2016年4月18日月曜日

災害時のロジスティクス

やっぱり日本は想定外のロジスティクスの構築においては民間がハイレベルですね。これは東北大震災でも間違いありませんでした。

相当のレベルで多くのことが機能はしているものの、現地入りしている友人たちのツイートやfacebookを読む限りでは細かな実務における役所の残念ぶりが熊本地震でやっぱり目立ちます。緊急支援の救助隊はこういうことはやはり最高に役立つのが間違いないとしても、市役所レベルの書類行政を司るひと達の緊急事態における「一足遅い」感は残念ながら”やっぱり”という気持ちを持たざるを得ません。

役人というのは型にはまったことに関しては右から左へ特に大きな工夫などせずともマニュアル通り早く正確に進めていくことこそが素晴らしい能力だと思うのですが、こういうことにおいては「型にはめて処理する」という能力が、型のない現実の災害処理の世界で負の方向に働いているような気がしてなりません。

与えられた課題に解を出すための方程式が備わっている時には無類の強さを発揮する役人の能力も、方程式がなく、解をどうやって出していいかわからない時の際立ったネガティブさは、まさに「お役人」って感じですが、いつもの美点が場合によっては欠点にもなりうるということでしょうか。消費期限付きの物の配り方一つにしても、優先順位をどう付けるかとかその場でガンガンとその時点における最適解を当て嵌めて改良しなければなりませんが、これはお役所の人間が最も苦手とするエリアだと思います。

しかしながら、多分、もうしばらく時間が経って経路や方法論が確定した段階では再び無類の処理能力を発揮してくれることでしょう。想定をしていたはずの災害も常に想定を超えてやってくるという想定を”敢えて”しない所が役人さん達の限界とは言え、実際の所それを責めるのは酷というもの。こう言った規模の災害というのは実際の所「戦争」と同じレベルですから想定というものは最初から役に立たないのもまた厳然たる事実。

想定を超えた災害を想定しても、それに対する効果的な対処法を考えろという画餅に等しい議論は避難される元種にになりはしても、それ以上のものではないでしょうし、自衛隊レベルの戦争における作戦行動に等しい高度に教育と思考訓練された人達だけが考えうるものでしょうから。

勿論、災害という事象が想定内に収まってくれればよいのでしょうが、そんなものは最初からまさに夢物語でしか無く、常に”まさか”ということが発生し続けるのが災害というものですから人の存在というのは本当に自然の前では小さいなと改めて思います。

今回の熊本地震の被災地の映像を見てふと私が感じたことは、遠く離れたシリア内戦で破壊された町並みでした。
それほどまでに熊本の被害は酷いと思うのですが、アメリカの友人たちからも、いろいろと私のことを心配してメールが入ってきます。BBCやアメリカの一部のニュースでもしっかり放送されているとのことで、私も一々全部に返事をしながら己の無事のメールを送り、日本の被災者のために祈ってくれと結んでいます。

人気ブログランキングへ

0 件のコメント: