここに行って遊びたいという謎の希望が出されました。w

実際に行ってまずは大観覧車に嫁さん達がました。実際には相当にでかい観覧車で想像以上に景色を楽しめたらしいのですが、私は下で雨のしょぼ降る中じっとおりてくるのを待っておりました。
実際でかい!一度乗るとかなりの長い間下の人は待たされます。
大道芸人さん。喋りが面白かったですね。

それからも射的をやったりクレーンゲームをしたり、ちびっこ専用のコースターやメリーゴーラウンドに乗ったりプリクラを撮ったり。まあ、思いっきりファミリー向けのミニ施設でしたが、私はこれはこれでありだな〜っていうのが極私的な感想です。
今のプリクラシステム。私が知っていた昔の標準的なものとは何もかも違いすぎて。
物凄く本格的で、目眩がするレベルでした。
ただし、一つだけ頂けなかったのは犬とのふれあい施設「わんこハウス」・・・。犬好きの娘がここに入って出てきた後テンションだだ下がりになっておりました。曰く「病気の犬とかほったらかしだった。虐待されていて可愛そう。」と。マトモに獣医が診てきちんとケアされているのでしょうか・・・。
この後は直ぐに真隣の名港水族館へ移動したのですが、ここでのイルカショーは大変素晴らしいものでした。なんという高度な訓練の成果というか、ただただスバラシイと言うしか無いほどの完成度。最前列から三列目までの観客達がメチャクチャに海水に濡れているのを見てOMG!と言っていたのですが、最初はそこに座ってリアリティを感じようとしていたのですから世話ありません。orz
ここに座っていた時に初めて現れたフリーザ!強すぎるし、ほとんど誰もレイドに参加していなくて劇負けでした。w
嫁さんの助言に従って座らなくて良かったです。座っていたら帰りの車ではレザーシートがメチャクチャに塩だらけになっていたことでしょう。

家に帰り着く前に近所の焼肉屋で大量の肉やサイドを頬張って、満腹・フラフラになって家へと帰り着きました。
さて、次は一体何処へ行かされるのか・・・。娘のみぞ知る世界なんですが、どうやら温泉旅館を経験したいとか何とか娘が言っているとの内部情報が嫁さんから漏れ伝わってきております。

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2017年7月22日土曜日

18年ぶりの栄・鶴舞公園の夏祭り

今日は娘と嫁さん達を栄につれていきました。

嫁さんにとって栄は18年振りの再訪問だそうで、どこを一緒に歩いても見るもの聞くもの全て「変わってしまった」という感じだったそうです。

当時名古屋に居た頃の私は大学院の研究室と家の間を自転車で往復五分の道を移動するだけで街などにはほぼ全く行きませんでしたので、栄がどうだったかなんて言うことは全く知りもしなかったのですが、間違いなく当時の嫁さんは名古屋に遊びに来ていた妹や実家の母親とよく栄に出ては小さかった娘達と街をぶらついていましたので町並みは知っていたのです。

しかし、今回訪れて「街がきれいになっている!」と言って嬉しそうに歩いていましたが同時に「もう変わりすぎてどこに何があるのかわからない」と言っては何度も嘆いておりました。まあ、これからも何度も訪れるでしょうから直ぐに土地勘を掴むことになるのでしょうが。w

今回はCRASH GATEというパルコの中にある家具屋さんに寄って、家に置く家具をどうするかいろいろサイズを測定しながらウロウロして回りました。

そのあとは次女のリクエストに従って以前住んでいた家のすぐ傍である鶴舞公園の夏祭りに行ってまいりました。今回はここでビールを飲んで帰るのと、息子に地下鉄を味わってもらうためだけに車を使わずに行動しておりましたので、鶴舞に着いた時点で結構な名古屋の熱暑と歩行距離で疲れておりました。

それでも到着したらその雰囲気に皆ウキウキ。浩養園もビヤガーデンを出しておりましたが、屋台もそれなりにありどの屋台の前も大変な数の人で埋まっておりました。それでも春祭りに比べれば規模は半分以下って感じでしたけどね。
それぞれのラインは十人前後だったんですが、料理をつくるほうが間に合わなくて時々刻々ラインが長くなっていました。

それでも頑張って家族で二手に分かれて食べ物飲み物をゲット。ビール、焼き鳥、唐揚げ、三種類のたこ焼き、掬い豆腐を公園の池の端で食べて楽しい時間を過ごしました。
途中でポケモンGOをしていた時にキリンリキが大量に湧いて驚きましたって、、、99%の人にはどうでも良いことですね。w

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2017年7月21日金曜日

だめんず・うぉ~か~

もともとダメンズの意味は知りませんでした。

しかし、日本を発った後くらいから日本では”だめんず・うぉ~か~”というのが流行っているというのを知りました。その意味を知った後私の脳味噌に出てきたイメージはチンピラに騙される頭の弱いダメ女・・・なんていう古臭いものでしたが、どうやら現実の世界はもちょっと複雑な様で。

身近でDVの被害者とかヒモのネタにされてる女性というのが”表立って”は居ないので、そういう女性のタイピングさえ私の中ではできていませんでしたが、ダメ男に騙され貢ぎ続けるこれまたダメ女と言う意味では実際に倉田真由美のコミックを見る機会があって「あ〜、有るんかもしれんな〜」と思うことばかりでした。

しかし、日本に帰ってきてはや三年半。病院のなかに居る多くの女性=看護師さん達ですが・・・ダメンズWalkerがやはり沢山おられることが良くわかりました。orz

最近一番”うーん”と腕を組んでしまったのは、有る20代の仕事の良くできた看護師さんのことでした。その子はちょっと短気なところはありましたが仕事は比較的テキパキとこなす子で、私は信頼しておりました。
病棟を他の所に移ってからも時々は見かけていたのですが、この春ぐらいから「そう言えば見ないな・・・」という感じになっておりました。まあ、気にもしていなかったのですが、最近になってふとしたことでその事を同年代の同じ病棟で働いていた女の子に尋ねてみたところ「田舎に帰った」とのこと。

「あら、そうだったんかい?」とちょっと驚いたのですが、その理由を聞いて今度は暗然としました。まあ、院内で付き合っていた男性と云々(ご想像にお任せいたします)ということだったのですが、それを知った時は「真実でありませんように」と男親のような気持ちで祈るばかりでした。

仕事が出来る子だからといって男を観る”眼”が涵養されているかというとそれはまた別の話。そういった事の発達には実に複雑な背景が絡んできます。無理もありませんが・・・。

どんな男が良いかなんて言うのは、男の側から見てどんな女がいいかというのがそのペアの数だけ有るのと同じで、基本的には何の客観性もなく、本人たちが良ければそれで良いという世界なのでしょうが、それでもやはりどう見ても駄目でしょうというレベルのものも有るわけで、実に難しいものです。

まあ、私には祈る以外何もできませんし、彼女にしてみればまさに「余計なお世話」ですわな。w

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2017年7月20日木曜日

お役所仕事

このブログの中でもお役所仕事のお笑いぶりは何度もネタにしてまいりましたがやっぱそれは霞が関でも”当然”変わらないようで・・・。

霞が関で働く様な人というのは基本的に能吏であって、無能は燻るか出世できないかと言うのがその多くの場合だと思われます。特に要求されると思われるのは文書の作成能力。これがなければあの辺りでは息をすることさえできないことでしょう。

霞が関におけるいろいろな官庁の歴代の”事務処理能力”の優れた人達の列伝を読み聞きしてみると、博覧強記型、猛烈に優秀な法文作成能力保持者、寝業師、理論ガチガチの水も漏らさぬ文章を書き上げるもの、意味不明でも北斗神拳で秘孔を突かせないような霞が関作文に優れた人物などいろんなタイプの人が出てきますが、読んでいて感じるのは「目の前に来ている次の時代になったら法文作成と解釈の仕事は殆どがAIの専権事項みたいになると言われているのに・・・」と言う”他人事ながら”心配になってしまうような確実に来る近未来の確定事項のことです。

つまり法文周りのことは法策定の支援も含めて整合性の解釈、判例比較なども含めてAIが確実に人間のレベルを凌駕することが出来るという単純な事実の前に、役所に居るごく一部の最終解釈確認作業者となるトップ中のトップの能吏以外の”非トップたる役人”の多くは洋梨(用無し)のムース状態になるということでしょう。

アメリカでは実際の所日本以上にそれは目前。日本でも、役所が書類流し込んでそれが実際に使いやすいデータベース化される作業が進むに連れて博覧強記の才能が次第に輝きを失っていくことでしょう。

なんなんでしょうかね。優秀な頭脳の持ち主達がクダラナイ、ほとんど意味も無い非効率な仕事に自殺せなアカンくらいに徹夜の連続で仕事してセンセイ方の為にスバラシイ国会の答弁に備えるなんていうのはもう止めにせんと日本潰れると感じるのは俺だけか?

もっと他にやること有るやろうし、それが出来る優秀さも有ると思うんだけどね・・・。

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2017年7月19日水曜日

大相撲名古屋場所・力士との遭遇

ここ名古屋はいま相撲の季節。

病院の周囲でも近くに「XX部屋の稽古場が有る」とか看護師さんたちでも気づくほど、名古屋では相撲は身近な存在です。しかし、私自身は特にそういったものとの出会いは関係なくこの名古屋で三年半にわたって(以前住んでいた時期も併せたら5年以上)相撲フリーで生活してまいりました。

しかし、ついにそんな私にも相撲を感じる瞬間がやってまいりました。今日は病院の仕事で病院車に乗って移動している時でした。信号待ちで止まってふとバス停を見るとそこには何と力士がペットボトルを持って立っているではないですか!

力士さんの名前は全くわかりませんでしたが、さすがは今時の力士。スマホをチクチクといじっておりました。実は停まった直後に力士さんと目が会い、暫く数秒間お互い見つめ合ってしまいました。w
まあ、私が思わず嬉しさのあまりニコニコしていたのをきっと「またか」と言う感じで見られていただけのことでしょうが。

それにしても街角に立つ力士さん。何とも風情のある風物詩的な存在ですよね。
ここのバス停は名古屋市役所のすぐ前だったんですが、そこを通過した後の名古屋城周辺でも沢山の幟(のぼり)を見ましたので、ああ、ここらあたりが愛知県体育館なんだなと考えた次第でした。

今度は本当に観に行かねばなりません。

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2017年7月18日火曜日

感染症ラウンドに出席

今日は仕事の終了時間を一時間早めにして副院長先生から頼まれた他院で行われる感染症ラウンドに参加してまいりました。

特に医療行為に限らないと考えますが、何でも”他の所・他の人”を観察することによって己の働く環境やシステムと比較し、その長短を考察するのは大変ためになることです。
自分達では思っても見なかった切り口でシステムが運営されていたり、同じように運営されていてもその背景にある哲学は異なっていたり、その様な差異を自分達の視点の中に取り入れて北極星がどこにあるのかを常に見失わないようにすることは大切だと思います。

今回は緑市民病院の内科にお邪魔してのラウンドでしたが、この病院私は初めて伺ったのですけれども、感染症対策チームの中核となる少数のドクターと非常に勉強熱心なナースが居らっしゃって「なるほど、なるほど」と思うことしきりでした。

ただし、このようなラウンドではその時ラウンドを主催する病院にしてみれば”足りない所”を指摘してもらうのも賞賛してもらう以上に遥かに大切なことで、そこをいろいろな角度から見て指摘せねばなりません。
私の病院からは四人の人間が出席し、それぞれの役職の立場から幾つかの話をさせていただきましたが、基本的に病院の運営側は限られた予算の中で大変な智恵と工夫を重ねていることがみて取れました。まあ、この点は何処も同じですね。

しかし、出席して思ったのは改革の最大の難所・難敵は医師自身なんだな・・・と改めて思わされる逸話揃いでした。w

以て他山の石とせねば。

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2017年7月17日月曜日

ウンコまみれ

どこの家でも子供の居る母親はオシッコとウンチとの戦いを結婚後に経験します。

最初は酸っぱい臭いの緑色のウンチ、それから段々と臭いのついてくる黄色や茶色のウンチ・・・それにオシッコなんて言うのはお母さんにとってみれば排泄物のうちに入りませんわな。実際のところ私もチビ達が本当に小さかった頃は嫁さんが始終おむつを変えては走り回っていたのを覚えています。

股の間にベッタリくっついたウンチをサクッと器用に拭き取ってまるで何事もなかったかのように次の仕事をしている嫁さんを見ていると本当にこれがあの女の子だったのか?と思えてくるほどアッと言う間に母親になってしまったな〜って感じました。

最初の子が生まれてプリプリ~っと母親の前で初ウンチをした時は同時に上からもゲプっとゲボを吐いてどうして良いかわからずただただオロオロするだけだったのですが、驚くべき速度で進化しましたね。それに比べると親父たる私のウンコ対応力の無さと言ったら・・・全く進歩のシの字もありませんでした。orz

さて今回の日本帰国では猫と犬が帰ってきたことをここに書きましたが、猫はお利口ですのでウンチを散らす心配はゼロということは最初から解っていました。しかし問題は犬。どこもかしこも安全地帯などありません。バリケードの向こう側はバリケード自体も含めて小便と糞のバラ撒かれる無法地帯となってしまいます。(オシッコとウンチ等という生易しい表現は誤解を招くので!)

いくら言っても解る輩ではありませんので、その度に深い溜め息をつきながらクリーンナップとなります。極まれに当たりエリアにウンチを落としてくれたときなどは”ミラキュラス!”と言いたくなるほど。

なんとかしてくれんかねこのバカタレが(# ゚Д゚)!(嫁さんは手のかかるそんなバカタレが可愛いのだそうですが。)

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