日々の診療はまさに病気の診断治療のみならず患者さんたちとの対話の日々です。
治療という意味で種々のことを行いつつも、患者さんと行う対話も実はその方の日々の調子や心持ちの背景を知る為の大切な儀式です。看護師さんには話しても医師には話さないこと。患者さん同士では話しても他では言わないこと。医師には話しても看護師さん達には言わないこと。そして誰にも話さないこと。また、言語化さえ出来ないいろいろな心のわだかまりや思いというものもあります。
そのような”考え、想い、感覚”をできるだけ吸い取ってその後の診療に役立てようとする日々なのですが、患者さん自身も日々のイベントや体調によって話す内容もまた変わってきます。
私に対しては決して悪態をつかない患者さんでも看護師さんにはボロクソに言う人もいれば、看護師さんと話すときにも特定の看護師さんにだけなら心を開く人もいます。私はと言うと、基本的には患者さん自身に時間をかけて自分語りをしてもらい、もし語ってもらえるのであれば自分の生い立ちや成人後の生活歴、職歴、家族歴その他の”現在の疾患の発生”に繋がりそうなことも含めて沢山の情報を聞かせてもらいます。
もっとも、そこまで心を開いてもらうには私自身も心を開くことは当然必要で、胸襟を開いた対話にそもそも上から目線などという事自体があり得ません。
看護師さん達の知らない情報で、私だけに話してくれた話などもたくさんあるようで、看護師さん達がナースステーションで”表面的に観ている患者さんの様子”だけから判断した患者さん像をかなりのstereotypicalな言葉でアレコレ勝手に断じているのを見聞きすると正直ムッとして窘めたりしたくなることがあります。
余りにも・・・と言うときは短い言葉でそれらの話を遮ることもあるのですが、その時は看護師さんの顔が真っ赤になることもあります。まあ、それが私に対する怒りであるのか、窘められたことによる恥であるのかはわかりません。私自体がどう思われようが全く構わないのですが、患者に対する思い上がった態度や間違った言動は医療に従事する病棟の責任者としては到底看過できないので、そこは必ず釘を刺すようにしています。
このような事は訂正を入れておかないと「声の大きい人間」の”間違った考え”があたかもその病棟では正しいことであるかのように思われかねませんのでね。何度言ってもわからない人(思考能力のない人)には残念ながら恥をかかせてでも理解させるしかあありますまい。(例え私がどう思われても!)
そう言ったことが起こらないためにも、患者さんと看護・治療サイドは常に良好なコミュニケーションをとれるように常にその能力に磨きをかけておかなければならないのではないかと思います。詰まるところは、話す能力のみならずより大切なのは聞く能力なのでしょうね。
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