2017年10月31日火曜日

幸運の引き寄せ方

最近、私が知らないうちに嫁さんが自治宝くじなどを購入しているようです。

知ったきっかけは先日の会話で嫁さんが嬉しそうに報告してきた一言でした。曰く「ねえねえ、聞いてくれる?この前買った宝くじ1000円当たってたよ〜!」「それに今度のやつも500円当たってたし〜!」というものでした。

私は以前にもここで書いたように「宝くじは貧乏人への第二の課税」とか「愚か者への税金」という言葉があります。しかし、経済合理性という意味では全く割りに合わないこの「国家への納税行為」も胴元である国が、アホに向かって徴税しているという風に考えず(どう転んでも私は考えてしまうのですが。w)、家計には痛くも痒くもない範囲で少額をかけてその先人何かが待っていれば彼女の精神衛生上は何か良いことが起きているのかもしれません。

そもそも、賭けるとしたら連番で買うべきで生涯獲得賃金レベルのお金をすこっと勝ち取ることが出来るとして、それを更に堅実な投資に回していくことで、贅沢さえしなければ残りの一生を堅実に生きていけると考えれば一つの作戦と言えないこともないわけです。(嫁さんのですが。w)

毎月の掛金がアメリカに住んでいた頃の1−2ドルから1000円程度に増額されているのは日本に私が帰国したことで少々給与所得が増加した副次作用と言うものでしょうが、それでもマア小さいのでヨシと致しましょう。

その小さな楽しみのために、私自身は”堅実に”働きながら彼女の”一喜一憂報告”を聞くこと自体を酒の肴にしなければなりますまい。w

それに、何時も私が彼女の行為を茶化してせせら笑うと、嫁さんは捨て台詞で必ず「当たってもやらへんよ!(# ゚Д゚)」と言ってきますので、少しは大切にしなければならないのかもしれません。数千万分の1の確率のために!

2017年10月30日月曜日

九州の人間には納得できん話

長崎から帰ってきて、いつもお世話になっているリネンのおばちゃん(いつも母ちゃんと呼んでおりますが)にカステラを渡しに行きました。

ところが話した後に医局に戻ってみると、既にこの母ちゃんからの東京土産が机の上においてありました。オイオイ!?と思って母ちゃんに「これ母ちゃん?」と改めて聞いてみたところ「上野動物園に一人で遊びに行ってきた〜」とのことでした。
「パンダが一人で寂しそうにしてた・・・。娘も孫も連れて行かない一人旅だったから、思わずジーっと見てたわ。」なんて土産話をしてくれました。

ところで、そこに置いてあったおみやげは”銘菓・ひよこ”でした。
すぐに思ったのは「アレ???ひよこって福岡の土産じゃなかったっけ?」ということ。この点に関する謎をネットで調べると、既に大量の回答が書き込まれておりました。

それによると、もともとは吉野堂という福岡は飯塚に咲く八木山の吉野桜に由来した店名だそうで、1897年から続くお店です。ここの二代目店主・石坂茂の考案による大正元年12月1日の製品がこの”ひよこ”なのです。
この由来により我々九州人は”ひよこ”といえば当然のごとく、九州、特に福岡銘菓と思っていたし、それはそれで正しい訳ですが、話の筋が少しぶれ始めるのは何と東京オリンピックが関係しているのでした。

1964年に東京に店の第一号を出してこの”ひよこ”を売り出したところ、これが多くの人に当然のように受け容れられ「東京ひよこ」として皆のおみやげの一つになったとのこと。この点に関してはお店の広報の人も「ひよこは福岡土産でもあり東京土産でもあるのです。」ということで、どちらも正解としているようでして、事情を知らない東京の人にしてみれば東京から九州に買っていくおみやげにも充分なり得る訳で・・・なんか、まあ、美味いから良いんですけどね。

何だか九州人にはきついジョークです。

2017年10月29日日曜日

意図せぬHurricane Huntingフライト

今回、長崎から名古屋に戻るのは実にスリリングでした。

台風22号の影響はかなり広範で、九州・四国・紀伊半島・東海にわたって分厚い雲が覆っている状況でした。
しかも、今回は台風が移動する方向に沿って舐めるように私のフライトも飛んでいきます。内心「明日は飛行機飛ぶのか?」ってな感じで何度もジーッと天気図や台風の予想進路を眺めていたのですが、何度眺め直しても答えは”アカン感じ・・・”というもの。

とりあえず、もしそうなったらそうなったで一日フライトを延期するか午後の便に振り替えるかしてして凌ぐしか無いね〜、と半分腹をくくって寝たのでした。

翌朝起きてすぐに理解できたのはアメはざんざか降っており、台風の目は宮崎の沖合南部を北上中ということでした。
しかし、幸いなことに暴風雨圏という意味では微妙に外れてくれておりましたし、ドキドキしながらチェックしたANAの出発便運行予定では、なんの変更もアナウンスされておりませんでした!

これはラッキーかもと思いつつ、義理の両親と別れを惜しんでタクシーに乗って長崎空港へ出発すると、順調に各方面へのフライトは飛び立っておりました。
結局、私のフライトも5分の遅れで長崎を飛び立つことが出来てメデタシメデタシだったのですが・・・。

この後はNOAAのHurricane Hunterって偉大だな〜!って思うような絶妙な”揺れ”を経験いたしました。
昔、アルバカーキへの着陸で経験した「もう無理〜〜〜!分解する〜!」って言うタイプの揺れではありませんでしたが、明らかに気持ち悪い系というか、隣のおばさんとか子供がヒーハー言う程度の揺れはありました。w

研究のためとは言え、巨大なハリケーンの中心部に向かって上や端っこからプロペラ機でダイブしていくHurricane Hunterの人達は私からしたら”どんだけデカイXX持っとるの?”って感じです。ほぼ”鋼鉄製のXX”で間違いないと思います。w

何はともあれ、無事名古屋に到着し、すぐに自分の車へ。しかし、3泊4日で6000円の駐車料金は高いな〜って感じてしまう私でした。

家に帰り着くと、犬、ネコ、嫁さん、息子と久しぶりに再会。家族って良いもんです。

2017年10月28日土曜日

30年ぶりの訪問

今回長崎に帰ってみて以前わたしが学生だった頃よりお世話になっていた二家族とそれぞれ異なる日に会いました。

昨日はバイトをしていた頃にお世話になっていた”社長”宅に伺って参りました。
医学部の頃の私のバイトと言えば、家庭教師かこの社長が回してくれる紫檀家具の運・搬送でした。この紫檀、黒檀、花梨等の台湾から運んでくる材料を使った家具達は密度が高く激重なんです。

同じものでも合板のやつは軽くて実に簡単に運べるんですが、黒檀・紫檀は重くかつチョットでも傷をつけたら何十万の品が文字通りパーになります。多くのバイトが集まって数百キロもする巨大な黒檀の仏壇などを運ぶ時は朝もはよから十人ほどのラグビー部の学生が集って気合を入れるために社長から物凄く細かい指示が出てきます。

皆ピリピリする中で一基を持ち上げるのに皆が緊張しながら持ち上げます。誰が力を抜いてもいけないし、何よりも角をぶつけることなど絶対にあってはいけません。実際のところ、我々が運びながら社長がその運び込み先で予め考えておいた導線を辿りながらソロリソロリと運んでいくのですが、冬はまだしも夏などは殆んど責め苦レベルのきつさでした。

それでも当時の我々貧乏学生にとっては嬉しい限りの運搬一回一万円!という特別価格でしたので、その日のメシ代にも事欠くような貧乏人のせがれ共は社長の号令一下馳せ参じること度々でした。

しかしその社長も今では喜寿を迎え、病を得て大学病院で通院治療中の身。
今回の疾患に関しては毎度私に検査結果を報告してはアドバイスを求めてきます。こちらもやっと社長にお役に立てるようになってきましたので、社長にわからないように裏で友人に連絡を取って”宜しく頼みます!”と連絡を入れています。本当は病気の事などで社長の役に立つような機会が一生なければそれが理想的だったのですが・・・。

さて、社長の家に車で行ってお土産を渡し、素晴らしい茂木の海産物に舌鼓をうちながら(茂木はびわで有名なだけでなく、万葉の昔から歌に読まれる小さな港町です!)、昔話と社長の今の子、孫達の話に盛り上がりました。その後はそろそろ畳まんとする(家の下にある)社長の作業場の中を一時間ほどかけて見せて頂きました。いやあ、私の理想とする木工場そのものでしたね〜!

男にはビンビン来るような素晴らしい小道具と器具が全て揃っておりました。ヤッパリ物を作る作業場は多くの男にとっては子供にとってのおもちゃ売り場のようなものでしょう。車のガレージもそうですけどね。(^^)

固辞はされましたが、強引に御見舞をお渡しし、別れを惜しみつつもお別れ。必ずの再会を約しての切ない別れでした。

2017年10月27日金曜日

義理の妹にいろいろ買う!

長崎に帰ってきて何時もやってる”仕事”の一つに嫁さんの妹の着るモノ選び。

あまりにも生活臭の漂ってる中学生と小学生の子持ちですが、ちょっと苦労が色いろあるもので、それをなんとか年齢相応に戻そうという私と嫁さんの作戦の一環です。嫁さんからも何時もヨロピク〜と言われておりまして、私も乗り気。

前々回はパンツ二枚と上着。前回はシューズと春物のパンツと上着二枚。ということで今回は季節的にコートや冬用のシューズって感じですか。何だか生活に疲れてる義妹に対して継続的にアアダコウダと難癖つけていろいろ若返りの薬を振りかけております。w

全員で義妹を盛り上げようという感じで一致しております。

私は学会で来ておりますが、何だか平日の昼から良い中年のおっさんとおばさんがセレクトショップなんかをウロウロと出入りしながら”ああでもない、こうでもない”と言いながら試着をしてはダメ出しをしているのはなんか変な感じかもしれません。

今回も二時間程ココウォークという長崎では比較的オシャレ志向の店の中を回って選びだしたのは緑系のレザーコートと面白いシボの入ったパンプスとスリートーンのニットの上着。
なかなか我ながら良い選択と思ったものをコーディネートしその写真を撮って嫁さんに送りました。

結果は高評価ということで今回も成功。他人から見れば変なことやってるなと思われそうですが、我々の中では帰省の度にお決まりの行事のようになっとります。

とりあえず今回はしようと思っていたことを帳面上からきちんと消して帰れそうです。

2017年10月26日木曜日

学会で長崎へ移動

今日から長崎へ移動です。

朝は五時前から準備開始。ちょこっとだけ朝食を摂った後シャワーを浴びて出発しました。朝の道は本当にスムースに車が動けますので、家からセントレア空港までの時間はほぼ40分です。
妙に飛ばしていく車もありはしましたが、そのような車は当然無視。車の流れを楽しみながら朝の道を走っていきます。
セントレアの駐車場に車を入れてまずしなければならないのは、嫁さんから渡された長崎で配るべきおみやげの一覧を見ながらドカンと買っていくということでした。

うーむという位のお土産を買い込んで一生懸命スーツケースに詰め込み飛行機へ乗り込みましたが、到着はあっという間でした。ウトウトしている間にもう降下モードに入ってしまっていました。久しぶりに長崎の地を踏みましたが今回は義理の妹が迎えに来ることが出来ないのでバスに乗り込んで、長崎駅まで行ってそこから路面電車に乗って、バスに乗り込んで・・・と、ワザと手間をかけて長崎の”変化”を眺めながら移動しました。

驚くのは長崎の街を歩いている人達の高齢者率の高さ!
それはそれはもうビックリするほど多くの爺ちゃん婆ちゃんを移動中の車内から見つめ続けることになりました。名古屋からこちらに来るとその目立ち方が何だか異様で・・・。それでも、その移動している爺ちゃん婆ちゃん(特に女性のほうが多いと感じました。)が、元気に歩いているというのが凄いなと思いましたね。やっぱ坂が多いから足腰が強いのかな?

嫁さんの実家について久しぶりの義理の両親との再会。すぐにいつもの様に互いにギャグを飛ばしながらのお昼ごはんとなりました。
夕方は夕方で、近所の親戚一同が集まり全員揃って十人以上の人間でワイワイとテーブルの上のものを平らげていきました。暫くしてチビ達全員を近所の本屋に連れて行って好きな本を選ばせました。

皆が幸せになって終わった長崎訪問第一日目でした。

2017年10月25日水曜日

食べることの大切さ

最近つくづく、かつ改めて思うことがあります。

生きるという中での”食べる”ことの大切さです。
前回、両親を名古屋に呼んで一緒に夜食を食べた時に母親の少食ぶりにちょっと衝撃を受けた話は以前ここでも書いたのですが、大方の人が歳を取ってくると、ある程度食が細くなるのはまあ普通のこととして受け容れられる話ですが、それも必ず”限界”と言うものがあります。

つまりは体がその機能を維持していくだけの最低限のラインをある期間以上に取り込めなくなったら、体はその時点であちこちにガタを来すことになります。実際、今の日本の高齢者の多くの方々はその点で昔とは違った余生を送っています。例えば脳機能障害を来すような各種の疾患において最終的に嚥下機能その他の理由で次第に摂食、飲水が出来なくなった方々でも、各種の方法で栄養と水分の摂取は可能です。

例えば中心静脈栄養、例えば経管栄養、他にも胃瘻造設、また一時凌ぎではありますが天敵で暫く・・・などという手も取ります。本質的には経口摂取が理想であることには変わりないのですが、誤嚥の問題が大きいだけでなく、85を超えてきて認知が進んでくると、中には本当に”食べる”という行為自身を忘れてしまう人もいてこうなると口に介助でご飯を持っていってあげても入れたまま吐きもせず、呑み込みもせずという事になり、結局は最初の書いた方法の何れかを慎重に選ぶということも。

しかし思うんですよね。本当は食べることが出来なくなった時点でもう人間はその人生をある程度終わる準備を始めてもい良いのではないかって。

私の両親は私に対して「自分に意識がなくなって体に管を繋ぐようにすることでしか命を繋ぐことが出来なくなったら治療はするな」と厳命しております。これはある種の遺言だと思って真摯に向き合っているのですが、物事は前提にするようなピュアな条件のみが存在するわけでもありません。いろいろあるのでしょうが、いざとなったら己の良心に従って命を預かるのみですね。

しかし、書くは易く、実際には簡単にはいかない難しい話です。

2017年10月24日火曜日

ハロウィンも遠くになりにけり

私自身アメリカを離れてもうすぐ4年になります。

嫁さん達もはや四ヶ月。まさに光陰矢のごとしです。
何と言ってもこの時期はアメリカではハロウィン一色のシーズンなのですが、実はこの行事も自分達の子供たちが大きくなってくると段々と行事の中に入っていかなくなります。

理由は簡単で、子供たち自身がキャンディやお菓子を取りに行くのがダメになる年令になってくるからです。(かなり以前、ブログに書いたんですけど、カウンティなどの条例では大人による軒先周りを禁止しているところは結構あるみたいです。まあ、コレにかこつけて空き巣行為などに及ぶ怪しからぬ連中が出てくるのを防ぐためでしょうね。)

そうすると自然にお菓子を玄関先のバケットに入れて置いておく位になってきて、玄関先の飾り付けもそれほど派手派手しいものは置かなくなってしまうんですね。

何だか日本もハロウィンが行事として随分有名になってきていますが、今の私たちには本当に段々と”他人事”になってまいりました。次に行事としてまた親近感を増すのは孫が出来たときとかでしょうかね???

一体何時のことになるのやら。w

2017年10月23日月曜日

患者さんが亡くなる前に俺が倒れそうorz

先日の当直はちょっと・・・でした。

当直が夕方に始まるや否やターミナルケアをされていたある棟の患者さんが呼吸停止ということでコール。これが一枚目の死亡診断書作成でした。

暫くしたら、今度は精神科病棟で歩行時の強いフラつきと構音障害、軽度の譫妄があるということで家で待機中の放射線科技師を呼び出してもらってCT,MRI,MRAを施行。新鮮な出血や梗塞巣はなかったのですが、ある動脈の一部に強い狭窄部位が存在しておりました。心電図上は異常なかったのですがとりあえずTIAとの診断をつけ投薬処置を施して経過観察開始。(翌朝には症状は戻りましたが、継続的な病棟での観察開始。)

しばらくすると今度は別の病棟で呼吸停止のコール。
以前から寝たきりの心不全を持たれた患者さんだったのですが、あまりにもベースの状態が悪い期間が長く続き、循環器のドクターからも今度アタックがあったら・・・と言われていた方でしたが、生前の御本人と家族の御希望で気管挿管等の蘇生措置はしない約束でした。
内科的な注射等の処置に全く反応せず御高齢の方がお亡くなりになられたのを確認し二枚目の死亡診断書を作成。

夜中になって今度は下顎呼吸が始まった高齢女性のレスキュー。こちらは御家族の意志で全員が集まるまでなんとか暫く生かしておいてくれという御要望に従って気管挿管し、人工呼吸器に繋ぎました。
それが終わってやっと寝ようかな〜と言うときになって別の病棟から呼び出しがありこれに対応。寝るタイミングを本格的に逸してしまいました。

朝になって”ねむーーーー”となって、車を運転し家に帰る途中で今度は病院からコール。
”まさか”と思ったら、ターミナルの患者さんの呼吸状態が怪しくなってきたということでリクエストが有り「わかった、戻るわ」と今来た道をリターン。内心では「今日の当直医アノ人か・・・じゃあアンマリ呼びたくないんかな〜」等と考えつつ、看取りを行い三枚目の死亡診断書作成。

フラフラになりながら真の家路についたのでした。

こんな感じじゃ四枚目の死亡診断書は自分用になりそうだったので、家に帰ったら飯食って四時間スコーーーンと眠って力を回復いたしました。
50過ぎると金は要らん、時間のほうが大事!となりますね。友人の多くももう当直は嫌だっていうのがお多いです。

今でも最前線で頑張ってる小児科の友達とかホント心のそこから神かよ!って思います。

2017年10月22日日曜日

息子の晴れ舞台

今日は長男の人生の節目の行事を一つ実行致しました。

アメリカでは勿論投票する権利はなかったのですが、息子が日本に帰ってきて初めての”選挙”というものが行われました。しかも今回の選挙はいきなりガチの大型国政選挙。
台風の近付く中で雨に濡れつつも生涯の記念の一枚となる写真を撮りました。
息子の場合は大人の一票を持っておりますが、実際には自閉症スペクトラムを持っており言語の理解に問題があります。(このブログでは何回か書いているので、御存知の方は御存知かとは思いますが。)しかし、それでも一票。
彼の今後の未来の為にも親としてはロクでもない連中が乱立する中”少しでもマシ”な人間を選良として送り出さなければなりません。

残念ながら前回の引っ越しであの”ガソリーヌ”こと山尾しおりに反対票をぶつける機会はなくなってしまいましたが、それでも政党と個人は自分の選挙区で選び出すことが出来ます!
当初、息子のように意思表示が出来ないような障害がある人間の場合選挙における実際の投票はどうなるのかイマイチわかりませんでした。

しかし、少なくとも不在者投票は可能であるし、それが投票所での実投票になったからと言って駄目となるはずもないのできちんと投票所に息子を連れて入って行きますと、きちんとそれに対応する方が出てきてくださって何の問題もなく息子には投票券が手渡されました。

ただし、選管の人が私と息子の後ろに何時も立っていて投票行為をジッと見てましたね。
息子の代わりに息子の手を取って一緒に記名。息子は何をしているのかよくわかっていませんでしたが、ここに来る前にきちんと各政党の主張や個人の経歴、主張を確かめて”私自身の意志と、この息子の将来の責任を持つ親”としての意志を投票券に託して参りました。

税金を払っているからにはこうやって意思表示をしていくのが本物の民主主義の本筋ですので、必ず時間さえあればやり続けていこうと思います。

投票””は世界中の先人達の血みどろの戦いの上に授けられた民主主義の黄金の一票ですから。

2017年10月21日土曜日

娘が国籍を変えるかも?

アメリカで仕事をしている上の娘は日本国籍でグリーンカード保持者。
次女はアメリカ生まれで日本国籍も持つdual nationalityの持ち主。

いつの日にか日本も二重国籍を許すかもしれないということと、二重国籍であることであることへの”罰則規定の不在”がその二重国籍状態を許す状況が日本にはあります。
以前そのことを伺った時、大使館の人も「まあ、特に無理して捨てる必要もありませんね。」と仰っておりました。

ところが、アメリカであるレベルの職位に就くためにはセキュリティ・クリアランスを通過できないとなれない仕事が幾つもあるんですね。例えば政府系の機関なんていうのはその最たるものです。

私がNIHに居た頃、ラブ・チーフが研究の進展に伴ってその職位のランキングが上がっていく過程でディビジョン・チーフ位になった時にグリーンカード・ホルダーではそれ以上のプロモーションが効かなくなってしまい、やむなくアルゼンチン国籍を放棄してアメリカ人になりました。

実は先日、嫁さんがボソっと話してくれたのですが一年ほど前に娘がパスポートの更新の時に「国籍変えるかも」という話をしたと言ったとのこと。目的は単に更新が面倒くさいだけではないということで、その先にあるものを当然見据えています。

そういう訳で長女は放棄の可能性があるのでしょうが、次女ももしそういったプロモーションをする時にセキュリティクリアランスを要求するのが当然であるような国務省などの仕事に就いたとなると、やはり二重国籍は駄目なんでしょうね?

いや、絶対そうでしょ。w

気がついたらフトしたタイミングで「アメリカ人になった」とか連絡してきそう。そのパターンはまさしく彼女の親父によくある”事後報告”と言う奴です・・・。

2017年10月20日金曜日

喫煙には慣れない

結局昨日の食事会・飲み会は二股をかけました。

一次会は千種方面のフレンチ。大変美味しかったのですが、どちらかと言うとお話に花が咲きましてそのままワインをどんどん飲んでいきました。酔うには程遠かったのですが、道津ビールの後はフレンチ、イタリアン、アメリカンと杯を重ね大変楽しい送別会となりました。

その後は地下鉄に乗って直ちに藤が丘へ移動。
地下鉄藤が丘駅の直ぐ側にある富山出身の御主人が営む魚料理の店に入って今度は刺し身と日本酒に身を預けました。ここでは広島から一時的に帰ってきたソーシャル・ワーカーの友人と飲んだのですが、これまたいろいろな話に花が咲いて終わることを知らず、気づけば一時過ぎ。

ただ、飲み終わる頃に気がついたのですが、そばで何人かの男性がタバコを吸っていたいたのですが、わたしのほうにもその煙が流れてきたことで、三時間ほど後にはスッカリ喉がイガイガ状態になってしまって、毎度毎度の煙草の煙ヤラレ症が発症してしまいました。

タバコの副流煙に当たると、必ずインスタントに喉の炎症が誘発されて、声は枯れるは咳は出てくるわというsmoked salmon状態になってしまいます。

いつも思うんですけど、本当に喫煙者というのはこんなのを喉を通して一日に何十回と喉と肺を燻らせているのですから体にいい訳無いですわな。
これでは長生き出来るわけ無いし。これが元で発生する肺癌やCOPDにかかる治療費のことを考えたら、JPやアルトリア(旧Philip Morris)が裁判で勝てるわけ無いです。今ではそのenvelopeに毒々しい文章や写真での警告文があってもそれをガン無視してタバコを吸い続ける人々が未だに世界中にたくさん居るわけですから世話ないです。

二十歳を過ぎたら自分の責任。

次回からこの店を使うのは止めたいと思ってしまいました。少なくとも子供を含めた家族は連れて行きたくない。
料理が美味いだけに残念です。

2017年10月19日木曜日

今日は飲み会で遅くなる予定

という訳で、遅く帰ってきてボロボロの(酔って無くてもぼろぼろですが。w)文章を書きなぐるのが嫌なので、おやすみ告知です。

もともと今働いている病院に働いていたソーシャル・ワーカーの男性が名古屋に一時帰ってきているというわけで誘われたのが一件と別のバイトに行っている病院でのフレンチでのサヨナラ食事会が1件というハシゴ状態。

カロリー控えてアルコール控えて頑張ろうと思っております。

2017年10月18日水曜日

イヌの血便

今日は仕事の帰りがけに嫁さんから緊急のライン。

何事かと思えば、家の犬が血便を出したという話。しかもその少し前にはちょっとだけけケポッと吐いたとも言うので、じゃあ一年一回の健康診断も兼ねて近くの獣医さんへ連れていきましょうとなった。

イヌはたま~に吐くこともあるので特にそれ自体には驚かないのですが、血便となると切れ痔みたいなもの以外にもありとあらゆる原因が推測できますので、ちょっと用心をしていかなければなりません。
まずは家へ行っ通って犬と家族をピックアップしすぐに獣医さんのところへ行きました。

幸いにして他の人達が皆診察を終わったタイミングでしたので、我々の犬はあっという間に診察室へ入れていただくことが出来ました。ここあたりはエマージェンシーの受け入れが全く余計な料金を払わずとも出来る素晴らしさが日本にはあります。

とりあえずは採血していただいたのですが、私自身は毛むくじゃらの動物のどこから一体採血するのだろうと思っていたら、左前肢の背側に5ccのシリンジをプチュ〜っと刺していきなり採血。そんなブラインドで取れるんかと思ったんですが、人と違ってどうやらそういう採り方が定番なんでしょうかね、先生は上手に採られていました。

生化学的データが出るまで待つこと約十分、暫くして出てきた数値を先生がいちいち説明してくださったのですが、BUNが少し上がっていてやや脱水気味に見えた事以外は特に変わったこともなく、大変落ち着いた数値でした。
人間の医者として驚いたのは赤血球の正常値。何と正常値の範囲が人間のほぼ倍で、ビックリするほどの数が犬にとっての正常値なんだということを知ってビックリしました。

血便自体は今後のもう少し様子を見てと言われたのですが、まあ、数年前にもこのような事があったのでまた暫くはそのまま経過観察となりました。

2017年10月17日火曜日

アル中の言い訳に(# ゚Д゚)

私があるアルコール依存症の患者の肝機能障害治療後のフォロー・アップということで、ある病院から期限付きで60絡みの患者さんを引き受けたのは3週間前。

最初は大人しかったのですが、、、時間が経つに連れて地金が剥き出しになってきて文句を垂れるようになってきました。それも奥さんに対しての!

奥さんはと言えば、昼は昼で働き夜も夜の仕事をして必死に入院代を払い、更に旦那さんの生活も支えているというのに、それに対して”全く”感謝の気持ちもなければ奥さんの言うことも聞かず。
奥さんとしてはもう少し入院して体をキチンと治すまで出てきて欲しくない、今出てきても必ずまた酒に溺れるから!と旦那を説得するのですが、聞く耳持たず。

挙句の果てには「人生楽しみがなくてどうする?」との言葉を振り出しにして「そら金があったら少しくらい飲むわ!当たり前やろ」とか、「もう良い、俺は〜」と喚く始末。
ハッキリ言って滅茶苦茶手前勝手の発想以外の何物でもなく、嫁さんに死ぬほど迷惑をかけているという想像力など”これっぽっちも”その小さな脳味噌の中からは産み出されません。

まあ、退院したら確実に飲んでまたすぐにボロボロになるでしょうし、残念ながら精神科病棟に入院して治療する気も本人にはサラサラ無し。治療する気のない人を入院はさせないんですよね、精神科の先生も。彼らはあくまでも”治療しようとする意思を持った人”しか受け容れていません。

医師の立場を離れて言わせてもらえば、さっさとこんなXXと別れて別のマトモな男性を配偶者にしたほうがよっぽどマシだと思うんですけどね。私は。とは言え、彼女も最後の情けを振り絞って何とか支えている様子。まだ若いのに大したもんです。幸いな?ことに、未だ子供さんはいませんので別れようと思えば今がベストだと思うんですが、余談ですか。

共依存、ダメンズ・ウォーカーでないことを祈るばかりです。

2017年10月16日月曜日

ふるーいコニャックとウイスキーの問題

今日は長崎の義父から頂いたまま長年”勿体なくて”開けていなかったスコッチとコニャックを開けてみました。

ところがこの二品のアルコール、既に多分20年以上義父がプレゼントとして後輩から貰ったまま飲んでいなかったもの。
一番の懸念は蓋の下についているコルクの劣化でしたが・・・。

実際に開けてみると一本目のHennessy XOの蓋はねじった瞬間”ブチン”と切れてしまいました。
二本目のベル・スコッチに至っては同じように切れた挙句、下のコルクは何となく貴腐ワインの様に萎んでしまって変色しておりました。

思わず「ウ~ン」と唸ってしまった二本の酒でしたが、とりあえずは勿体無いので、底に落ちてしまったコルクの破片を除去するためにメタルのコーヒーフィルタとネットの目の細かいフィルタをそれに被せたものを使用して洗ったワインの瓶に中身を移しました。

部屋の中にムワーンとアルコールの匂いが充満して嫁さんが「うわっ、うわっ、強烈〜!」と跳ね回っていましたが、それを無視してその美しい琥珀色をうっとり眺めて過ごしました。
しかし、”のむ”という意味ではいくらアルコールで菌の増殖は考えられないものであっても一回のフィルタリングではどうも心配でしたので、今日は眺めるだけに留めてそのまま瓶を床においてギブアップと致しました。

さて、どんなフィルタリングをかけようか・・・。
実験室から50ccのシリンジとバイオセーフティ用のマイクロフィルタを持ってきてシコシコとtranferするか?
もう少し時間をかけて仕上げてシッカリ胃袋に収めようと思います。w

2017年10月15日日曜日

土岐プレミアム・アウトレット

今日は嫁さんへのサービスの一環としてアウトレット・モールへ行ってきました。

名古屋に住む人間としては、一緒に行くアウトレット・モールの候補として主に二ヶ所しか知りません。基本的にまだまだ全然名古屋郊外の事を知りませんので、そもそもいろいろと候補を挙げること自体ができないのですが・・・。

まあ、それでも知っているアウトレット・モールは土岐プレミアム・アウトレットとジャズドリーム長島の二ヶ所。そのうち行ったことがあるのは前者。後者は全く知りません。
というわけで、選ぶにあたっては”そういうことを知ってそうな”看護師さん達の中から数人を選んでジャズドリーム長島とはどういうところか?って、聞いていったところ「前はあんまりたいしたことなかったけど、最近は改装して良くなったって噂」等と言っておりました。

それでも、私はとりあえず、自分自身がそこがどんなところか知っているという意味では”安牌”である土岐プレミアム・アウトレットを目指して行くことにしました。

昼過ぎに家を出て岐阜の県境目指すこと約40分。雨の中でしたが、アッと言う間に高速経由で土岐まで到着しました。
息子と嫁さんと三人でモールの中を歩き始めると、まず第一声が「アメリカ思い出す〜!」という言葉。確かにWilliamsburgなんかのアウトレットモールにそっくりですしね。

どんどん歩いていくんですが、嫁さんも私もかなり先まで行っても何かを買うわけでもなく、殆どウインドウショッピング状態。まあ、いつもの事ですが。w

暫くして息子の小腹を満たすためにFood courtへ入って落ち着いたあと、また再び残りの半分をtrottingしていくうちに、「オッ!」という値札の着いた明らかにお買い得な息子用の冬のジャケットやシューズ、嫁さん用の”流行りの”カーディガン風の服などがありましたので、それらを買い求めました。私はと言えばナイキの2000円以下のバックパックを一つ買いました。
ハロウィンの飾りつけがあちこちにありました。
 実はこのあと、猿投温泉に行って温泉に浸かろうという話もあって、着替えも持ってきていたのですが、モールの展望の良いところから眺めている景色の中に「ゆ」という赤い漢字が電光で見えているところがありました。
手元のスマホでグーグルマップを使ってそれが何か調べてみると”土岐よりみち温泉”と出ておりました。
本当に眺めがいいですな!
まさによりみち!ここは行かぬ手は無いということで早速方針変更して家族が男女に分かれて50分ほど各種の湯にゆっくり浸かって命の洗濯をした後、家路についたのでした。
とは言え、最後は締めとして嫁さんのリクエストに沿って長久手の本郷亭でラーメンを食べて終了。なんと、店に入る前からすでに何を食べるかはネットで決めていたというヒマ人の本領発揮。食うことに関して"のみ”無敵の努力家ですな。orz

2017年10月14日土曜日

突然のコール

土曜日の11時55分。いきなり私の院内電話がなりました。

嫌な予感がしてPHSのボタンを叩くと精神科病棟から切迫した看護師の声が入ってきました。
「隔離室に入っている患者さんの様子が変なんです!」

私としてはそんな具体性の無い電話ではなくて、どういうバイタルでどんな意識レベルの分類なのかササッと手短に報告を入れてほしかったのですが、精神科の新米看護師さんに緊急時、それを求めるのは酷かなと・・・。
とりあえず帰り支度をしていたのはいきなり中止して、午後の家族の予定も中止だな〜と即中止。

白衣を羽織って五階までブッ飛んで行きました。

隔離室に入ると確かに呼吸の様子がおかしく目が虚ろです。SpO2モニタを見てみると70%台。脈は微弱でかなり促迫しており120ちょっと。誤嚥している様子はなかったのですが、看護師達の話を聞くとどうやら昨日の夜からほとんど飲水もしていなかった様子。体温は38度9分まで上昇しておりました。

ベースに脱水の存在を強く疑いましたが、とにかく呼吸自体がもう止まりそうな状況でしたので、直ちに気管挿管を行い中心静脈カテーテルでライン確保してCT室へ走りました。

脳梗塞はこの時点では未だ確認できませんでしたが、少なくとも脳出血は無し。ただし、肺にはアレルギー性肺臓炎の様な特異なイメージが得られました。誤嚥性肺炎のイメージは無し。採血結果からして脱水が強度のものでした。
大量の輸液を行なって30分もすると、人工呼吸器でファイティングが発生してきて意識が戻ってきていることを確認できました。更に10分もすると質問に容易に答えることが出来るようになってきました。

これでとりあえずは一安心。

家に帰って美味しいご飯でも食べに行こうかなという小さな予定は消えましたが、若い患者さんの命はとりあえず助かったようで何よりの午後でした。

2017年10月13日金曜日

長女のプロモーション

FCC(連邦通信委員会)の傘下にあるワシントンDCの組織で働いている長女から突然メールが有りました。

タイトルは「:D みてー」と言うもので、その他には何も無し。アタッチメントの書類が一通あるだけです。
タイトルの絵文字はポジティブ系のものだというのは確かそうでしたので、そう心配せずに開封したところ、文頭に”RE: Promotion”と言う文字が!

そうです。今まで入職して一年間はAssistant program analystだったのですが、それからAssistantの文字が取れて一段階段を上がったみたいです。送ってきた書類はそのプロモーションに関する同意書で、サインをした最終のものでした。

改めて娘の働いているその組織のJob applicationのリストでその要件を確かめてみると、要経験3-5年等となっています。娘は嫁さんにはこっそりLINEで「ちょっと無理かな〜」なんて呟いていたらしいのですが、結局無難に乗り切ったようで娘にとってはメデタシメデタシでした。

親としてびっくりしたのはやはりサラリーのジャンプで、年間1万2千ドルのブーストがかかって、日本円にして年間700万円弱となったようで、これにフリンジ・ベネフィットの手厚さを考えると、同じ年頃の時私は勿論のこと医学部の学生で無職かつ自他ともに認める貧乏人の息子だったことを考えると、23歳でこの金額の給与を与えるのはやはりアメリカらしい”非”年功序列な世界だなって正直思いました。

もう娘の携帯電話代の支払いやめようかな。w

2017年10月12日木曜日

お前は中学生かって言ってもうた。w

我が家の嫁さんがアホだっちゅうのは良く知っていたつもりでしたが、予想の斜め上でした。orz

日本に帰ってきて、ずっとずっと我慢していた”思い通りの”髪型注文が出来るようになったということで近所の美容室から入ってくる折り込みやネットの情報を見ながらいろいろと妄想を膨らませていたようです。
長く伸ばしていたライオン風のボサボサ髪(嫁さん自身の表現)を何とかしてイメージ通りの髪にしたい!と言う計画を実行するにあたってまず帰国一番である美容室に行ってまずバッサリ。

確かに一回目はドラマティックに短くなっておりましたが、それはまず次へのステップへの土台レベルの準備だったらしく、まずは全体に拡がってしまう髪を縮毛矯正という私には意味不明のテクニックを使ってまっすぐシャキッとしてもらったらしいんですね。

その後、二ヶ月ちょっと経った数日前に意を決して新しいサロンに新規顧客に対するクーポン券を手に持って行ったらしいんですな。

最初は、娘が日本に帰ってきた時にこんな感じで髪を切ってもらおうとしていた女性の髪型の写真(下の女性)を目指してもいいかなと思っていたらしいんですが、それは一旦止めにして・・・。次の案を実行したらしいです。
それは、ドクターXの大門未知子!
私が信じられないのは、下の写真をスマホに入れてその画面を理容師さんに見せて「首周りがムシャムシャするので、これくらいの長さのイメージでお願いします。」と言ったらしいんですナ。w
どういう神経してたらこの写真を店員に見せられるのか???
そしたら、仕上がりはauの金ちゃんになったんだそうです。(言われてみれば・・・)
余りにも意味不明なことしていたので、くすくすくすくす20分位笑いを抑えていたら「そんなに可笑しい?」って逆に笑われてしまいました。しかしね、、、大門未知子の予定がauの金ちゃんとなったって事が笑えて・・・。

よく聞いたら、若い人を中心に当たり前のようにモデルさんの髪型の写真を持っていって「こんな感じにして下さい」ってお願いするんだそうです。

やっぱりオジサンとは生物として、もともと種類が違うんですな。
生物多様性。生き残り戦略としてはいい言葉です。

2017年10月11日水曜日

息子の飲酒

最近アクシデンタルに息子の飲酒が発生いたしました。

もともと私自身は成人した息子と隣同士で焼き鳥突付きながら四方山話をしたいな〜と思っていたイチ・親父なのですが、息子は自閉症で言葉が話せないことと、酒を飲むタイミングというものが無いため、そういった”飲酒”をする機会というのは、息子が成人を迎えたあともまあほぼ無し。

家族全員で料理を食べに行ったときなどにせいぜいビールに口を付けさせてみたりすることはあってもそれ以上に進むこともなく、特にこんなものを飲ませる意味も見いだせずそのまま放置となっておりました。

が、嫁さんが結構好きな酎ハイ、しかも最近の可愛い系?の”如何にもジュース風”で美味しそうな、よく見なければ”間違いなくソフトドリンクと見紛う”缶酎ハイを息子が勝手に開けて飲んでしまうという事件が立て続けに起きてしまいました。

勿論、この手の飲み物はかなり味付けがジュース風ですからソフトな口当たりで女性でも比較的グイグイのむことが出来るもの。しかし問題はその後で、調子こいているとそのまま飲みすぎて気付いたときには”バッタリ”ということになりかねません。

それを考えると、小さいお子さんがいるところではこの手のソフト・リカーは”危険な”飲み物ですね。

さて、息子の方ですが、二本のチューハイ(一本はアメリカに帰った次女が飲まずに残していったもの、そしてもう一本は嫁さんが飲もうとして置いていたもの)をコッソリ、しかも一気に飲んでしまっていました。
それに気づいたのは風呂から上がってからだったのですが、息子は結構ケロリとして何事もなかったかのようにしておりました。

どうやら息子は酒にはそれほど弱くは無さそうですが、だからといってこういった事はなるべく避けなければなりません。私が見ているときだけたのしく飲めるようにセットアップし直しましょう。

2017年10月10日火曜日

果たしてトランプを笑えるか?

アメリカの田舎者と低学歴だけがその進出を決めていたと今でも勘違いされているトランプの当選。

しかし、選んだ連中の一部はなった後に「勢い」で選んでしまった己のミスに気づきながらも時既に遅し・・・という状態の今のアメリカを我々日本人が対岸から驚き呆れて物笑いの種にしたりしていますが、果たして我々の多くに嗤う資格があったんでしょうか。

私がアメリカに居た頃に起きた民主党政権への交代は日本全体に100年では治らない傷跡を残しましたが、アメリカという、いつの時代でもあらゆる分野におけるトップ・コンテンダーが今ほど国全体で麻痺状態に陥っていることを考えれば”雰囲気”で選ばれた代表が国のヘッドになると如何に母体がデカかろうとこれほどの災厄をもたらすという事実を忘れてはならないでしょう。

伝え聞くニュースによると国務長官のティラーソンからアホ呼ばわりされた事を受けて「俺とIQテストをしよう。勝つのはどっちか分かってるが」などというこれまた馬鹿と呼ばれるに相応しい反応を示していますが、ティラーソンのミーティングにおける”トランプの理解力の無さ”に対する様々な彼のボディー・ランゲージををトランプが嫌っていたという仄聞もありますが、まあ、いかにもありそうな話ではありますな。w

日本ももうすぐ総選挙の投票日まで後十日余りですが、思った通りの希望の党の迷走ぶりはやはり馬脚を露したな〜っていう単純な感想しか持ちません。
党首からして、カイロ大学を出ただけの何のポリシーもないただのオバチャンですからね。世界レベルでは有能な女性政治家はあまたおりますが、少なくともこの人はそういった人物たちとはあらゆる意味で一線も二線も画す人。私の個人的なサマリーでは女性版の小沢一郎になって最後はアブクとして”そう言えばそんな人もいたな〜”となって終わる人物だと見立てています。

そう言えば小沢一郎の時代も遠くになったもんですなぁ。
一時期は(一瞬ですが)キング・メーカーなどと呼ばれていた頃もありましたが、結局は本物のトップになることも無く、今では消息知らずに近い人になってしまいました。

方丈記の一文はいかなる世においても常に真実ですな。ノーベル文学賞10回分くらい貰っても良いくらいの絶品です。

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
たましきの都の内に、棟を並べ、甍を争へる、高き、いやしき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、
これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。
住む人もこれに同じ。
所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中にわづかに一人二人なり。
朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る。
また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。
あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

投票後の結果はどうなるのでしょうか。日本の今後の”もう暫く”を占う良い機会になることでしょう。